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「エインズ殿、おはようございます。昨晩はゆっくりと休めましたかな?」
「おはようございます、カンザスさん。いいお湯ももらえましたし、これまでの疲れも随分と洗い流せました、ありがとうございます」
エインズはそのままメイドが椅子を引いて待っている席に腰を下ろす。
テーブル向かいのライカが「おはよう」と声をかけてくれたので、エインズも「おはよう、ライカ」と返す。
横に座るソフィアはまだ朝食に手を付けずにエインズを待っていたようで、互いに挨拶を交わした後、エインズがフォークを持ったところでソフィアも目の前の料理に手を付けた。
「昨日の今日ですまない、エインズ殿。昨晩お話ししたように、これから一緒に王城へ向かってもらいたい」
「コルベッリ確保時の状況説明が必要なんですよね」
「その通りだよ。大々的な場から内謁といった仰々しくない場にセッティングし直せたからエインズ殿もそんなに気負わずとも大丈夫ですよ」
カンザスが笑いながらエインズに声をかけた。
緊張をある程度していたエインズの表情は若干固くなっていたが、それを瞬時に読み取って声をかけるカンザスに何か魔法を使っているのかと思ってしまうエインズであった。
「それはありがとうございます。実はそればかりが気がかりで、朝もゆったりと二度寝が出来ない程でした」
と軽く冗談を含ませて返すエインズに場が和む。
「では朝食を終えた後、準備を整えて馬車で向かおうか」
「わかりました」
それから軽く会話を挟めながら和やかに朝食を済ませる。
エインズは食後にコーヒーを淹れてもらい、その味わいを楽しむ。
「エインズ様、左袖が汚れていますね」
案内をしてくれていたメイドがエインズの袖のインク染みに気づき、声をかける。
「そうだね。別に気にならなかったから残してあるけど、やっぱりまずいかな?」
「この後、国王陛下に拝謁しますので、さすがに」
「そうか、わかったよ。汚れは落としておくよ」
「ありがとうございます」
メイドは後ろに下がっていった。
それぞれは朝食を終えると、一度各部屋に戻ることになった。準備ができた者はエントランスホールで待機ということで、エインズもダイニングを離れる。
特段身支度を必要としないエインズは客間に戻らず、一人エントランスで待つ。
メイドに客間に置いてきたジャケットを持ってきてほしい旨を伝えて大階段の段差に腰を下ろした。
「インク染みも落としておかないとな」
エインズは無詠唱で生活魔法の「ウォッシュ」を発動する。
これまでの生活の中で一番使用してきた魔法である。森にいた時も基本的に湯浴みをすることはなかった。どんな時でもこの「ウォッシュ」があれば、服の汚れも身体の汚れも落とせるからである。
「便利だけど、やっぱり風呂は精神的安らぎがあるなあ」
昨晩に入った風呂を思い返すエインズ。
昨晩の夕食の際に聞いた、温泉街にも行ってみたいと思うエインズ。
ぼーっと見つめる先には左袖のインク染みに水球が漂い、激しく渦を巻くようにして洗い落としていた。
完全に洗い落とした後は風魔法で乾かすことで完了する。
左袖についていた黒の着色汚れは完全になくなり、真っ白なものに戻っていた。
「あら? エインズだけ?」
階段の上から声が聞こえる。
振り返ってみると、ライカが緑を基調としたドレスに身を包ませていた。
「うん、僕だけ。別に身支度も必要としないからね」
「どうかしら?」
階段の踊り場で一度くるりと回ってみせるライカ。
「うん、似合っているよ。緑のドレスが映えてて、森の妖精と見間違うくらいだよ」
笑顔で答えるエインズ。シリカの教えが行き届いている。
「本当に女性に対するお世辞がうまいものね」
リステに手を借りながら階段を下りるライカ。
さすがは侯爵家の娘である。ドレスの選定も品があり、そしてそれを身にまとうライカ自身も戦闘の前線に立っているとは思わせないほどの淑女たる品を醸し出している。
「エインズ様、お待たせいたしました」
銀雪騎士団の装束と防具を身に纏い帯剣したソフィアがエインズのジャケットを手に持ちながら大階段を下りてくる。
「先ほどメイドの一人と遭遇しまして、ジャケットをエインズ様にお渡しする旨を聞きましたので私が代わりに預かりました」
どうぞ、とエインズに差し出すソフィアもさり気なく香水をくぐらせたのか、仄かに爽やかな香りが立つ。
ポニーテールでくくってまとめた髪も、櫛を通してあるのが分かる。
(僕も何かするべきだったのかな?)
若干不安になるエインズ。
(馬車の中で、ソフィアに櫛でとかしてもらおうかな)
ところどころ跳ねている髪を手に、ため息をつくエインズ。目の前のソフィアは不思議そうに首をかしげるだけだ。
最後に正装したカンザスがエントランスに現れ、馬車に乗り込んだ。
閑静な貴族様たちの住宅街を抜け、キルクの中心地に来れば一気に騒がしくなる。
ゆったりと進む馬車。
歩いた方が早いのではないかと思うほどに牛歩である。
中心地を抜けると、徐々に大きな王城がその姿を現す。
舗装された道の端々には鎧をつけた衛兵が立っており、通る者に注意を払っている。
「私、衛兵のような仕事はできないわね。ずっとその場で立っているなんて気が狂いそうよ」
ライカが窓から外の様子を覗きながら言う。
「うわー、それ貴族らしい嫌味だね。まあでも確かにライカは一つの所に立ち止まれなそうな感じはするね」
「ソフィアさんはなんか慣れてそうね」
「はい。私は三日三晩、いえそれがエインズ様の命令であれば死ぬまでたち続けましょう」
さらっと怖いことを言うソフィアの表情はいたって普通である。
「しかし彼らは王城への敵襲の際には、入城を防ぐという重要な任務があるからね。私も彼らを尊敬するよ」
カンザスは馬車で通り過ぎていく衛兵に目をやりながら答える。
ブランディ家の紋章が描かれている馬車は簡単な検問を受けると、すぐに入城許可を得た。
大きな庭先で馬車が止められ、御者にドアを開けられて下車する。
カンザス、ライカ、エインズ、ソフィアの順に騎士に先導されながら四人は王城の中に入っていった。