×2-9
「それで? イオネルは生まれたての魔術師をいったいどこから連れてきたのだ?」
「さて。導師雷帝イオネルが笑みを浮かべながら戻ってきたのち、箱庭の魔女の住処へと向かったところまでは存じているのですが」
「ふむ。余といえど魔術師を相手では勝手が利かんからな。……その魔術師の素性を知っておきたい」
ここはガイリーン帝国の宮殿の一室。
石造の宮殿は皇帝の権力の象徴であり、その細かな装飾も帝国屈指の職人を集めて作らせたもので簡素な家屋しかないこの時代にはその存在感は圧倒的なものである。
丁寧に磨かれたタイルが床一面に広がっており、そこに金で作られた椅子とテーブル、宝石が散りばめられた装飾品も多く並んでいる。
この国でただ一人座ることができるその金の椅子に、向かいに立つふくよかな体格をした男性に話しかける青年が気だるそうに肘をつきながら座っていた。
「陛下ならば箱庭の魔女と対等にお話しなされるのではないのですか?」
ふくよかな体格をした中年男性はガイリーン帝国の宰相をしているジラード。
ジラードは髭を触りながら、陛下と呼ばれた青年カリグラ=ディ=ガイリーンを真っすぐに見つめる。
「政や俗事においてはシギュンとも対等に話せるさ。まあ、婆さん相手に話すとなると普段よりも声を張らなければならないのが億劫ではあるがな」
カリグラは首を横に振りながら「それでも陰口だけはどんな声量でも聞き取ってしまう地獄耳を持っているのは笑えるが」と冗談交じりにジラードに返した。
「では陛下が直接お尋ねくだされ。私では恐れ多くてシギュン様とお話することができませぬ。軽口をたたく雷帝くらいであれば私でもなんとか話はできますが……」
しかしカリグラは首を横に振った。
「そうなのだがな。こと魔術においては余でも口出しすることが出来ぬのだ。なにせあやつら魔術師は帝国よりも余よりも魔術を信奉する変態だからな」
「そんな! 陛下をおいて他に重んじるべきものなどありえません! その思想はなんと——」
「良いのだジラード。余はそんな変態どもを認めて、余のために働かせているのだ。帝国がここまで繁栄できているのも奴らの知識、そして得体のしれぬ実力があるからだ」
「しかし!」
「奴らが信奉しているのは余ではなく魔術。ならば余と奴らの関係は、余とジラードや帝国の民草のそれとはまったく異なる。互いの領分には干渉せず、相互利益のために手を取り合っているに過ぎない。であれば余とてその線引きは守らなければならない」
ため息をつき、侍従に一瞬目をやったカリグラ。
控えていた侍従はすぐにカリグラの意図するところをくみ取り、金で作られたグラスと水差しを用意する。
侍従はカリグラとジラードの会話の邪魔にならないよう静かに動き、金のグラスをカリグラに差し出すとその中に水を注いだ。
「陛下はこの世のあらゆること全てが許されるお方でございます! 陛下が一歩引くなどとそんな……」
一口水を飲んだカリグラは激高し顔を赤くしているジラードを見て小さく噴き出した。
「そうよな。余は全てが許される。だがなジラード、そなたの言う『世』とはなんだ?」
「……陛下が統べていらっしゃいます現世でございます」
「ふふふ、そうではない。……だが、これは問いもよくないな。そなたが何も意識せず口にした世とはこの世のあらゆる事象、森羅万象を言いたいのであろう?」
「はい……」
「森羅万象であれば余の管轄である。だが魔術師が生き、扱う事象はその森羅万象の外側なのだ、らしいぞ? 理から外れた命に理から外れた力」
カリグラがそこまで話し何を言わんとしているのか理解したジラードが代わって続けた。
「森羅万象が許される陛下でも、魔術師ではない陛下ではその外側の事象においては手が出せない、と。だからシギュン様はじめ魔術師の領分には踏み入ることができないということですね」
「そうだ」
金のグラスをテーブルに置いたカリグラは「しかし」と一つ間を置いて表情を険しくした。
「だからといって、それによって余に害を成すのであればそれは話が変わってくる。イオネルに帝国を離れる許可は出したが、その魔術師の脅威までも呑んだわけではない。まずはその魔術師のことを知りたい」
ジラードは髭を触りながら思案する。
とはいえ、ジラードもイオネルが連れてきたという魔術師のことを知らない。イオネルやシギュンの他に魔術師のことを知っている者はいないだろうか、白い髭を指で弄るジラード。
「……そういえば帝国魔法士が何人か同行しておりましたな」
「ん?」
ぽつりとこぼしたジラードの言葉にカリグラが顔を上げた。
「イオネルと常日頃から行動を共にしている魔法士といえば私に一人心当たりがあります」
「ほう、その者ならば何かしら知っていると?」
「可能性は十分にあります。すぐに呼んでまいります」
ジラードはカリグラに頭を下げてから退出し、イオネルとともにシルベ村へ行ったジデンを宮殿まで寄越すよう指示を出した。
そのころ、イオネルとの一件以降久しぶりの休暇をのんびりと寝床で横になりながら怠惰に過ごしていたジデン。
「怠惰、大いに結構なことです。休日はこうでなくてはなりませんね」
ここ数日、朝も昼も夜も常に瞼が鉛のように重く気を抜いてしまうとすぐに瞼が閉じられ意識が遠のいていくのを感じていたジデン。
それでも業務に支障があってはならないとペン先で太腿を刺し、ペンを手にしていないときは口の中で舌先を噛んで痛みで紛らわせた。
「今日こそはイオネル様に何を言われようとも部屋からは出ません。何としても! なんならノックも無視してしまいましょうか」
ベッドにただ身を委ねるジデン。それだけでジデンの口角がわずかに上がる。
この程度のことで幸福を感じてしまうほどジデンの身体は睡眠という極上の甘い蜜を欲していたのだ。
ゆっくりと瞼が閉じられていくその時だった。
そんなジデンの安寧をぶち壊す音が出入り口のドアから聞こえてきた。
軽く三回叩かれたその音にジデンの瞼は再び持ち上げられたが、先ほどノックの音には耳を貸さないと決意したばかり。
ジデンはその身体を起き上がらせることはしなかった。
再度、三回ノックされる。
「イオネル様もどうせそのうち飽きて帰るでしょう……」
だがジデンは知らぬ存ぜぬ、寝床から動くことはない。
「私はジラード宰相の遣いで来ているのだが、ジデンは不在なのか?」
ドアの向こうから聞こえた言葉にぴくりと眉が反応するジデン。
「すぐに皇帝陛下がいらっしゃる宮殿まで向かうよう言伝されているのだがどうしたものか……」
皇帝陛下、宮殿。
瞼の重さなど一瞬で消え去ったジデン。
背中を包み込むベッドも今は煩わしいばかり。
飛び上がるように寝床を後にしたジデンはドアまで駆け寄り勢いよく開いた。
「うおっ」
勢いよく開かれたドアにジラードの遣いも驚き後ずさる。
「すみません、すぐに応対することができず。近ごろ腹部の調子が悪く先ほども便所に籠っていたものでして、ははは……」
死んだ目で笑うジデン。
これで今日という休暇もつぶれることが確定したなと口から自身の魂が抜けていく感覚を覚えた。




