09
「僕の魔法はまだ必要ですか?」
微笑みかける隻眼のエインズに向けるアラベッタの目には力がこもっていた。
「いいえ、エインズ殿。エインズ殿の言葉で気づかされました、私はまだその時ではないようです」
立ち上がる、だなんて恰好の良い言葉を使うのはやめよう。足掻こう、ただ愚直に今この時を藻掻き続けようとアラベッタは覚悟を決めた。
「あなたは一人じゃないはずですよ」
エインズがそう言った直後、書斎のドアがノックされ外から開けられる。
「アラベッタ様、書簡でございます」
お辞儀をして入ってきた執事が、封が切られていない手紙を一通アラベッタに手渡した。
「誰からだ?」
「はい、ブランディ侯爵様からでございます」
「あの腹黒が……」
ペーパーナイフで封を切ったアラベッタは中にざっと目を通し、小さく微笑んだ。そこには今回のエリアスの騒動に巻き込まれたアラベッタを気遣う古くから親しい友人からの温かな言葉。
同じ領主として様々な苦労を経験してきた戦友でもあるカンザスの言葉がアラベッタの心に沁みる。
アラベッタは再び立ち上がれた。目の前には自分に真摯に言葉を投げかけてくれる者がいる。そして親しい友人が彼女の周りにはいる。
これだけで十分だ。
「ありがとうエインズ殿」
頭を下げて礼を言うアラベッタにエインズはただ小さく微笑むだけ。
まるでエインズはこうなることが分かっていたとばかりに、こうなるよう仕向けたとばかりに。
「とはいえアラベッタ様」
「なんでしょう」
「アラベッタ様の強い心には僕も驚かされましたが、この局面、気概だけではどうにもならないのも事実」
「たしかに……」
アラベッタが覚悟できたのは、この困難が続く茨道を歩く覚悟。支えてくれる者がいるけれども、これを自身のみで突破するだけの強靭な脚力は今の彼女にはない。
「アラベッタ様が決めた覚悟や自身の在り方、そしてエリアスを強く思う気持ち、これらの心的な力を現実の力にしてみませんか?」
「……現実の力に?」
エインズは頷く。
「この困難を突破したい、エリアスの良民を守りたいという漠然としたものだけど強い思いを持つそれに形を与えて全てを救う。こんな力があればと思いませんか?」
エインズが指し示すものはアラベッタにとって甘美な蜜そのもの。だが、そんな万能な力など存在するはずがないと、そのくらいアラベッタでも理解し現実に悲嘆している。
「あればそれは言うこともないが、そんな現実的でないものなんて」
「それが魔術ではできる」
「魔術?」
魔法と魔術、この二つの言葉はアラベッタでも知っている。しかしその絶対的な違いを彼女は知らない。魔法の応用で、より複雑でより強大な威力を持つものを魔術だと認識している。
魔術を魔法と同一視しているアラベッタにはエインズの言葉を理解はできても納得はできなかった。
「魔法と魔術は似て非なるもの。魔術とは、形を得て現実世界に発現するほどに自身の強い願いや思いを持つことで生まれるもの。それは自身の在り方でもある」
「私の在り方、ですか」
エインズの言葉を得たアラベッタには幾ばくか彼女自身の在り方が見えていた。
「そして魔術——、強い思いは現実の理を歪めるほど強大な力を持つ」
「エインズ殿は、私はそれに至れるというのでしょうか?」
「今のアラベッタ様ひとりでは無理ですね。ですが僕が助力しましょう」
「エインズ殿が?」
エインズが優れた魔法を使う姿はアラベッタも見ている。その実力に疑いはないが、エインズの説明を聞くに魔術とはつまりアラベッタ自身の問題だと彼女は認識している。
であるならばエインズの言う助力とはなんなのだろうか。
「僕は魔術師なんですよ、アラベッタ様。魔法士ではなく、先ほど話した魔術を扱う者。魔術師である僕ならばアラベッタ様の力になれると言っているのです」
「なる、ほど」
とはいうもののアラベッタにとっては突拍子もないことで、エインズの言葉を十全に理解できていない。
だが、語るエインズの姿は自信に満ち溢れていた。まるでそれがエインズにとっては現実的で当然のものであるように。
エインズの実力によって、エインズの言葉によって何度と助けられ支えられ立ち上がらせてくれた彼がそう言うのだ。今回もまたアラベッタを思ってのことだと、今の彼女はエインズを信じられる。
「エインズ殿の言うことだ、私ごときでは理解できないことだが信じましょう。ぜひともご助力いただきたい」
アラベッタの言葉にエインズは目を輝かせた。若干口角を上げたエインズにアラベッタは気づいたが一瞬にしてエインズの表情は戻る。
「?」
「わかりました。僕も短い時間とはいえお世話になった街です、このままではいけないと思うところがあるのです」
「エインズ殿……」
アラベッタの目の前には彼女を思いエリアスを思い、彼女に手を差し伸べる好青年の姿があった。
「では早速ですが、いくつか質問をさせてください」
「質問?」
「はい。質問に答えるなかで、よりアラベッタ様が自身について理解を深めるためのものでして——」
隠そうとしているが、これを待っていたとばかりにエインズには若干嬉々とした表情がソフィアには見て取れた。
「なんだよ、終わってしまったのか? てっきり面白いところが見られると思ったんだがなー」
それはエインズのものでもなければアラベッタのものでもない。固唾をのんでいたソフィアのものでもなく、欠伸をもらしていたタリッジの声でもない。
もともとこの場にいなかった五人目の声。
「誰ですか!」
すぐに声のした方に厳しい視線を向けるソフィア。
「おお、こわい。そんな剣呑な目つきをするんじゃないよ。あたしだってお前らのやり取りを邪魔せずに待っていただろう? いきなりそんな態度は良くないぜ」
肩をすくめながら返す女はリラックスしたように窓際にもたれていた。
「邪魔をした、しないではない。この屋敷の主である私の許可もなしにこの場に侵入したことを言っているのだ。盗っ人のくせに堂々と」
エインズと会話していたアラベッタだったが、部外者の出現にすぐ頭を切り替える。
「うーん、あたしの性格的に堂々というよりかは飄々といったところだが、そんなことはどうでもいい。盗っ人なんて呼んでくれるな、あたしにも名前ってもんがあるんだからさ」
「ならばまず名乗れ」
女は「あー、そうか。ここの連中にはまだ名乗ってなかったな」と頭をかいてから腰を上げた。
「あたしはリディアという。お前らが知っているか分からないが、『次代の明星』を張らせてもらっているんだが、知ってるか?」