03
「……エインズさん。おはようございます」
「おはよう、キリシヤさん」
エインズにも挨拶をするキリシヤだが、わずかに緊張がある。
その背景をエインズは知らないのだが、リーザロッテの言葉の影響だろう。
「そしてセイデルさんも。おはようございます」
「おはようございます、エインズ殿」
後ろに控えるセイデルに挨拶したエインズは壁に寄りかかって休む。
「お手合わせ以降、お見かけしませんでしたがエインズ殿はどちらに行かれていたのですか?」
「港湾都市に行ってました。のんびり優雅な旅のつもりだったのですが、あっちでも騒動に巻き込まれまして」
「はは。巻き込まれて、ですか。港湾都市のことは色々と聞いていますが、エインズ殿が巻き込まれたと言うのでしたら、そういうことにしておきましょう」
「セイデルさん、僕を問題児扱いしていますね? 心外です」
「これは失礼しました」
謝罪するセイデルだが、港湾都市での出来事についても報告を聞いているためエインズが向こうでの一件に大きく関わっていることを知っている。
「それで、今回はどうして魔術学院に来られたのですか? エインズ殿はもう講義への興味を失ったようでしたので、てっきりもう来られないと思っていましたが」
今度はなにをしでかす気ですか? とは直接的に尋ねない。
「ええ。講義はもうどうでもいいのですが、気になっていたことがありましてね」
「ほほう。エインズ殿が気になること、ですか」
「そんなに警戒しないでくださいよ、セイデルさん」
誰かしらからも同じように疑いの目を向けられるエインズはその視線にほとほとうんざりしていた。
「エ、エインズさん。なにが気になっているのですか?」
尋ねたのはキリシヤ。
いまだわずかな緊張は残っているが、声をかけられないほどに気後れはしていない。
「なんでもここに通う学生が気になるんですって、キリシヤ」
間髪入れず答えるライカに「そうなの?」と確認したキリシヤは、ライカが頷くのを見てエインズに顔を向ける。
「気になる娘がいるんですか、エインズさん!」
「キリシヤさん、言い方が気になるのですが……。僕が誰かを好いているとかではなくですね、貴族出ではない、一般階級の身でありながら貴族子女と遜色ないほどに魔術学院に通えるだけの魔法知識を備えられたその理由が気になっているんですよ」
「ああ、そういうことでしたか。私はてっきり……」
色恋話と勘違いして話していたキリシヤはいつのまにか、エインズに対して抱いていた緊張もほぐれていた。
「僕はそういうのは、もう……」
と一瞬暗い表情を覗わせたエインズだが、みなエインズが過去に色恋でトラブルを起こしてしまったため今はそういうものを避けているのだと勘違いしていた。
「というわけだから、今日はちゃんと終わるまで静かにしていますよ」
「「「……」」」
「いや、本当だから!」
このあと、教室に姿を見せたハンナ=ウィールズがエインズの姿を見つけ手にしていた教科書を滑り落として膝を震わせる姿にライカは頭を抱えたが、本当にエインズは静かにしているようで滞りなく講義は進んでいくのだった。
◯
講義が全て終わり、ハンナ=ウィールズは教室を後にする。
教室内の様子は様々である。
すぐさま帰り支度を始める者もいれば、講義内容に知恵熱を出し着席したまま呆然とし続ける者もいる。今日の内容をこの場に残り復習し始める者もいるが、しかしながら大多数の生徒は友人と雑談を交わしこの後の予定を決めるなど学生生活を謳歌するつもりのようだ。
「ふう……、やっと終わった」
「エインズにしてはひどく静かにしていたわね」
「言い方よ、ライカ。その物言いは僕を馬鹿にしているよね」
「そうかしら? 気のせいよ」
そう軽口をたたきながらライカも他所に倣って帰り支度を始める。
直立不動で姿勢を崩さず控えていたセイデルに疲れは見えない。しかしエインズはというと退屈なうえに長時間立った姿勢を保ち続けることは相当な疲れのようで、既に帰っていった生徒の席を借りて腰を下ろす。
「講義の間はこれといってエインズさんは何もしませんでしたが、よかったのですか?」
ライカと同じタイミングで支度を始めていたキリシヤは教材の入ったカバンを閉じて席を立ちあがる。
「今はちょっと休憩しているだけで……。少ししたら動きますよ」
エインズは深く息を吐いてから立ち上がり、教室内を歩き始める。
「ちょ、ちょっとエインズ! どこに行くのよ」
エインズが急に移動を始め、ライカは慌ててカバンに教材を詰め込んで立ち上がった。
エインズの意図するところが分からず、キリシヤはセイデルと顔を見合わせて首を傾げた。
「ねえ、君たち。君たちって貴族?」
まだ教室に残り友人と言葉を交わしていた集団に近づき、エインズが声をかける。
「おい、急になんだよ、……って、あなたは、その……」
背後から話しかけられ迷惑そうに振り返った生徒は、エインズを見て戸惑ってしまっている。
どう対応してよいものか分からない生徒は、エインズの背を追ってくるライカに視線を向けて彼女に判断を仰いでみることにする。
しかしそんな彼を待つほどエインズは悠長ではない。
「僕はエインズ。それで、君は貴族の出なのかい?」
「……いや、まあ、父は子爵ではあるけど……」
それがなんだというのか。
挨拶を交わしたこともない相手に対し、突如尋ねた内容が貴族の生まれかどうか。生徒からしてみれば、そんなことエインズに答えてやる義理もない。
だが、相手との距離感も不明で対処方法も分からないが故に、生徒はエインズの問いに答えたのだった。
「そっか。それじゃあ大丈夫。……あっ、君たちも彼と同じく?」
エインズは答えてくれた彼の他に固唾をのんでいる四人に目を向ける。
彼らは静かにこくりと一つ頷いた。
「そっか、残念だね。ごめんね、邪魔したよ」
そう言ってエインズは左手をひらひらと振って、彼らから離れて別の生徒のもとへ向かっていった。
「本っ当にごめんね! うちの馬鹿従者が邪魔したわ。後できつく言っておくから!」
ライカは決まりが悪い顔で軽く頭を下げる。
「いや、別に、俺たちは……。なあ?」
「あ、ああ。別に困るほどのことじゃ……」
彼らも別にライカを咎めるようなことはしない。なにせ頭を下げていた相手が侯爵家の令嬢である。
いやむしろ、いまだ突然のことに戸惑っているだけかもしれない。
ライカはそんな彼らに「ごめんね、ありがとう」と返して、再びエインズの後を追った。




