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「どうしたの? 逃げないのかい?」
エインズはそれを何もせずにこりとリディアに微笑みかけるだけ。
「っ!」
数拍遅れて思考が戻ったリディアは飛び退いてエインズから距離を取った。
「舐めてくれるじゃないか。なるほど、どういうわけかあたしの魔術のタイミングが分かるらしいな。だけど、跳ぶだけの能力じゃないんでね!」
リディアは目だけを動かし、書斎の中を再度確認する。
彼女の魔術のトリガーになるものの確認。
書斎から青々とした木々を覗ける窓もいまは、暗闇を映しエインズやリディアらを映す鏡と化している。
(これがまず一つ)
書斎の天井から吊るされた室内灯。リーザロッテの部屋にあったものに比べ随分と質素なものではあるが装飾がなされている。
(これは使えるか……?)
とりあえずこれも候補にいれておこうとリディアは室内灯の位置を確認しておく。
書斎に並ぶ調度品も確認するが、魔術のトリガーになりそうなものは見当たらなかった。
「……辺境の領主程度では期待しすぎか」
思わずぼやくリディア。
リディアは服の内側から針を一本取り出して構えた。人差し指と親指の二本で持ち、指の間で転がしながら遊ぶ。
「それじゃ、気を取り直していかせてもらうよ!」
リディアは身をかがめて前に飛び出す。
「えっ?」
驚きの声を上げたのはエインズではなくソフィア。これまで瞬間移動を続けてきた彼女がここにきて正面から突進をしかけてきたことに驚いたのだ。
「針による刺突。でもどうして突進? 二度防がれただけで、魔術でフェイントをかけながら死角から攻撃した方が有効ではないのか?」
相対するエインズに一切の驚きはない。
その魔眼が驚く必要はないと眼の持ち主にささやきかける。
「次は何をしてくるのかな?」
焦りを浮かべる様子もないエインズを前に、リディアは駆けながら針を持った手を後ろに回す。
リディアの背後には鏡と化した書斎の窓。
「限定解除『鏡通り』」
リディアは後ろ手で針を指ではじく。
弾いた瞬間にトリガーは引かれ、魔術が発現する。
(狙いは……)
狙いを定めながらリディアは速やかに背中に仕込んでいた針を取り出して、駆けながらエインズに見せつけるように横に構えて持つ。
あたかもずっと針を持っていたと言わんばかりにわざとらしく。
懐まで入ったリディアは持っていた針でエインズの左太もも目掛けて刺突する。
「安直だね」
銀色に輝く針をバックステップで避けるエインズだが、その視線は下に向けられる。
それなりの速さで突進をしかけてきたリディアだったが、エインズが避けられないほどでもない。一般的に、魔法士を相手にした最善策は接近戦へと持ち込むことだがそれはエインズには有効打とはならない。
剣術を会得しているエインズは接近戦の対応も剣王以上の技量を持っている。リディアのこの程度の刺突など攻撃とも感じない程だ。
「安直なのはお前だ馬鹿」
リディアの声、視線を下に向けられたエインズの右方から勢いよく放たれる針。
リディアの魔術による鏡と化した窓をトリガーとした通り道を抜け現実世界に再び放たれた針。
それはトリガーとされた窓が映す景色に限定して、自在に物の移動を可能としたリディアの魔術。
もちろん窓を覗き込む角度によって映す景色は違うが、条件となるのはリディアが視認した時のもの。
よって今、窓に設定されている景色の範囲は先ほどリディアが書斎を見回しトリガーを探していた時に設定されたもの。
エインズのこめかみを貫かんと走る銀針は完全にエインズの死角からの攻撃。加えてリディアによる視線誘導、針の所在確認も既になされている。
つまりこれは完全なる不意からの一撃。
リディアの自身の瞬間移動による攻撃も、攻撃の雰囲気をみせてしまえば相手に警戒心を持たれるのは必至。死角からの攻撃も警戒していれば技量を持つ者ならば対処可能だろう。
だが不意の一撃は、その攻撃に対して警戒を持たせることもさせない。攻撃の可能性を認識させない。非認識からの攻撃こそが不意の一撃となりえるのだ。
能ある鷹は爪を隠す。
リディアの分かりやすい動き方はこの不意の一撃を放つための下準備だったのだ。
(これで終わりだろうが、念には念を入れておくか)
刺突を躱されたリディアは今、室内灯の下に立っていた。
上を見上げ、近くからトリガーの可不可を確認する。
そしてそのままエインズの顔の右に少し外したところに投擲した。当たりかねない方向に投げてしまうとすでに横から飛んできている針の射線から外れた回避行動を取ってしまうかもしれない。
それを避けながらも二の矢をセット。
リディアは今度、室内灯のアームや飾りの反射をトリガーに魔術を発現させる。
エインズに回避行動を取られることもなく顔の横を飛んでいった針はそのまま魔術のパスに溶け込んだ。
直後、銀針はエインズの側頭部を貫いた。
「二の矢、要らなかったな」
「何が要らないの?」
エインズのこめかみを貫いたかに見えた針だったが、当たる直前にエインズは針の姿を確認することもなく回避行動を取っていた。
すんでのところで空を切った針はエインズの顔の前を過ぎていき、書斎の壁に突き刺さった。
「ど、どうして!?」
リディアは思わず声を裏返らせた。
彼女の自信があった不意の一撃が、視認されることもなく回避されたことに驚きを隠せない。
「僕の眼はよく見えるんだ」
「なにを……」
リディアは懐に入ったところからエインズの瞳を見つめる。
そこでやっと彼女は気づいた。エインズの右目、その瞳の色が変化していることに。この変化は不自然なもの、彼の口ぶりからして魔法か魔術によるものだと。
魔術による攻撃にも対応したところを見るに、この紅い瞳は魔術によるものだとリディアは理解した。
(右腕だけじゃ、なかったのか……)
ルベルメルから聞いていた話とは違う。右腕の話ばかりでその能力も聞いていたところ大したことはなかった。
話が全然違う。
(不意の一撃すら看破するその瞳の方が、なんでも手に出来る右腕よりも脅威じゃないか)
だとするならば——。
「……次は、上かな?」
「っつ!?」
エインズの呟きで、一瞬にしてリディアは汗が噴き出た。
看破されている。パスの中にいる針ですらすでにエインズは確認していた。
だが、
(まだだ。こいつはまだあたしの魔術がただの瞬間移動としか認識していないはず)
針の筵にしてやる。




