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「おいおい、なんだその黒い靄は? 不気味な右腕に不気味な黒い靄、気持ち悪さが渋滞しているじゃないか」
冷や汗を浮かばせ、口角を引きつらせるリディア。
彼女からすると、エインズの右腕が纏っている黒炎は、ただの揺らめく黒い靄にしか見えない。
世の理を歪ませる魔術ゆえに、発現させた魔術による現象というのは普段生活をしていて目にするものとはまったく異なるものが多い。
幼き少女、黒炎の魔術師が発現させた『黒炎』はまさにリディアが目にすることがなかった現象。
経験や知識が豊富なリーザロッテならば黒炎の発現の仕方やその靄のように見える炎を確認すれば一目で理解するだろうが。
エインズはただ真っすぐリディアに向かって歩を進めるだけ。
「はは、は。なんて怖い……」
『鏡通り』も忘れて、ただ本能的にリディアはエインズが近寄ってきた分だけ後ずさる。
エインズの歩く姿はただただ異様に映る。
彼に相対するリディアは当然ながら、端で控えているソフィアも思わず息をのんでしまう程。
はっきりと視覚できるほどに全身から膨大に魔力を溢れさせ、奇妙な右腕に不気味な黒い靄。
魔法士はさることながら、魔女リーザロッテ以上の凄まじい威圧感があった。
リディアはエインズと一定の距離を取りながら、彼の側方へ回り込むように移動する。
(気安く近づけない……。あの口ぶり、間違いなくあの靄も魔術の一つ。であるなら、あの靄に触れたらどうなるか)
エインズから逃げるのは確定しているとはいえ、可能ならば一発くらいその不愉快な横っ面を殴っておきたいリディア。
(それに黒い靄の情報も可能な限り持ち帰らないと、次回に影響してしまう)
その靄が魔術師であるリディアに向かうのか。はたまた所詮は魔法士である『次代の明星』の面々に向けられるのか。
現状、間違いなくリディア以外の面々が寄り集まってエインズを攻撃しようとも軽く封殺されてしまうのが目に見える。
エインズは立ち止まることなくゆっくりとリディアに寄っていくのみ。
とはいえリディアもこのまま延々距離を取っていられるほど余裕はない。書斎の壁より先は下がれないのだ。
リディアは銀針を取り出しエインズへ投擲する。
放たれた銀針にこれといった動きを見せないエインズだが、黒炎だけは違った。
エインズを致傷させん針は彼にとって害悪そのもの。それを見逃す黒炎ではない。
黒炎は大きく揺らめいて、銀針に向かうようにして展開される。
黒炎に触れた針は燃えかすも残さず、完全に燃焼された。
リディアは続いて複数本、エインズの全身に向けて針を投げる。
黒炎は再び揺らめくと、エインズの前で薄く広がりその全てを燃やし尽くした。
「防御魔術ってわけね」
リディアは今度、『鏡通り』を用いての攻撃を試みる。
黒い靄の動き方を見た限り、どのようにして靄が針を認識したのかは分からないが投げてから防御膜が展開されていた。リディアはそこを突く。
加えてリディアの目から今のエインズはリディアの動きを完全に油断しているように見える。
エインズによって窓は割られてしまったが、室内灯のトリガーは残されている。
「あんまり不躾にレディーに近寄るもんじゃないぜ、怖い怖い魔術師さん。これじゃ、流石のあたしもメス丸出しに悲鳴を上げるしかなくなっちまう」
リディアは軽口を叩きながら、ちらりと室内灯を確認してトリガーを設定する。
服の内側から大量の針を取り出し全てをエインズに投げる。
その内のいくつかがリディアの魔術によって室内灯をトリガーとしたパスへと消えていく。
リディアの想像通り、どこかのタイミングでエインズの身体に刺さると判定されたもののみを対象に黒い靄を防御に動いていたようだ。
ゆえに投げた直後に魔術のパスに吸い込まれていく針は燃焼されなかった。
(今のあいつの動きならば間違いなくあの針はやつに届く)
真っすぐエインズへ向かって投げられた針は、黒炎がエインズの正面に展開されてその全てを燃やし尽くした。
「今だ!」
黒炎がエインズの正面に展開されたと同時、パスの中でいくつにも分裂した針がエインズの後方から雨のように降り注ぐ。
エインズもリディアを油断しきったままなのか、回避行動を取ろうともしない。
「残念だね、今の『黒炎』はある意味で完全防御魔術として完成しているんだよね」
エインズは後方からの針を見ることもなく、ただリディアに微笑みかける。
エインズの正面に展開されていた黒炎は、その見た目からは想像できないほど素早く揺らめき、エインズの全身を包み込むようにして展開した。
後に黒炎の膜にぶつかりその全てを燃やし尽くされてしまう銀針。
「……全方位防御ってのは流石にどうしようもなくないか?」
その光景に、リディアはお手上げとばかりに大きくため息をついた。
「さあ、どうかな?」
リディアは今の光景に勘違いをしてしまった。
今のリディアの攻撃がもし黒炎の魔術師に向けられたものであったならば、その結果は間違いなく彼女の望んだとおりになっていただろう。
黒炎の魔術師が認識しない後方からの銀針を害悪として迎撃することはない。発現者に降りかかる害悪を全て燃やし尽くす炎の網を搔い潜り、針はその柔肌に突き刺さっていただろう。
だが、ことエインズにおいてはそれが起こりえない。
エインズはすでに右目の魔術を発動させている。
一瞬では数えきれないほどの針をリディアが投げた瞬間にその後の攻撃全てを把握していたのだ。
『からくりの魔眼』と『黒炎』の二つの魔術を併用することによって完全な防御魔術として完成されたのだ。
だからこそリディアは勘違いしてしまったのだ。そしてその勘違いはリディアの攻め気を失わせるには十分すぎる程のもの。
勘違いしたままのリディアだが、それでも『黒炎』について彼女なりの情報を手に入れた。
(あいつを一発ぶん殴れなかったのは悔やまれるけど、当初の目的は十分に達成できた。あとは無事に帰られるかだな……)
攻め気をなくしたリディアは『鏡通り』を使用して安全圏まで退避することを考える。
しかし、それを読み取れないエインズではない。
「決闘の最中に逃げるのは流石に見過ごせないよね。ここまで最低限、僕に相対してきたから手心を加えてきたけど、そうなったら話は別さ」
ハイファンタジーの新作を投稿いたしました。
少年の成長物でございます。
タイトル
『竜騎士 キール=リウヴェール』
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ぜひ気分転換がてらにお読みいただけたらと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。




