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ご無沙汰しております。すずすけ でございます。
今回は少し長くなっておりますが、よろしくお願いいたします。
(このままだと、第5部は戦闘がないかも……)
◯
「それで景気はどうだ? うん?」
そこは王都のとある一室。
壁には数々の自画像が立てかけてあり、その中でソファに深く腰掛ける男と、彼に向かい合うようにして畏まりながら座る男がいた。
離れたところでは壁に寄りかかりながら二人の話に耳を傾ける女がいる。
「はい閣下。おかげさまで穏やかな日々を過ごせております。こちらをどうぞ」
男は眼の前で頬杖をつく男に袋を二つ差し出した。
「ソビ閣下、こちらささやかなものではございますがお納めください」
ソビ閣下と呼ばれた男、ゾイン=ソビは差し出された袋の中身を見る。
一つは金貨が詰まったもの。そしてもう一つは、
「ふん、魔石か。なかなかに上質そうに見えるな」
ゾインは魔石の一つを取り出し、それに目を向ける。
武具や芸術品だけでなく、あらゆるものの良し悪しが分かるゾインは魔石のその輝きを見ただけでその質を見分けることができるのだ。
「さすがは閣下でございます。こちらは最近採れました魔石でございます。特殊な採取方法にて手に入れました品でございますので品質に関しては申し分ありません!」
「なるほど、そうか。いやいや、最近お前が森で魔獣の群れに襲われたと耳にしたからな。私としては心配していたのだ。有用な商人が無用に死んでしまうのはこの国の損失でもある。有用、つまり価値ある者の死は私にとってひどく心が痛むからな」
そう大げさに嘆く素振りを見せるゾインに、離れたところで耳を傾けていた女――、リディアは「ぷっ。心が痛む、なんて誰が口にしているんだか……」と口元を隠しながら笑った。
「おお! 閣下に私の身を案じてもらえるとは光栄でございます! ご安心ください! 私はこの通り変わりありません。先ほどの話も、いつもの魔石の採取工程の一つでございまして」
商人は感嘆の声を上げ、ゾインの言葉に打ち震えているようである。
「そうだった、お前が取り扱う魔石は特殊だったな。私としたことがそれを忘れてしまうとは。はぁ……、まったく歳は取りたくないものだな。うん? お前もそう思わんか、ドリス?」
「ええ、ええ! 月日の流れとともに身体は思うように動かなくなりますし、人の名前を覚えるのにも苦労し始めます。はぁ、不老もしくは若返りの薬がありましたら私は今ある財のすべてを投げ売ってでも手に入れたいものです」
「ほう……。ならば悠久の魔女に尋ねてはどうだ? とっくに老いぼれのはずのその身をどうしてそのように若々しく保っているのか、と」
ゾインは魔石をテーブルに置き、その横の蒸留酒の入ったグラスに手をかける。
「か、閣下……。た、戯れが過ぎますぞ。そのようなことを口にするなど、その前に心労で死んでしまいますわい……」
「戯言だ、ドリス」
「悠久の魔女を洒落に持ち出すなど、閣下だけでございますわい。私など、その言葉だけで今もまだ心臓がひどく脈打っております」
ドリスは胸に手を当て、深呼吸をしながら落ち着かせる。
「すまんな、ドリス。価値あるお前を私の戯言によって死なせてしまっては元も子もないな。それにしても、商人が人名を覚えられないのは致命的ではないのか?」
ゾインは「飲んで落ち着かせよ」と、ドリスの眼の前に置かれた水の入ったグラスを促した。
ドリスは「頂戴します」と断りを入れ、一口含んで喉を潤わせてから答えた。
「魔石商とはいえ、私の場合は次々に新しい者と会いますので。その上、そのほとんどが二度と合わない者となるとわざわざ名前を覚えるのも億劫になりますから。そう名を覚える努力を怠っているうちにこのように人名を覚えられない頭になってしまいました……」
「ほう。というと、先ほど私が手にしていた魔石というのも?」
「っ!? 気に触りましたでしょうか!?」
「いや、そんなことはない。なんであれ、魔石は魔石だ。この魔石は見るだけで分かる、その価値が」
「そ、そうでしたか……」
ドリスは持っていたハンカチで額に浮かんだ汗を拭った。
「それで、最近はどこからこの原材料を仕入れているのだ?」
原材料、ゾインはテーブルの上に転がる魔石を指しながら尋ねた。
「多くは魔獣からでございます。しかしながら魔獣からはあまり質の良い魔石は採れませんからな。なにせ質を求めると討伐が困難な強力な魔獣を相手にしなければなりません。それでは損失のほうが大きくなってしまいます」
「ああ、それは知っている。ドリスよ、私の問いに答えろ。私は魔石をどこから仕入れているのか聞いているのではない。ここにある魔石、これらの原材料の話をしている」
「し、失礼いたしました!!」
ドリスは勢いよく頭を下げた。
ドンとテーブルに頭を強く打ちつけるが、痛がる素振りはなくそのままの姿勢でゾインの言葉を待った。
「よい、頭を上げろドリス。お前の丁寧な話しぶりは私も評価している。商人にそれは必要な素質だ。だが、私にそれは不要だ。お前も知っているだろう、私はお前の生業に協力してやっているのだから」
「はい!」
ドリスは頭を上げる。
額は赤くコブができていた。
「協力している者として、その確実性と継続性を確認したいのだ。私が言いたいことは分かるな? うん?」
「も、もちろんでございます!」
ゾインの微笑み。それだけでドリスは震え上がる。悠久の魔女とはまた別の恐怖。
ひどく冷たい鋭いナイフが首元に添えられたような、そんな恐怖。
「うむ。話せ」
「近頃は孤児院のような場所から仕入れております」
「孤児院? そのようなところがあったか?」
「はい。商業区の少し北部に腕の立つ魔法士がおりまして、その者が善意で幼い子の面倒を見ているのです」
「それはまた殊勝な心がけだな」
ゾインは何とも思っていない。だが機械的に言葉が出る。
「そこで良さそうなものを見つけ、私の商会で雇うといった建前で仕入れてきます。まだまだ在庫はありそうでしたので当分の間は問題ないかと」
下衆な笑みを浮かべるドリス。
ゾインはその笑みを、ドリスのその下衆な笑みすら愛くるしく思った。
「だが、その魔法士が面倒を見る子どもが次々に減っていっては支障が出るのではないか?」
「問題ございません、閣下。その者への援助とアフターケアは怠っておりませんので。傷心しながらも気丈に振る舞い、むしろ私に感謝するほどでございますから」
「悪人だな、ドリス」
「いえいえ閣下。生活に必要な魔石を分け与えているのですから、win-winの関係でございます。私も当然その者には感謝しておりますし。……まあ、大事そうに抱きかかえたその魔石の素を知らずにいるからでしょうが。ふふ……」
蒸留酒の強い酒精を楽しみながらゾインは眼の前の商人は趣味が良いと思った。
「きっと今も大事に抱きかかえているでしょうな。手渡した魔石はたしか……、アイク、いや、アレス、違いましたかな、アイケルバウムとかいう名前だったでしょうか」
「ふっ、覚える気がまったくないではないか。だがそうか、話を聞く限りお前が問題ないと判断した仕入先を信じて良さそうだな」
「はい!」
「お前の危機管理能力は私も評価している。だからこそ、少しでも気になることがあれば私に言うが良い。有用なお前ならば私は可能な限り手を貸してやろう」
ゾインのその言葉に再度ドリスは頭をテーブルに打ちつけながら、感謝の意を表した。
「…………ありがとうございます、閣下」
「ドリス、どうした? うん? 何か言いたそうな顔をしているが」
「いえ……、大したことではないのです。きっと閣下に伝える必要もない些事でございます」
「そうか。ならば――」
よい。そう締めようとしてゾインは自身に待ったをかけた。
ドリスの危険に対する察知能力は自分も評価している。これまでもこの男と接してきてゾインはそれを身をもって感じてきた。
この男は、問題ないと判断しいたことは口に出さない。
逆に、危険だと判断したことは侯爵であるゾインを相手でも言い淀むことはしてこなかった。
そんな男がいま、ゾインを眼の前に初めて言い淀んでいる。
ドリスには判断がつかない事象。それがこの男に関わっているのだ。
これをドリスの力量不足と判断して切り捨てればそれまでだが、ドリスを知っているからこそゾインはそれを切り捨てることはしなかった。むしろ、切り捨てることによってゾインにまでその危険が差し迫ると判断した。
「――いや、話せドリス」
「は、はぁ。閣下がそうおっしゃるのであれば……」
ドリスとしては大したことではないことでゾインの時間を要してしまうことにわずかに恐れを覚えたが、本人が話せと言っているのだ、ドリスはただそれを話すだけで良い。
「その魔法士のところで少し不気味なやつを見かけまして。名前は…………。申し訳ありません閣下」
ドリスは必死にその者の名を思い出そうとするが出てこない。
「よい、その者の特徴を言え。あとはこちらで対応する」
「はい。その者に恐れを覚えたとかではないのです。力量があるとも思えないほど、呑気な性格をしておりまして。ただ、その出で立ちとその醸し出す空気が不気味に感じまして」
「不気味、か。幽霊を見た、などの洒落を言うわけではないだろうな? うん?」
「そんな! 閣下に笑っていただけるような戯言ならまだしも、これは笑いどころもない面白くもないものでございますれば」
「ふむ」
「ですが、閣下の幽霊という言葉、それが当てはまらなくもない奇妙さはありましたなあの男」
「男? 魔法士ではない男がいたのか」
「ええ。銀髪を長く伸ばし、全身を真っ黒な服で纏った男でございます。特に、その四肢。あれはいくら私でも忘れはしますまい。空の右腕に義足の左脚、右目もどこか見えていない様子でしたからな」
「「っ!?」」
その瞬間、ゾインとリディアの脳裏にとある男の姿が見えた。
「まあ、あのような木偶など仮に相対したとしても取るに足りない者でしょう。閣下に報告するまでもない者でございます。申し訳ございません、閣下。私がくだらないことで言い淀んでしまったばかりに」
「……よいのだ、ドリス。やはりお前の危険に対する察知能力は素晴らしいな」
「は、はぁ。ありがとうございます」
「その不気味な男はお前が魔石を渡した場におったのか? うん?」
「ええ。原材料となった子どもとも遊んでおりましたから、きっと今頃魔法士の男と一緒になって嘆いているでしょうな」
「そうか、わかった」
ゾインは蒸留酒を飲んでから俯き小さく息を吐くと、ドリスには聞こえないほど小さな声で「残念だ」と呟いてから顔を上げた。
「案ずるなドリス。お前はいつものように過ごしていろ。そうしていれば万事全てが終わっているだろう」
「おお! そうですか! 閣下がそうおっしゃるのであれば、私が気に病むこともありませんな! これまでどおり、魔石商として閣下の役に立てますわい!」
ドリスはグラスをぐいっと傾け、残った水を一気に飲み干した。
「では閣下。これにて私は失礼いたします」
「うむ。ドリスよ、お前の有用さに私は最後まで助けられたよ」
「閣下をお助けできるとは、光栄の至りでございます」
ドリスは立ち上がり、最後にもう一度頭を下げてからこの部屋を後にした。