17
エインズは右手を無造作に振り、黒炎を飛ばす。
飛ばした方向にリディアがトリガーとしていた室内灯があり、エインズによって一瞬にして燃やし尽くされてしまった。
「まさか、気づいて……」
「視線がね、分かりやす過ぎた。まだまだ魔術師との闘いに慣れていないようだね」
明かりが消えた書斎は、エインズから溢れ出る魔力の淡い光と窓から差す月明かりのみ。それでも両者の姿ははっきりと確認できるくらいの明度はある。
エインズの胸元から右腕にかけて伸びていた黒炎を彼は解除する。
右腕に纏っていた黒い靄はエインズの胸元に戻っていき、そして小さく消えていった。
これでリディアの攻め気を失わせた防御魔術はなくなった。
(だが、肝心のトリガーがない)
リディアがエインズに魔術を用いた攻撃はできない。
そんな中、エインズは右手の人差し指をリディアに指さすように持ち上げる。
「疑似解除『負荷評定』」
エインズがリディアの顔を差していた指を静かに下ろす。
「っ! がっ!」
直後、リディアの身体に上方から強烈な重圧がのしかかった。膝は折れ、両手を地面についても自身の頭を持ち上げるのがやっとのほどの重圧。
背中の一点が押されているというわけではなく、身体全体を均等な力で上から押さえつけているような感覚。
伏しているリディアの周囲も重圧がかかっているのか、床も軋み窪みが出来ていた。
「なん、だ……、これ……」
リディアが少しでも腕の力、腹筋背筋を緩めようものならあっという間に上からの重圧で床を舐めることになりかねない。
当然その場から動くこともできない。
「最近覚えた『金言』でもよかったんだけどね、あれは対価が必要だから少し使い勝手が悪いよね」
リディアは生まれたての小鹿のように四肢を小刻みに震わせながら必死に重圧に耐える。
「決闘ならば勝ち負けが明確にならなければ終われない。それを反故にしようだなんて」
エインズは左手に嵌めた指輪に魔力を通し、アイテムボックスを展開する。中からくたびれた剣を一本取り出し左手で握る。
「まあでも、いい勉強になったでしょ? よかったじゃないか、次に活かせるといいね」
さび付いた刀身をリディアの無防備な首の横に構える。
「それだけ、力……。お前の、目的……、はなんだ?」
筋肉の酷使に汗が滴り落ちるリディア。
エインズも見上げるリディアはこう思う、目の前の男は次元が違う。魔術師なんて生ぬるい枠組みに自分とこの男を一緒にしてもらっては困ると。
理を歪める力——、魔術。その魔術をエインズは複数扱い、そして尚且つ他者の魔術すらも自分のもののように扱う。
自身でも王国の敵と認識しているリディアが思うのだ、こんなやつがこの国に、この世にいて良いわけがないと。
(こいつ一人でいくつの国を滅ぼせる……)
こんな粗末な得物で殺されてしまうのか、とリディアは自身の藪蛇だった行動をひどく後悔した。
「僕の目的? そんなものは昔から何一つ変わらない。そのために僕は魔術を探求する。魔術の探求は目的を果たすためのただの手段だよ」
エインズは「それでも今みたいに娯楽として扱うこともあるけどね」とクスクス笑った。
エインズは錆びた剣を振り上げる。茶色の刀身が月明かりに光ることはない。
「それじゃあ、さようなら。今回の教訓を得て、次の旅路に行ってらっしゃい。願わくは次の僕と魔術談義に花を咲かせることを望むよ」
「次、の……、旅路……? な、にを……」
リディアは彼女の人生において、数少ない二度目の死を覚悟して恐怖した。
鋭い名刀ではなく、盆暗な鋼の延べ棒のような剣で叩き切られる恐怖。エインズが持つ剣の刃では綺麗にリディアの柔肉を斬り分けることはできないだろう、肉を千切られ骨を砕かれ激しい鈍痛の先に命が絶えるだろう。
(ルベルメル、頼むぜ……。あたしの言いつけ、しっかり守っていてくれよ! じゃないと枕元で化けて出てやるからな!)
エインズが鈍い剣をリディアの首を目掛けて振り下ろした。
「限定……、解除『か、がみ通り』」
死に際のリディアは渾身の力で魔術を発現させた。
直後に空を切るエインズの錆びれた剣。
先ほどまでリディアのいた場所はエインズの魔術による重圧で陥没し、彼女が垂らした汗だまりだけが残った。
「へぇ……、あの状況からでも逃げられるんだ」
エインズはリディアのいなくなったその場所に錆びた剣を放り投げる。
噴き出していた魔力はエインズの身体の中に引っ込み、右腕は空間に溶けて消えた。
「エ、エインズ様……」
掠れる声でエインズに声をかけるソフィア。
エインズはソフィアに反応せず、床に落ちた白手袋を拾い上げ、肩に留める。
「でもそれでよかったのかい? せっかくの機会を君は逃してしまった。俗な人生に固執するだなんて、まだまだ精神が未熟だね」
エインズは続ける。
「死の先に□□に近づけるというのに。豊潤な苦悩を前に自身と真に向き合えるというのに、その機会を逃すとは……」
ガラスが砕かれた書斎の窓にはエインズの表情は映されない。
「……そんな志がない君の魔術は、僕の目的のためにも制約もろとも奪い上げないとね」
エインズの呟きは窓から吹き込む風に紛れて誰にも届くことなく消えた。
リディアを撃退したエインズとソフィアは書斎を後にして、アラベッタとタリッジの二人に合流することにした。
多くの使用人とともに庭に避難していたアラベッタのもとにエインズとソフィアは無傷の姿を見せた。
「エインズ殿……、無事でよかった」
ほっと胸を撫でおろすアラベッタ。
「すみません、長引いてしまいました。あと、書斎もけっこう滅茶苦茶にしてしまって……」
と恐る恐るアラベッタに目を合わせるエインズ。
「エインズ殿……」
「ち、違いますよ! 全部が僕のせいじゃありませんからね! 彼女が、彼女が動き回ったりして、どうにもいかなくて……。それにあの時、僕は『書斎の損害は君に弁償してもらうから』って伝えたのに彼女逃げちゃって。いやー、本当に困ったもんだよね、ソフィア?」
「はい、エインズ様は何も悪くございません」
アラベッタの何とも言えない表情にエインズは何を勘違いしたのか捲し立てるように言い訳を並べた。




