×2-12
鼻腔をくすぐる野菜の甘い香りに、気持ち悪さが残るエインズだが自然と腹の虫が鳴った。
二人に倣うように、エインズもスプーンを手にしてスープに手を付ける。
湯気が立つスープにスプーンを沈めると、野菜の甘味が溶け込んだ琥珀色のスープとともに煮込まれ柔らかくなった野菜が上に乗る。
それらをすくって口に運ぶエインズ。
「……おいし——」
香辛料はあまり使われておらず、味付けも薄く素朴なものだが、野菜の本来の甘味だけで十分そのうま味が凝縮されていた。
舌の上を転がる野菜とスープに自然とエインズの口角が上がり、美味しいと感想がこぼれるその瞬間だった。
ビリッ、とエインズの舌に電流が走る。
違和感、という言葉で片付けられないほどの異物をエインズの舌が捉えた。
喉の奥に流し込まれたスープはそのままエインズの喉を焼く。
「がはっ!」
思わずスプーンを床に落とすエインズ。
そして左手で喉を抑えながらテーブルに突っ伏した。
目からは涙が溢れ出る。鼻からも粘性のない鼻水が垂れる。
「エイちゃん!? どうしたんだい!」
予想外の出来事に、普段から落ち着きのある姿しか見せないシギュンですら慌てた様子。
「い、いき、が……っ」
舌が痺れ、言葉もまともに話せないエインズ。
息を吸うのもままならず、吸い込まれた新鮮な空気によってさらに喉の奥を焼くように感じられた。
「ジデンくん、きみエインズくんのスープに何か入れたのかい!?」
エインズの異変。その原因におおよその予想をしたイオネルが部下であるジデンに厳しい目を向ける。
「……いいえ。スープには何も入れていません。お二人のものとまったく同じものです」
これまで見たこともないイオネルの様子に面食らった様子のジデンだが、そこに嘘は見当たらない。
とはいえ、具に真実を話している様子でもない。
そうこうしているうちに、全身を震わせ始めるエインズ。
そのままテーブルから腕が落ち、座っていた車いすからも転げ落ちてしまった。
床で蹲りながら、息絶え絶えに涙を流すエインズ。その視界はすでにぼやけてしまっていて、意識も手放しかけている。
「婆さん、解毒薬はあるのかい!?」
「そんなこと言われたって、なんの毒が分からないとどれを使っていいのか分からないさね!」
すぐに席を立ち、エインズの容態を窺いながら気休めに背中をさするシギュン。
「ジデン! 正直に言いな! あんた、この子に何の毒を使ったんだい!」
「……」
先ほどまで浮かべていた柔らかい表情は消え去って、悲痛な面持ちでエインズを見下ろしながらも、それでも口を開こうとしないジデン。
「ジデンくん? きみの上司である僕を目の前にしても言えないことなのかい?」
「……申し訳ありません。イオネル様、シギュン様」
イオネルの問いに目を伏せながらそれでも答えないジデンに、シギュンより冷静さを持ち合わせていたイオネルはすぐにジデンの背景を察することができた。
「かはっ……」
吐血までし始めるエインズ。
顔色も悪く、服も吐しゃ物と血で汚れてしまっていた。
「……婆さん、無理だ」
「イオネルまで! 何を言うんだい!」
涙を浮かべながらエインズを優しく抱きかかえるシギュン。
「ジデンくんがここまで口を開こうとしないんだ。おそらく皇帝の差し金なんじゃないかな。そうだろう、ジデンくん?」
「……。申し訳ありません」
ジデンの中でもひどく葛藤したのだろう。この一言にジデンの苦しみがにじみ出ていた。
「あの坊はここまでして……!」
エインズを抱きかかえるシギュンの手に無意識に力が入る。
その力に通常であればエインズは痛がる様子を見せるものだが、エインズはすでにその痛みに抵抗をみせることもない。
「こうも早くエインズくんが魔術師の洗礼を受けるとはね……」
イオネルが目を向ける先、エインズはすでに息を引き取ってしまっていた。
「エイちゃん……、ごめんよ。あたいがもう少し、もう少しエイちゃんの力になれたなら……」
込められていた力が抜けたシギュン、口元の血が乾きはじめたエインズの小さな身体が僅かに軽くなった気がした。
離れたところで、イオネルは肉が燃える臭いに鼻を曲げながら燃え盛る家屋を眺めていた。
「イオネル様、終わりました」
イオネルの横にジデンが並び、イオネルに倣っていまだ火が沈静化していない村に目を向ける。
「やぁ、ジデンくん。ご苦労だったね」
「いえ、まあ、苦労はなかったですが……。私も人ですから、敵国ながらさすがにこれには僅かに心を痛めました」
と言いながらも、その表情は普段と変わらない。
「ジデンくん。婆さんに言わせるとさ、僕たちがここで会話をするのもこれが五回目なんだってさ」
「はぁ……。言っている意味が分かりませんが」
「まあ、ジデンくんには分からないだろうね。僕も前の四回を覚えているわけでもないし、正直なところジデンくんと同じ感想を抱いているんだけどさ」
「イオネル様、私の数少ない休日を潰しておきながら、こんな謎かけをするためにここまできたのですか?」
「いやいや。これはとても重要なことなんだよぉ? 婆さんもさ、どうやらあの子にはかなり入れ込んでいるみたいでね」
「あの子、とは? それに、婆さんというのも私には分かりません」
尋ねても尋ねてもイオネルからは答えが返ってこず、むしろ疑問が増えていくジデン。
イオネルも答えるつもりもないようで、しばらく燃える村を眺めていた。
「……なるほどねぇ」
表情をやわらげ、どこか納得した様子をみせるイオネル。
「イオネル様、どうしました?」
「いいや。さて、僕たちもここを離れるよ。帰る準備をしようか」
「はぁ……。何が何だかさっぱり分かりませんが、承知しました」
村がいまだ燃え盛る中、イオネルとジデンはシルベ村を後にした。
鎮火した翌日、様子を見に来た隣村のエバンとシリカによってエインズはタス村に拾われたのだった。