12
エインズの目の前には、決意を固めた少年リートが彼の妹を大切に抱えている。
「さてリート。魔法ってのはどうやって使うか知ってるかい?」
「わからない。でもなんか呪文? みたいなのを呟いて魔法を使っている人を見たことがある」
「あー、術式詠唱のことか。なるほどなるほど」
エインズはこのやりとりでリートが魔法をどう認識しているかを確認した。
「魔法というのは、『自然界にある法則や現象を、魔力をもって発生させること』だよ」
「?」
リートはいまいち理解していないような表情を見せる。
「あー、たとえば雷や火、風なんかは自然界での現象だ。物は上から下に落ちる、これは法則だ。こういった現象や法則を自分の思いのままに操る、これが魔法だよ」
「なるほど」
リートは理解を示した。
「ではどうやって魔法を使うか。これは、体内にある魔力を集めたり分散させたりなど操ることによって、つまり魔力操作によって出来る。魔力とは形の決まっていない力と考えればいい。その形のない力に形を与えてやり、出力する。これで魔法が発生するんだよ」
「でもどうやって形を与えるの?」
うんうんと頷きながらエインズは続ける。
「魔力に形を与えるのにはその現象や法則のイメージを固めることが必要なんだ。イメージを固めることは、魔力に形を与えることに繋がる。『詠唱』というのはイメージを固めるための補助的な役割さ」
辞書のように言葉で説明することによって、その現象・法則に対するイメージを固める。それによって魔力に明確な形を与える。
「ってことは、うまく想像できれば……」
「詠唱は必要ない。魔力を操る——、魔力操作の段階で形を与えることが出来れば、詠唱を必要とせず魔法として発生させることが可能となる。これが所謂『魔法化』というものだ」
つまりどれだけ深く自然界の現象や法則を理解し、イメージできるか。これによって、詠唱を必要とした魔法を発生させるか、はたまた魔法化を完成させ魔力操作の段階で魔法を発生させるかの違いが生まれるのだ。
「でもぼくはその魔法を……」
「使えない。リートの場合は操作する魔力の体内に保有されている量が圧倒的に少ないんだ。力が弱ければ、どれだけ操作しようが発生しない」
リートは自分の魔力量の少なさを恨むように唇をかみしめ、浅い息で眠る妹を見つめる。
「これが、魔法。魔法化なんかは努力が必要だが、それでも結局ものを言うのが生まれ持った時にほぼ決まる魔力量という才能だ。もちろん後天的に多少魔力の上限を上げることはできるがそれも劇的な増加は見込めない」
ガウス団長とソフィアのように。ガウス団長が原典を開くことができたのは、開くに足る魔力を保有出来ていたという才能。ソフィアにはその才能がなかった。
そして恐らくソフィアは中級程度の魔法なら使えるだけの魔力を有している。これも才能。リートは初級魔法すら使用するほどの魔力を有していない。
才能の差でものを言うのが魔法という世界。だからこそ多くの魔力を有し、それをもって研鑽に励むことによって上級魔法や超級魔法を使える魔法士が重宝される。この考え方が行き過ぎ、選民思想と至上主義という考え方を持った集団が『次代の明星』とそのコルベッリなのだ。
「だけど安心しなよ、リート。魔法使いや魔法士とは違うベクトル、魔術の才能が君にはある」
「まじゅつ」
「そして魔術を使う者を魔術師という。魔術師になるのには才能はいらない。誰でも魔術師になる資格はあり、誰にでもなれるものではない。これが魔術師」
エインズは人差し指を立てながら言う。
「魔術師に必要なのは、心の底からの懇願。リートの懇願は妹を救いたいという願い。僕には他者の願いの強さが魔術師足りえるかが分かってね、それでいて知識を求める者には知識を提供する」
太陽が雲に隠れ始め、日の光が茂みに届かない。抜ける風は冷たさを帯び、リートの頬を撫でる。
「――、魔術とは『自然界にはない法則や現象をもって、世界に干渉する方法』だよ。君の保有魔力量という問題を、魔術をもって解決しよう」
エインズはリートに近づき、口を開く。
「――、限定解除『奇跡の右腕』」
冷たい風になびくジャケットの右腕から青白く半透明な右手が出てきたのをリートは見た。人間の手ではない。異様なもの、自然界にあるものではない、幼いリートでも理解した。
エインズはジャケットの右肩に留めていた白手袋を左手で取り、右手に嵌める。
何度か閉じたり開いたり感覚を確かめて「よし」と呟く。
右手をリートの頭の上に置く。
「……」
リートはその手からぬくもりを感じることは出来なかった。しかし拒絶したい気持ちも感じない。
「今からリートの頭の中に直接、求める知識を送り込む。痛みはない。多少体の中を弄られるような気持ち悪さは感じるかもしれないけど」
リートは静かに頷き、受け入れる。
「いい子だ。いくよ」
リートは無意識に妹を強く抱きしめる。
リートの脳内に言葉では形容し難い情報が走馬灯のように流れる。
「……終わりだ。リート、やり方は分かるね?」
一瞬だった。
しかしリートにとっては、それが生まれた時からずっと遊んでいた手に馴染んだ玩具のように感じられた。
「限定解除『強奪による慈愛』」
リートが自然界にはない法則によって、世界に干渉する。魔力を持たないリートが死に絶えつつある妹を救うために干渉する。
抱きしめるリートの右手と左手から放たれる優しい光は少女の全身を包み込む。深い傷や全身の小さな傷、リートと遊んでいた時に出来た傷痕も一瞬で消え、顔にも血色が戻る。真っ赤に染まった服はその汚れを綺麗さっぱりなくし、新品のようになっていた。
浅かった息は落ち着いた寝息に変わる。
「なるほどね。そうやって魔力を補ったのか」
エインズはリートの魔術の始終を見ていた。
「……魔力は自分が保有するものしか使えず、操れない」
しかし自然界には人間がいて、動物がいて、魔獣がいる。草木もあれば、小さな虫もいる。そのどれもが魔力を有している。
「合意なしで他者から魔力を奪ったか」
合意ある者から魔力をもらうことは可能だ。しかし、合意なしに魔力を奪うことは出来ない。
奪った魔力をもって、他人を癒す。これがリートの魔術。
「素晴らしいものを見せてもらったよ、リート。ありがとう」
教えてもらった立場なのに感謝の言葉をエインズから受け、リートは焦る。
「そんな。ぼくのほうが、エインズさんにありがとうって言わないとい――、」
その時だった。
時間が止まる。
エインズは動かなくなり、リートも動けなくなる。しかし、リートの意識だけは残っていた。
空中にいきなり切れ目が出来、黒い穴から恐ろしい半透明な右腕が現れる。
『世界の理に触れる者よ。汝に制約を課す』
男とも女とも分からない声が響く。
『貴様には、今後一生において他者への危害を禁ずる』
そう声が響き、半透明な右腕はリートを掴むようにすり抜けて黒い穴へ戻っていった。
右腕が消えた後は、黒い穴も空間の切れ目も消えてなくなり、時が再び動き出した。
言葉が途中で止まったリートを見てエインズは察した。
「制約を受けたか?」
「うん。今後一生他者への危害を禁ずるって、言ってた」
「……魔術というものは、魔法と似たようなものだけど、まったく異質なものだ。そしてリート。魔術を使う魔術師というのは、基本的に世界の理に触れることが出来るから生半可な魔法では死なずに対処できる」
エインズは穏やかに目を細め、眠る少女を見ながら続ける。
「しかし魔術師は制約を破ったとき、簡単に死んでしまう。弱点でもあるんだよ。だから制約を破らないよう、誓わなければいけない。つまり、誓約を立てなければいけない。だからリート、他の人にその『制約』は教えたらだめだからね?」
「……わかった」
リートは他者から魔力を強引に奪う魔術を得た。しかし、当の本人は魔力を奪っても他者に危害を与えると死ぬという制約を受けたのだ。
「まあ、ともあれこれでリートも魔術師だ!」
エインズは手をパンと一回鳴らし、声色を明るく変え、リートに話しかける。
「そうだなあ、僕が魔術師にしてあげたわけだし、弟子だね。……よしっ! これから『不殺のリート』を名乗るといいよ! かっこいいだろ?」
「……不殺のリート」
エインズは右手に嵌めていた白手袋を外すと、青白い半透明な右手が消え、パサリとジャケットの右腕が垂れた。
「よしそれじゃ僕は行くね。ライカやソフィアも向こうで待っていることだし」
そう残し、義足の左脚、隻腕隻眼の幽鬼はリートの前から立ち去った。
かかっていた雲が切れ、太陽が再び姿を現した。