04
ガウスの目の前には背筋を伸ばして座るソフィアと、その横に、左腕一本で器用に食べ物を切り分けながら口に運ぶ謎の男がいる。
目の前の男はガウスに目もくれず、騎士団専属料理人の朝食に舌鼓を打っている。
ソフィアらしくない訳の分からない組み合わせだな、とガウスは不思議に思った。
「まずはこの方を連れてきた経緯でございますが――、」
ソフィアは背筋を伸ばしたまま、報告し始める。
聖痕残る聖地『大樹』に男——エインズが現れた。エインズの身元を怪しんだソフィアは抜剣したが、抵抗する間もなく見聞きしたこともない魔法で退けられた。左脚と右腕を失っているこのエインズに。
そこからエインズの話の内容を聞いていると、ここアインズ領自治都市が出来るよりずっと昔の話をしていることに気が付いた。そして、
「……限られた者しか知らないタス村の存在を知っていた。聖人であるエバンとシリカを『さん』呼び、か」
ガウスは苦笑しながら「たしかに希望的観測の域を越えないな」と判断しながらも、どこか縋りたく思う気持ちもあった。
物は試しか、とガウスは立ち上がると、自分の大きな机をスライドさせる。
机で隠された床には開け閉めできる四角い蓋があり、蓋には白い塗料で術式が描かれていた。それをガウスが手で触ると開錠された音がなり、中から古めかしい本を取り出す。
赤茶色のハードカバーをした古本を手に持ちガウスは再びソファに座る。
「団長、それは……」
「そうだ、『原典』だ」
ソフィアは思わず唾をのみ込む。
膨大な魔力を感じさせる古本『原典』。
それは2000年もはるか昔。このサンティア王国アインズ領自治都市の成立の根幹であり、銀雪騎士団の根幹でもある『銀雪のアインズ』と呼ばれた魔術師の手によって書き記された魔導書。
魔術師の頂点、魔神と称され、残っている文献もごくわずかで謎多き人物。そんな魔術師の手によって書かれた原典は、その魔力を多く含んでいることから、頁を開くことができるのは魔力に富んだ限られた人間しか出来ない。
ソフィアはガウスの手に持つ原典を開くことができない。
騎士団団長であるガウス他、わずかな者だけが開くことがやっと出来る代物だ。
「……かなり罰当たりなことだろうが、これが手っ取り早い。ソフィア、どうか口外しないでくれ」
「分かりました。これは私の身勝手によるものです。批難されるべきは団長ではなく、私ただ一人です」
「いや、縋りたい気持ちは俺も一緒だ。俺も同罪だ」
アインズ領自治都市は、魔術師『銀雪のアインズ』がもたらした魔導書や魔法知識により、その存続の危機を幾度と脱却し、生活利便性の高い文化を営めている。その背景もあり、都市全体で『銀雪のアインズ』を崇めている。つまり『原典』も聖書に近いような扱いとなっていた。中でも銀雪騎士団は『銀雪のアインズ』を神聖視する者が多い。
ゆえに、『原典』のさらにアインズ本人が書き記したとされる原本の存在の価値など言わずもがなである。
ガウスは様々な覚悟を持って訊ねた。
「……エインズ君。この本を知っているかい?」
二人に目もくれず食事に勤しむエインズはそこでやっと手を止め、ガウスに目をやる。
「うん? その本かい?」
「そうだ」
「うーん、いやその表紙は見たことがないな」
エインズは首を傾げながら答える。
「……そうか」
希望的観測の上で勝手に縋りついたわけではあるが、ガウスの呟きはどこか裏切られたような気持ちがこもっていた。
「中を少し見せてもらっても?」
「「っ!?」」
ガウスとソフィアの心情を知らないエインズは何の躊躇いもなく左手を伸ばす。
時が止まる。
ガウスはかなり悩んだ。この原本をただの部外者かもしれない人間に渡すことを。
ガウスは無意識にソフィアを見る。
ソフィアは覚悟が出来たと言わんばかりに、落ち着いた表情で帯剣してある柄頭に手をかけていた。
万が一の時は手にかけている剣でエインズの首を切り落とすと言わんばかりである。
「……ここまで来れば一緒だな」
ガウスの呟きにエインズはキョトンとした表情である。
「いいだろう。ただし、これは俺たちにとってかなり大事なものだ。丁寧に扱ってほしい」
「わかった」
エインズはパンくずで汚れた手をおしぼりで拭い、ガウスから『原典』を受け取る。
「うーん。やっぱりこんなハードカバーの本を見たことな――、あっ!」
エインズが原典の表紙を見て、何かに気づいた。
「何か分かったか!?」
ガウスが身を乗り出して尋ねる。
「いやね、本自体には見覚えがないんだけどさ、この『原典(the original)』の文字だけど、これシリカの字だね」
「「えっ?」」
エインズはシリカの文字を見ながら「あー、懐かしいな……。この強気なところが字にもにじみ出てる感じがさ」と笑みを浮かべながら懐かしむ横で、ガウスとソフィアは初出情報に驚きを隠せないでいた。
そんな二人に構わずエインズは自然な動きで『原典』を開く。
ガウスはさらに驚いた。ガウスですら頁を開くのでやっとであり、開けたとしてもその膨大な魔力と理解不能な一種の毒のような知識に脂汗が止まらなくなるのだ。
それを、目の前の隻腕の男はそこらに転がっている小説を読むかのように平気な顔をして読んでいる。
只者ではない、ガウスは理解する。
一切警戒を解かずに柄頭に手をかけたままのソフィアと固唾を呑んでガウスに見守られながら、エインズは読み進める。
ひとしきり読み終えてから、
「二人とも、分かったよこれ」