14
室内灯をトリガーにした魔術パスを抜けて飛び出した針は十数本。アームや装飾、針の姿を映したトリガーの数は十数個あった。
そのどれもから同じ一本の銀針を射出したのだ。それによって分身したように増えた針。
針の雨がエインズを襲った。
「へえ! これは驚いた!」
エインズ自身も一本の針に対する回避行動を考えていたようで防御魔法を使うことを考えていなかったようだ。
生身の回避行動では限界がある。
「っ!」
間近で見ていたリディアでも驚くエインズの優れた足さばきだったが、それでも数本エインズの頬を掠めていった。
「……まじかよ。これでかすり傷程度かよ」
バックステップでエインズから距離を取ったリディアは額を流れる汗を袖で拭って愚痴をこぼした。
「エインズ様!」
頬から出血したエインズを見て、慌てて駆け寄ろうとするソフィア。
「大丈夫だよ、ソフィア。いま僕はすごく楽しい」
「エインズ様……」
ソフィアが覗いたエインズの横顔は本当に満面の笑みだった。
頬から垂れる血を気にすることもなく、心の底からリディアとの対峙を楽しんでいるようだった。
「楽しいかい。そりゃよかった」
「あんまり期待していなかったけど、君の魔術は本当に楽しい。本当に魔術師どうしの戦闘って感じだよ」
手を広げ語るエインズの声色は嬉々としたもの。
打って変わってリディアの表情は硬い。
「つってもお前は右腕を見せてねえ、見せてくれたらあたしはもっと楽しいがな」
エインズは「ふむ……」と顎に手をやり少し考えた後、口を開いた。
「そうだね、そこまで見たいのなら見せてあげよう。なにせ今は魔術師どうしの決闘なのだから、それ相応の魔術を見せないとね」
「いや、べつに決闘のつもりじゃ——」
リディアの言葉を待たずにエインズは紡ぐ。
それはリディアが耳にしたことのない言葉。
「——不完全解除『万能なる右腕』」
「「えっ?」」
一つはリディアのもの。そしてもう一つはソフィアによるもの。
ソフィアも知らない、限定解除のその先にある魔術の在り方。
「なんだ、君はまだ至っていないのかい? なら、勉強していくがいいよ。魔術の第二段階、不完全解除を」
リディアの瞠目した表情、これだけで彼女が魔術師として歩んできた歴史が浅いことを物語っている。
魔術師として生きていれば、自身が不完全解除に至っていなくとも至った人間と対峙することもあるだろう、リディアにはそれがない。
加えて、先述リーザロッテと対峙したと自分で言っていたリディアが彼女から魔術の第二形態を見せてもらえていない点、これだけでリディアの評価というものが知れる。
(不完全解除……? 聞いたこともない。魔術の第二段階、ってことはあたしの魔術はまだ完成されたものじゃない?)
自信に満ちたエインズを前にリディアは戦慄した。
この世界において魔術師というものは珍しい存在のようで、リディアは自身の他に魔術を扱う者とこれまで会ってこなかった。
だからこそリーザロッテと対峙するまでは他者と比べ自身の絶対の優位を疑わなかったし、結果もその通りになってきた。
魔女と対峙して、自分と同等の存在がいることに少し動揺してしまったリディアだが、とはいえ魔女が特別なだけで、他に魔術師が存在したとしても自分の魔術の優位性は揺るがないと信じていた。
「だ、だが知っているぜ? お前の右腕の魔術は何かを奪うだけの魔術なんだろう?」
「……」
不敵に笑うだけのエインズ。
「あたしから何を奪う? この銀針か? それでどうやってあたしを攻撃するつもりだ?」
自分でも喋りすぎだとリディアは理解していた。
焦りを隠そうと無駄に口がまわってしまう。声が微かに震える。
ルベルメルからの報告を受けたリディアだが、エインズの言うことが本当ならば彼女が見た右腕の魔術は第一形態の魔術。
「奪う」のその先を、第二形態の魔術をルベルメルもリディアも知らない。
つまり空回りしたようにリディアの口から発せられた指摘も的を射ていない可能性すらあるのだ。
書斎にある燭台の火が揺らめき、室内灯の明りがエインズの右腕を照らす。
空だった右腕に半透明な手首から先が現れる。
半透明な手にはうっすらと血管らしき管が指の先端まで通っているのが分かる。不気味さを帯びているものの、それが人間の手を模していることはリディアでも分かった。
だが、決定的に人外の手と認識してしまうのには、その存在が確定していないような半透明さと血管の中を赤い血が流れていない二点がリディアにこれが魔術だと認識させる。
(……動けない)
リディアは動けない。
魔術を使えば設定したトリガーを引いて自在に移動できるはずの彼女が一切動けない。動いた先にあの右腕がどうリディアに襲い掛かるのか想像もできないからだ。
エインズはゆっくりと右肩に留めてある白手袋を左手で掴み、右手に嵌めた。
右手を何度か開閉させて具合を確かめて頷くエインズ。
エインズの戦闘態勢が整ったと認識したリディアは思わず後ずさった。
「……疑似解除『強奪による慈愛』」
ガクリ、と僅かだが力が抜けていく感覚がリディアにあった。
直後、リディアがエインズの頬につけたはずの傷が癒されていく。それはポーションの治癒速度を凌駕して、元から傷などなかったとばかりに痕を残さずあっという間に消し去る。
「それはリート少年の魔術!?」
リディアは思わずエインズの従者を見てしまう。
(あの治癒は魔術なのか? というかあの女剣士、変なことを。あれは他者が使っていた魔術だと?)
リディアは後先を考えずに、とりあえず持っていた針を真っすぐエインズに投げた。
攻め方を考えていないリディアの投擲は、魔術のパスを通ることなくただただエインズの顔目掛けて飛ぶ。
「ふふっ」
これをエインズが避けられないわけがない。だが、彼はそれを分かっていて僅かに顔を横に傾けるのみ。