20
十分に身体が温まったダリアスは浴槽の縁に座り上半身を冷ます。ダリアスの白い肌から湯気が上がる。
「エインズのことだ。どうしてあの女に言わなかった」
「言うもなにも、リディア様に報告した以上のことは何も話すことは残っていませんよ?」
ルベルメルがわざとらしく小首を傾げるが、ダリアスはそれを鼻で笑う。
「嘘をつくな。僕が魔術に目覚めた時、魔術学院でエインズと対峙しただろう? あの時お前は何か気づいたはずだ」
「……」
「あの時はあまり意識していなかったが、エインズの言葉を聞いてあの時お前は明らかに動揺していた。お前が動揺するほどの内容をなぜ言わなかったんだ」
ルベルメルと行動を共にしてダリアスは彼女について気づいたことがある。ルベルメルはあまり自身の感情を前に出さない。
もちろん笑ったり怒りを見せることはあっても、それが純粋な本心から出たものではないことをダリアスは知っている。あらゆることにおいて、基本的にルベルメルは打算的に行動する。その一時の感情を見せる仕草でさえもルベルメルの打算が働いている。
ルベルメルは「気づいていましたか」と息を小さく吐いて一区切りつけてから口を開いた。
「……たしかにダリアス様のおっしゃるように、あの時私はエインズ様の一端を知りました。ですが、確証がありません。理解した私自身、今もなお信じられない程のものですから」
「確証がなくとも、お前たちのトップだろう? 普通、情報の共有はしておくべきだと思うがな」
ルベルメルは自身の身体に刻まれた術式痕を指で触りながら、湯気がぶつかり水滴がまばらに出来ている天井を見上げる。
「……所詮私は魔法士なのですよ、ダリアス様。そんな私がリディア様とエインズ様二人の魔術師の間に介在してあれこれするというのは無粋が過ぎるのです。ましてやエインズ様は……」
ルベルメルはそこで言葉を飲み込んだ。
ダリアスはエインズの正体に気づいていない。魔術師の一人としか認識していない。
「それでも、そんな私ですがダリアス様に一つお願いがあります」
「……なんだ?」
「インチキな魔法士風情の私ですが、くれぐれもダリアス様にはエインズ様と対峙しないでほしいのです」
「……」
ルベルメルが見たエインズの魔術は彼の力のまさに氷山の一角。対峙したリディアの話ではそれ以上の力の行使をしたはずだ。
そしてリディアの魔術を知っているルベルメルからすれば、そんなリディアをいとも簡単に打ち負かしてしまうエインズは、彼女の想像以上の、いや、エインズの正体を考えれば想像通りの化け物だ。
「私はダリアス様をずっと隣で見ていたいのです。どうか小物の戯言ですが、頭の隅に残していただければ」
彼がルベルメルと行動をともにして様々感じたように、彼女もダリアスと行動をともにして感じる部分があったのだ。
一人の生意気で傲慢な世間知らずのガキが、一人の男として自立していくその様子をルベルメルは見ている。
「それこそ魔術師間の問題だ、お前には関係ないだろう。僕は僕が思うままに行動するだけだ。その時僕の目の前にやつが立ちふさがるというのならば、そういうことだろう」
魔術師とはそういうものだ。でなければ思い、欲望、願望、祈りを力として具現化させるに至らないだろう。
「そう、ですか……」
目を伏せるルベルメル。
「……ただ、僕もお前の道化を見られなくなるのは少し寂しい。実際に、その状況と直面した時にどうなるのかは分からないが、お前の言葉は頭の隅に残しておこう」
ダリアスは浴槽から出て、置いてあるタオルで身体を拭き始める。
「意外とお前たちも一枚岩ではないんだな」
風呂を終えようとするダリアスを見てルベルメルもタオルを手に取って身体を拭き始める。
「リディア様には恩義があります。そして目的も一致しています。だから『次代の明星』が出来上がったのです。ですが各々がその目的に何を見出しているのか、それは様々だと思いますよ。直感で思うのです、エインズ様の行動原理はきっと私が見出している価値と同じなのだと」
「ふんっ、敵対したいま何を言う」
「行動を共にできた、そういう道も一つあったのではないかと思っただけでございますよ」
「……」
行動原理。ダリアスは自身に問う。自分の行動原理は何なのか。だが、やっと小鹿のように足を震わせながら立ち上がったばかりのダリアスはまだ自身を見つめなおしている最中。答えはまだ出ていない。
「ほら行くぞルベルメル。次に向かうところはどこなんだ?」
「次は——」
少なくともルベルメルと一緒にいるこの時間も悪くはないと思うダリアスだった。
〇
リディアの襲来から数日が経ったエリアス。
エインズの言葉により、そして旧友カンザスから文で再度自身を奮い立たせたアラベッタを陣頭に街の復興は始まっていた。
今はまだ倉庫街の瓦礫の山を処理している最中だったが、先頭に立つアラベッタの姿に領民は安心してついていった。
アラベッタから便宜を図ってもらっているエインズたちも協力した。寝床と食料を与えてもらっている分は働かなければとエインズは魔法を活用して、ソフィアはエインズの補佐として彼の横で作業をしていた。タリッジは自慢の馬鹿力を存分に発揮していた。
「エインズ殿、今日もお疲れ様でした。助けてもらってばかりで恐縮ですが、大変感謝しています」
ダイニングで夕食を皆で囲みながら、アラベッタがエインズを労う。
「いえいえ、僕にはどうもヒモでいられる図太さがないみたいですので。白い目で見られるくらいならこの美味しい料理分は働いたほうが精神衛生上楽なのです」
「そんな! 私はエインズ殿に頭が上がりません!」
ガシャガシャと音を立てながら豪快に食していくタリッジと、それをチクチクと注意するソフィア。そんな二人にもアラベッタは声をかける。
「お二人にも感謝しています。半魚人の討伐から復興作業にまで協力していただき感謝する」
「お気になさらないでくださいアラベッタ様。こちらはこんな無礼者をアラベッタ様の屋敷に居座らせてしまっているのですから」
「あん? 俺のことを言ってんのか?」
ソフィアの言葉にタリッジが怪訝そうに顔を上げる。
「口に物を入れたまま喋るな馬鹿者。自身の無礼な振舞いを自覚しろ」
「エインズだって食べる時によくこぼしているじゃねえか、同じだろ俺と」
「同じではない! エインズ様の場合は、そのやんごとないお口からはみ出さん食べ物の方が悪なのだ」
タリッジはエインズの食器の周りをフォークで指し示してソフィアの目を向かわせる。
「お前の脳が物事をどうやって認識してんのか不安になってくるぜ……。それじゃあ、主人に悪事を働いたあの食べかすは従者のお前が処理しなけりゃいかんな」
タリッジはソフィアを試すようなニヒルな笑みを浮かばせて続ける。
「お前、あれを拾って食べて処理できるのか?」
「当然だ! むしろご褒美だ。私の方からエインズ様に願い出たいくらいだ」
ソフィアは真剣な眼差しでエインズを見る。
エインズは食べていた手を止めて、苦笑いを浮かべた。
「……ソフィア、ちょっとキツいかも……」
エインズに引かれたソフィアは涙を滲ませながら肩を落とした。