19
アインはこの時、剣士として一皮もふた皮も向けその頭角を現し始めていた。
背後を木々でおさえ、眼の前の魔獣の開いた口に剣を突き刺して殺す。
側方両方から攻めてくる魔獣に対し身をかがめて躱し、互いに身体をぶつけ動きを止めた二匹の頭部を袈裟斬りする。
そうして開いた空間にまた駆けていき、動きを止めることなく森の環境を活かしながら各個仕留めていく。
それはより深く深く森へと入っていくようにして。
「はあぁ、はあぁ……」
息切れが激しい。
いくら仕留めようが、次から次に魔獣がアインに襲いかかってくる。
アインは木に寄りかかりながらズルリと腰を地面に下ろして返り血がべったりとついた右手で掴む彼の生命線とも言える剣を見下ろした。
手にする剣の刃はすでにボロボロである。だがそれは当然。魔獣の牙や爪を抑え、そしてその胴を斬ってきたのである。剣の寿命が早く迎えるのも不思議なことではない。
手も痺れ、徐々に剣を握る力も弱くなってきている。
しかし、森の中を動きながらかなりの数を倒したこともあり、アインはこうして木に寄りかかって座り一時的に休養を取ることができた。
「本当にどうなってるんだよ、ここの魔獣は……」
離れたところから遠吠えが聞こえてくる。
血が止まらず、絶えず地面にその雫が落ちてアインの居所を教えてしまっている。
時期に魔獣たちはその甘美な匂いを嗅ぎつけてここまでやってくるだろう。
「まだ凌ぎ切れるかな……?」
アインはため息をついてぼうっと寄りかかっていた木を見上げた。
「っ!?」
「凌ぐ必要はないよ? もうあの子たちの役目は終わったからね」
アインが見上げた視線の先に、一人の少女が枝から吊られてぶら下がっていた。
枝と少女の腰の両方を縄ではなく蛇のような生き物が巻き付いてその身体を固定し、頭を逆さにして疲れが見えるアインの瞳とぶつかる。
「誰だ、お前。どうしてお前みたいな子どもが一人でこんなところにいるんだ?」
「子どもって……。私よりも幼い君が言うの?」
少女が「このままだったら血が頭に昇ってしまうわね」と呟くと、蛇のような生物は少女を巻き付けていた身体を解いた。
少女は器用に空中で身を翻して着地する。
森の中を歩くにはまったく適さないフリルのついたドレスに身を包んでいた。
黒をベースに白のワンポイント。貴族令嬢というより人形といった雰囲気である。
「幼い君に一つ問題」
「うるさい」
こんな危険なところで訳も分からない少女に構っていられないアインは少女との会話を拒絶する。
「まあ聞きなさいよ。男ならレディの話は全てにおいて耳を傾けるものよ? それがたとえ下らぬ話であっても。『小鳥のさえずりで爽やかな朝が迎えられましたの』なんてクスリで頭の中がドロドロに溶けたような内容であってもね。
私ってほら、話は短いほうなのよ? そのほうが男性に好かれるからね。私のような話が短いレディの話にも耳を貸せないというのなら、それは紳士失格よ幼い君。とはいえ、良いレディは男を育てるらしいわ。
当然私も男を育てるわよ? それが幼い君のように幼い坊やだったとしてもね。だけど、教育は難しいものなの。ただ言い聞かせればいいってものじゃないわ。
レディの話を右から左に聞き流す不届きな輩もいるのだから、教育となったらそれこそ聞き流すのは当然でしょうね。でも良いレディの紳士教育はそんな振舞いをさせないものなの。どうやって? って聞きたそうな顔をきっとおそらくしているわね。でもなんでも聞いたら教えてもらえるなんて思わないことよ。
紳士ならレディの言葉を受け入れ、そして考えなさい。ああ、もちろん答えは口に出さなくていいの。いや、口に出すべきじゃないわ。なにせレディは答えがほしいわけじゃないもの。
私の言葉を聞いて、私の言葉を考えることで、頭の中を私で満たしてほしいだけなの。共感してほしいだけなの。だから幼い君、幼い君は私の言葉の意味を考えなさい? でもだめよ、考える時に眉間にしわを寄せたりなんかするのは。そんな醜い顔はレディに見せるべきじゃないからね——」
アインは周囲を警戒する。
地面についた血の臭いは間違いなく残っている。であれば魔獣がここにやってきてもおかしくはない。だが、いつになっても魔獣が姿を現す気配は感じなかった。
「ということでもう一度問うわね?」
「……えっ?」
アインは周囲への警戒で途中から少女の話に意識が向いていなかった。聞いていなかった。
「なに? まさか私の話を聞いていなかったの? これは、だめね。でも、安心して幼い君。これは幼い君だけの責任ではないわ。幼い君を紳士たる立派な男へ教育できなかった私の責任でもあるもの。だから——」
少女は右手を軽く振り上げた。
バチンッ!
それはあまりの速さだった。
見えない、ということではなかったがアインはそれをはっきりと視認できなかった。
視認できなかったそれは凄まじい速さでアインの顔のすぐ横を抜けた。
「ぐああっ!」
直後にアインは激しい頭痛に襲われる。
あまりの痛さに手で頭を抑えるアイン。激痛により状況整理が正しく行われないものの、側頭部を抑える手に違和感があった。
まずはぬめり。森の中を駆けていたとはいえ、ここまで手に纏わりつくほどに汗はかいていないと思う。
次に手の感触。あるべきものに触れていない、凹凸を感じるべきなのだが、そこには平たい側頭部。
最後に地面。そこには自分では直接見ることが決してできないものがベチャリと落ちていた。
耳。
「お……、おれのぉおお……っ」
先ほどアインを襲った凄まじい速さの何かはアインの耳を千切り落としたのだ。
アインは地面に落ちた耳を拾う余裕もなく、両手で耳のあたりを抑えながら蹲る。
「——教育に必要なのは、罰を与えること。もちろん、レディである私は嬉々として他人に罰を与えることはしないわ。心が痛むもの。でもだからといって、罰を与えずして紳士たらしめることはできないもの。
レディの務めは男を立てること。であるならば、不出来な男を紳士にさせるためならば、レディである私も心を鬼にさせないといけないわ。
そう、だから、幼い君? これは罰、そして、教育。レディの話を聞き漏らす、不出来な男の不出来な耳は紳士にはふさわしくないわ。だから、そんな不要なものは捨てるべきなのよ。でも人は捨てるということが苦手なの。一度手にしたもの、持っているものを捨てるには覚悟がいるわ。誰だって何かを失いたくはないからね。
でもきっと紳士であればそれも容易く正確な判断をして捨てる行為に及べると思うけど。幼い君は不出来だもの。きっとそんなことはできないわ。だから心優しいレディである私は、捨てるべきものを、罰と合わせて一度に済ませてあげたの。優しいでしょ?
耳を捨てる痛みと罰を受ける痛み。二つを受けるとなると痛みが倍なのだから。さあ、幼い君? 私の優しさに報いて、紳士になってちょうだい?」




