01
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「今日も良い朝だな」
ひと一人であれば十分に生活できる程度の小さな小屋の中で腰まで伸びた銀髪を揺らめかす。
長い髪に中性的な顔も相まって、一見女性だと勘違いするが男である。
12歳ほどではあるが、背は成人した男性くらいになっている。
コツ、カツッ、コツ、カツッと足音を立てる。
右足は靴を履いた重い音がなるが、左脚は膝から下がなく、簡易で取り付けられた木の棒で作られた義足を嵌めている。
常人であれば、そのバランスの悪さに歩みはぎこちなくなるものだが、彼はこの義足と付き合って長い年月が経つ。
手製のコップを左手に持つ。
左裾がインクによってシミが出来てしまっており、せっかく白く清潔に保たれている襟付きの長袖シャツもなんとも締まらない。
右腕は袖を通っていないため、ぶらりと宙に垂れる。
窓から入る太陽の光に目を細めながら、コップの中のコーヒーを飲む。
熱いコーヒーに舌先を若干やけどしながら、コップを窓の下枠に置く。
「ぐはぁ……」
全身を伸ばすと、背骨がバキバキと鳴く。夜通し机に向かっていたため、身体が固まってしまっていた。
軽くストレッチをしながら凝り固まった肉体をほぐす。
「……よし、久しぶりに村の方へ行こうか」
シミのついたドレスシャツの上から黒を中心としたジャケットを羽織る。黒龍を狩った際に解体した皮を使用し作った一品。独特な光沢を持ち、自然と畏怖を感じてしまう代物である。
右肩部分には何のためか、白手袋が一つ留められている。
つなぎ目を赤龍のひげで結び、ボタンや肩の装飾はその他様々な魔獣の素材で作られている。
本棚で埋め尽くされ、机の上には色々書きなぐられた後の紙の山。ソファの上には、机に乗りきらなかった紙が無造作に置かれていた。鞘に入った片手剣を紙に埋もれた中から引っ張り出し、帯剣する。刃先は研がれているため、切れるだろうがメンテナンスはその程度である。
そんな息の詰まるような部屋を出る。
小屋の前には男が作った小さな畑があり、その横には大きなリンゴの木が成生っている。木から実を取り、齧りながら歩きだす。
以前まで木々で鬱蒼とし、不気味だった森は男が間伐をすることで清爽とした空気が流れている。
餌を求めて跋扈していた魔獣たちも男によって、しっかりと統制され、むやみやたらと男や動物を襲うこともなかった。
「……おおぅ。久しぶりに森を出たら、なんかすごく変わってるな」
森の入り口には鳥居のような構造物ができており、どこか森を神聖視していることが窺える。
ぬかるむことが多く、歩きにくかった砂利道は石畳でしっかりと整備され、荷車でも車輪が捉まらないように改善されていた。
「数年も経てば、こんなに変わるものなのか?」
一人、変わった風景にごちりながら歩く。
緑が映えた並木道を歩き続けると、よくシリカに魔法の練習で連れ添ってもらった大樹までたどり着く。
「なんか人が集まってるな。何してるんだろう?」
大樹の根元には白い装束を纏った男女が帯剣し、集まっていた。
各々、本を1冊手に持って、ぶつぶつと呟いている。
「なにしているんですか?」
彼はその中の一人に尋ねた。
「見て分からないのですか? 魔導書を読んでいるのですよ」
「魔導書?」
「これのことですよ。まあ、私は副本しか持っていないのですが。……ところで、奇妙な出で立ちに、その服装、魔導書の存在も知らないことといい、あなた怪しいですね」
彼女は男の左脚の義足、なびく上着の右腕に注視しながらそう言い、白装束に茶系の髪をポニーテールで結んだ女性がその凛々しい目を男に向ける。
シミもシワもない装束に彼女の几帳面さが窺える。
「ちょ、ちょっと待って。僕は久しぶりに村に出てきたから、知り合いに挨拶でもしようかと思って。そしたら大樹の方に人が集まっているから何しているのかと」
男は焦ったように左手を振りながら必死に弁解する。
「あなたのような人をこれまで一度も見たことがありません。領内の人間ではありませんね」
女性は腰の剣に手をかける。
「いや、ほんとに! なんならエバンさんとシリカに訊いてみてよ」
「この領において、恐れ多くも『エバン』や『シリカ』なんて名前のついた人間などいません。嘘をつくにしても、まともなものにしなさい」
「ええぇ……。いやいや、エバンさんとシリカだって。数年前に若頭を担っていたからもしかしたら村長になってるかもしれないけど……。シリカは僕より6歳くらい上かな。金髪で剣術が上手い女性だよ」
「若頭? 村長? ……ここはサンティア王国の北方に位置してますが、村などと小さな集落ではありません」
女性はそろそろ男の身元がかなり怪しいと判断したのか、剣を鞘から抜く。
「この聖痕残る聖地に不届き者を立ち入らせるわけにはいきません。排除します!」
女性は、男の腰にある剣を見ながら続ける。
「あなたも帯剣しているでしょうが、抵抗はやめた方が良いですよ。私たちは聖地を守護する騎士なのです。そこらへんの剣士とは話が違います」
女性はそのまま、正眼に構える。
「いや、抜剣している時点で抵抗しなくちゃ斬られるじゃないか!」
「峰打ちくらい心得ています。骨は折れるかもしれませんが」
男の小さな仕草すら見逃さないといったくらいに彼女の目は鋭さを帯びた。