05
「……そうだ。わたしのお母さんは優秀な魔法士だったんだもん。わたしにだって使えるはずだもん。お母さんとの記憶を、その魔法の知識さえ入れればわたしにだってあいつらを……」
涙を汚れた服の袖で拭い、さらに目元を汚しながら顔を上げる少女。
その少女の言葉にぴくりと反応するエインズ。
「……ふう。もう少し余韻に浸っていたいところだけど、仕方ない。ねえ、きみ?」
すでに興味を失っていたエインズだったが、再度少女を見る。
「……え? わたし?」
少女の方も、まさかエインズに声をかけられるとは思ってもみなかったようで、思わず聞き返してしまう。
「そう、きみ。名前は?」
「……シアラ」
「そうか、ではシアラ。僕がきみに、きみが求める知識を教えてあげてもいい」
「え? 本当に?」
これまで少女に対して興味を示さなかったエインズとは思えない発言にシアラは戸惑いを見せる。
「うん、嘘はつかないよ。エインズ=シルベタスの名において約束しよう。ただ一つ条件があるんだよね」
「……条件? お金なら、ないよ」
彼女が求めるものを誰が無償で提供するだろうか。シアラはエインズが何かしらの見返りを自分に求めてきているのだと思った。
「お金は……、僕自身の力ではないけれど、困ってないんだよね」
ははは、と乾いた笑いを漏らすエインズ。
「それじゃ、なにがいるの?」
「いや、今のままじゃシアラに教えられない。だからきみには自分自身のことを見つめ直してもらわないといけないんだよね」
「わたしの、こと?」
シアラが見つめ直すエインズの瞳は、片方が碧く透き通っており、もう片方はその反対を行くように赤く光っていた。
「シアラ、きみは魔法を使えるようになったら、それでどうするの?」
シアラの目はエインズの瞳に吸い込まれていく。
「それはもちろん、お母さんの形見を取り戻しに行きます」
「なるほどね。でも、それだけじゃないでしょ?」
「……? どういうことですか?」
「取り戻すだけで収まるの? それだけでシアラは止まるのかい?」
エインズの赤い瞳の右目がシアラに向けられている。
シアラは黙し、想像する。
「……それだけでは、すまないかもしれません」
癒えた傷。
今はもう跡すら残っていない傷。それがあった箇所に目を落とし、下唇を噛みしめるシアラ。
「はっきり言ってみなよ。きみはどうする?」
「……わたしが受けた以上の苦しみを負わせる」
シアラのその声は幼い少女のそれではあったが、そこには幼い少女が持つべきではない感情がうっすら込められていた。
「いいや、もっと端的な言葉があるでしょ? それをきみは成すはずだ。そしてシアラはそれに気づいているはずだ」
シアラは寒気を覚えた。
燃えるように赤いそのエインズの瞳に悪寒を。
「……あいつらを、ころす」
「そうだね。きみは彼らを殺すほどの知識、力を欲している」
十歳ほどの少女が、言葉の重さを認識しながら「殺す」と発した。
これにはさすがのソフィアもエインズとシアラの間に言葉を挟む。
「エインズ様、それはさすがにその子には……」
ソフィアに向けられるエインズの顔。
そこに普段の気さくさはなく、以前に見せたコルベッリと対峙したときのそれだった。
「ソフィア、僕の『問答』には邪魔しないで。二度は言わないからね」
「し、失礼しました」
ソフィアはぞっとして速やかに頭を下げる。
「続けよう、シアラ。きみは今きみがいる境遇から変わりたいと言っていたけど、具体的にはどうするの?」
ソフィアから視線を外し、シアラの揺れる瞳を見つめるエインズ。
「ここ、スラムから出て、自分の力で生きていく」
「スラムから出る? スラムで生きてきたきみが力をつけた時、そこらにいる周りの連中はこぞってきみに縋ってくるよ?」
「それは……」
「彼らを救うのかい?」
「助けられるなら……」
すっとシアラの目がエインズから外れる。
「スラムにいる皆を? 理不尽に暴力を振るわれていたきみを助けることもせず、ただひたすらに自分に火の粉が降りかからないよう祈っていた彼らを?」
「……」
「シアラ。きみのお母さんは死んだそうだね。その時、彼らはどうした? シアラの母親のために、きみのために何かを成そうとしたのかい?」
シアラは本能的に感じた。
エインズのその赤い瞳は、シアラの過去を、本心を全て見透かしているのだと。
そしてシアラはこれまでの過去を思い出す。
優れた腕前の魔法士として重宝された母親が、何かしらの貴族間の諍いに巻き込まれ表舞台から追放されたこと。誰もそんな母親を助けようとしなかったこと。
流れるようにスラムに行き着いたシアラとシアラの母親。彼女らを待っていたのは、スラムの住民らによって持て囃し、持ち上げられ、彼らに降りかかる理不尽の払い手としての役割。
気高き魔法士のシアラの母親はその役割を全うし、彼らの力となった。無事を喜ぶ住人と、その横で傷つき血を滲ませた身体を引きずりながら笑みを浮かべて彼らを眺める母親。
シアラは他者に無償で手を差し伸べるそんな母親を誇らしく思っていた。と同時に言葉に出来ないもやっとした感情を抱いていた。
わたしのお母さんはすごい人なんだ、と。わたしもお母さんのようになりたい、と。そう思いながらも、夜中に砂混じる水たまりで血を洗い流す母親の姿に涙を流したことも少なくない。
気丈に振舞う母親だったが、それがいつまでも続くわけがない。
ガタがくる。
そして完全に壊れてしまった。
その後、シアラの目の前で起きる母親への理不尽、そして助けてもらってばかりいたスラムの彼らは無関係だとでも言わんとした様子。自分たちをこれまで助けてくれた人物を人柱として差し出すように。
ほんのわずか思い出すだけでも、絶望と激しい怒りにシアラは支配される。
それからシアラにも訪れる諸々の理不尽。
そして醜いドブネズミのような有象無象が息をひそめて傍観を決め込む姿。
――反吐が出る。
「……シアラ、きみはドブで腐った屍をつつくだけのネズミであり続けるのかい?」
目の前の男は本当にわたしの心を見透かしている、そうシアラは内心で笑った。
「ちがう」
エインズが纏う異様な空気。浮世離れしたような雰囲気。まさに幽鬼。
そしてシアラの心を見透かし、そして幼いシアラに醜い感情、欲望を抱いている本心を気づかせる。
悪魔。……魔神。




