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馬車前方の御者がのぞき窓からエインズ達に声をかけた。
「もう間もなくキルクの関門に到着致します」
その後も魔法についてや魔術について、そこから派生して世間話にまで話は膨らんだ。
特に食べ物についてはかなり盛り上がった。
エインズはこれまで森奥の小さな小屋で生活をしてきた。その時の食事は基本的に山菜や動物の肉、川を泳ぐ川魚が基本である。調理方法も、焼く茹でる、煮るといった簡単な処理方法だけだったため、味の広がりや調味料なんかにも触れてこなかった。
食事よりも魔術だったエインズは、ライカの料理話には幾度と溢れ出る唾液をのみ込みながら聞いていた。これなら料理についても研究すればよかった、と後悔するほどであった。
「二人とも、身分証明書を出して」
ライカは両の手のひらをエインズとソフィアにそれぞれ差し出す。
「私の身分証はこちらに。どうぞ」
ソフィアは身に着けていたポーチから薄いカードを取り出し、ライカの手のひらに乗せる。
「身分証? いや僕、持ってないんだけど。……まずい?」
「そうでした。エインズ様は身分証を持ち合わせていません。ライカ様どうしたらよろしいでしょうか」
若干不安さを滲ませているエインズはライカの手に乗るソフィアの身分証を興味深そうに眺めていた。
「そういえば、森の奥の方で住んでたんだっけ。なんかエインズだけ時代に取り残されているみたいね」
「なにぶん田舎者なもので」
「エインズ様は田舎者ではありません! そして私も田舎剣士でもありません!」
「……ソフィア、コルベッリに言われてたあの『田舎者』って言葉、そんなに嫌だったの?」
「別にあんな無礼者の言葉なんぞ気にしていません!」
ふんす、と鼻息荒く答えるソフィアを横目にエインズは、その言葉は真実味に欠けると胡散臭そうに見ていた。
「まあ、いいわ。盗賊と争っていたときに、コルベッリの火槍で燃えてしまったことにしましょ。再発行はけっこう面倒くさいんだけど、状況が状況だったと報告すればいけると思うわ。それに、いい手土産もあるんだから」
「コルベッリ様様だなあ。というか、身分証いるんだったらさ、ライカと出会わなかったらソフィアはどうしてたのさ」
ライカと出会ったことで、コルベッリと対峙することになった。そしてコルベッリを捕獲することが出来たため、身分証の発行も容易にできるであろうとのことである。
仮にエインズとソフィアがライカに遭遇しなかった。もしくは、遭遇しても十分な手土産がなかった場合どうしていたのか、エインズは疑問に思った。
「それはもちろん、私が門番を説得していました! 今後もその時はお任せください!」
胸を張るソフィア。
エインズは、説得しようにも全然取り入ってもらえず、すぐに抜剣からの大暴れするソフィアを想像した。
エインズの中でソフィアはすでに情緒不安定な剣術以外なにも出来ない木偶の坊の印象で固まってしまっていた。
もしくはエインズの旅費を出してくれる財布か。
「となれば、そう説明してちょうだい」
ライカはのぞき窓から顔を見せていた御者にそう伝えた。
「畏まりました」
御者が門番と言葉を交わす。
それから少し経ち、入場の許可が得られた。
商人などの他の馬車は入場審査に時間がかかっていたが、この馬車においてはブランディ家の紋章もあったことから審査は短く終わった。
(本当に貴族様は何から何まで……)
これまで外界との関わりが少なかったエインズでも貴族特有の特権というものは十分に見聞きし知っていた。
馬車か動き出し、門をくぐる。
くぐる際に一瞬太陽の光が遮られ、車内は薄暗くなる。再び光が車内に差し込む時には、良くも悪くも街の賑わい、喧騒がエインズの耳に飛び込んできた。
これまでは馬の足音と車輪の回る音が心地よいリズムで響いていたが、キルクの場内ではそれもかき消されてしまっていた。
エインズは窓から外を覗く。
アインズ領と同じかそれ以上に綺麗に整備された地面。立ち並ぶ建物は、橙に染まりつつある空を所々隠すように三層、四層にも上に伸びた構造をしていた。
まだ明かりを灯していないが、外灯も等間隔で並ぶ。
そして何よりエインズを驚かせたのが、その人の多さである。
「お、おぅ……」
エインズは圧倒された。コルベッリより遙かに圧倒された。
これまで静かな森で過ごし、久々の外の世界であるアインズ領自治都市も街並みに驚きはしたが、キルクはまるで異世界に来たような衝撃だった。耳に流れてくる煩雑な音は数多の人間が話す無数の言葉によって構成されている。
一つの塊としての音と為す程に聞き取れない言葉の量を耳にしたことのないエインズは軽く頭痛を起こすほどであった。
「とりあえずブランディ家の別邸に向かうわよ。お父様にも報告しなければならないし」
王都の喧騒に慣れているライカは何でもないように話し、エインズはいまだ慣れない耳でなんとかライカの言葉を聞き取り、頷き返す。ソフィアもエインズに倣って頷く。
人だかりをかき分けるように三人が乗った馬車、コルベッリを詰め込んだ馬車、騎士が乗っている馬車が連なって進む。
御者がしきりにベルを鳴らして行き交う人々に注意を呼び掛けながらゆっくり進み、賑わっていた所謂中心地を出ると、大きな邸宅が並ぶ静かな住宅街に入る。
管理が行き届いている花壇や木々が整備された道の両端を映えさせる。
低層に作られた邸宅の上にはすでに月も出始めている空が広がる。
「到着致しました」
御者の声にライカは外を見る。
鉄格子の扉から進入した馬車は、屋敷の大きな入口の前で停まっていた。
すでに入口付近には数名のメイドが立ち、ブランディ家のお嬢様の帰りを待っていた。
「着いたようね。エインズもソフィアさんも私に付いてきて。お父様には私から説明するから」
ライカを先頭に馬車を降りる。
その後ろを追うようにエインズも馬車から降りた。
降りる際に、エインズは御者から小声で「ありがとう」と感謝の言葉を言われた。先の戦闘によって主君ないし御者自身の命の危機でもあったのだ。ブランディ邸で主君の許可もなく大々的に声を上げることは許されることではない。そのため、エインズに聞こえる程度の声量で抑えていた。
エインズもそれには小さく頷くだけに留めた。