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ダイニングに残っているのは、カンザスとライカそしてリステの三人である。
エインズとの談笑で話し疲れたのか、ライカはのんびりとティーカップを傾ける。
「先ほど、客間に入ったソフィア殿と話してきた」
家族の間に流れる優雅にも静かな空気は、カンザスが口火を切ることで終息する。
「何か話したの?」
ライカの客に当主のカンザスがわざわざ話をしに向かったのだ。ライカを実質的に救ってくれたエインズではなく、ソフィアに。
その意図はなんだろうか、とライカはカップを一度テーブルに置く。
「ソフィア殿は銀雪騎士団の一員と聞く。ということはあのアインズ領自治都市にいたということだ」
「そうね。エインズもソフィアさんもそこから来たって言ってたわ」
「そのソフィア殿が先ほどの会話で言ったのだ。自分はエインズ殿の『従者』だと」
意味も分からず訝しむライカに、カンザスは苦笑しながら「邪推せずにはいられなかった」と額に手をやる。
「どういうこと? 実際ソフィアさんはエインズの従者然として振舞っていたわ」
「何かしらソフィア殿がエインズ殿に敬意を表す出来事があったのだろう。だけどね、アインズ領自治都市、加えて銀雪騎士団に所属する騎士にとって『仕える人間』は誰だと思う?」
カンザスはリステに目配せをして、紅茶を頼む。
リステもすぐに察し、ダイニングを後にする。
「騎士団なんだから、団長でしょ? もしくはアインズ領って言ってるんだから、そこの領主とか」
「そうだね。基本的にそう考える。ただ、あそこはかなり独特でね。単純な主従関係ではないんだよ」
いまだに何を言いたいのか分からないライカ。
もちろんライカが理解できないのも当然である。アインズ領自治都市は謎多き土地なのである。基本的に外界の人間の立ち入りを拒み、情報を遮断する。唯一アインズ領から出てきた情報といえば、『原典』のみ。
その『原典』もなぜ公にしたのか、その意図は不明である。加えて、『原典』の原本というのは魔力毒である。読める人間などそういない。
その読めない写本を謎多き、悠久の魔女が副本にしたことで一般の魔法本として広まり、生活水準の上昇に繋がったのだ。
謎多き地から出た唯一の謎情報。その謎情報を開示した人物もまた魔女と称された謎多き人物。
どこにおいてもその実態を掴むことは難しいのである。サンティア王国の中枢に関わる人間以外は。
「銀雪騎士団の騎士が仕える人間は、その団長ではない。騎士団長は組織をまとめ上げるだけの役職であって、それ以上ではないんだよ」
「ということは、領主様?」
「そう、領主。いわばアインズ領、アインズという人物が領主と推測されるね」
リステに頼んでいた紅茶がカンザスの目の前に置かれる。ミルクも砂糖も入れずストレートで風味を楽しむカンザス。
90度近いお湯で淹れられた紅茶は、湯気と一緒にその香気を上方に飛ばす。
鼻を通る芳醇な香りは、そのまま脳まで届いてカンザスに安らぎを与える。
「さて、ライカ。アインズという名だけど、思い当たる人物はいるかい?」
「……魔神『銀雪のアインズ』」
「そう。銀雪の魔術師の名だ」
アインズが消息不明なことは広く知れ渡っている。何しろ、随分と昔の名である。死んでいると考えるのが普通だ。
「つまり、領主がいない」
「そうだね。王国の法で厳密に表現するならば、統治されていない無法都市なんだよ」
カンザスは紅茶で一度喉を潤わせて続ける。
「ただ、『原典』の存在とそれによる文明技術、騎士団によって統制が取れていることから、王国への貢献度も加味して、自治都市として承認しているに過ぎないんだ」
そもそも存在しない人物を領主に定めるなんて有り得ないからね、とカンザスは結ぶ。
「そんな背景にあるソフィアさんが『従者』という言葉を使った……」
その言葉の表現に違和感を持ったライカ。
なるほど、お父様が考えを巡らせるのも無理はないとライカも思った。
「だから私はソフィア殿の客間に行った。明確な答えまではもらわなかったけれど、少なくとも、今後の私とライカの進むべき道はそれを聞いて判断しなければならないと思ったからね」
当代のブランディ侯爵家当主カンザス。
その政治的判断能力や状況判断能力はやはり長けたものである。
「とりあえずは明日だ。内謁の場だから、そんなに大きな問題も起きないだろうが、後にセッティングされる謁見への根回しくらいはしておきたい」
カンザスはゆったりとカップを傾け、紅茶を楽しむ。
ライカも合わせてカップを手に持つが、すでにその中身は冷めきってしまっていた。
〇
「エインズ様おはようございます。朝食のお時間となりましたのでお呼びいたしました」
ドアをノックされる音がしてエインズは目が覚める。
ベッドの上で上半身を伸ばす。質の良い寝具で寝たので、身体に一切の疲れがない。それ以上に、これまでの幾分かの疲れも風呂と寝具で取れているように感じられた。
「いま出るよ」
ベッド横にある椅子の背もたれにかけてあるジャケットに目をやるが、別に羽織る必要もないだろうと、左袖にインク染みをつけた襟のついたシャツの恰好でドアを開ける。
「おはよう」
「おはようございます。ダイニングまでご案内致します」
会釈したメイドは、昨日客間まで案内してくれた人と同じだった。
前を歩くメイドに「ソフィアは?」と尋ねると、「すでにお待ちになっておられます」と答えた。
さすがは騎士なだけある。環境が変わっても自らの生活時間は変えていないのだろう。
「僕も早寝早起きをしてみようかな」
エインズは心にもないことを言う。
次の瞬間には本人も忘れているであろう、まったく本気度も窺えない言葉。
前方のメイドは静かに歩くだけで、エインズの言葉に何の反応も示さない。
エインズがライカの客であるため失礼のないような対応なのだろうが、独り言のようになってしまったエインズは少し寂しい気持ちとなった。
「足元にお気を付けください」
メイドの言葉に前方へ意識を向けると、エントランスの大きな階段が目の前にある。
上からエントランスを見下ろす壮観さたるや、とエインズは唸る。
義足ながらも器用に階段を下りるエインズ。
横目でエインズを注意していたメイドもその姿に安心して、歩む速度を落とさずに前を進む。
階段を降り切ってダイニングに入ると、ソフィアはもちろん、すでにカンザスやライカも着席していた。