08
「死にたいのならば死ねばいいし、生きたいのなら生きればいい。他者にその選択を託すのではなく自身で選択するのであれば、そのどちらを選択しようともそこに価値はある」
「それは……」
ソフィアの考え方からだとあまり納得できないエインズの考え方だが、他者の人生に深く関わる覚悟もない人間がその生死について口を挟むことほど馬鹿げたことはない。
そしてソフィアもそうだ。アラベッタとはまだ会って数日に満たない。そんな彼女の生き死にに口を出せるほどの関係を築けただろうか、築いていく覚悟があるだろうか。
ソフィアは閉口してしまう。
「なんでしたら僕が魔法でアラベッタ様の首を落としましょうか? 安心してください、痛みを感じないことは保証します」
ここにアラベッタの臣下が同席していれば、エインズのこの発言に剣を抜いていただろうが幸いにもこの場にはエインズらとアラベッタの他に誰もいない。
微笑みながら語りかけるエインズに、きっと何かしらの考えがあるのだと信じてソフィアは黙して二人を見守る。
「そうだな……。きっと今の私では魔法を覚えたところで、たとえ痛みがないとしても自身にかける覚悟もつかないだろうからな」
アラベッタは無礼だと怒鳴りつけることなく、エインズの不遜な言動をただ半笑いして力のない目でエインズを見る。
アラベッタの胸中にあるのは、ただ今後辿るであろう自身の苦難やエリアス領の苦難、ひいてはサンティア王国の混乱による自身の小さな背では背負いきれないほどの重圧や責任から逃避したいという願望のみ。
一度は立ち上がったアラベッタだったが、現在においてここ一番に必要な気力はない。
エリアスの領主となったアラベッタだが、混乱における経験が少ないがゆえに自信がないのだ。自身が決断した取るべき指針を信じきる勇気がないのだ。開き直れば多少は楽になるだろうが、開き直るほどの度胸もない。
八方塞がりに感じ、一種の錯乱状態に陥っているアラベッタ。思考停止してはならないと彼女の性質が無理やりにでも結論へ導かせる。自分を保たせるため、本来取ってはならない逃げという手段を。
「結局、私は領主の器ではなかったのだ。次の者には苦労を強いることになるだろうが、私が居座るよりも他に任せたほうが幾分もましだ。次があるのならば、平和に季節の移ろいを楽しむ人生でありたいな……」
「決めたのなら早い方がいいですよアラベッタ様。それがエリアスのためにもなるでしょうから」
エインズは魔道具をテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がる。
空の右腕が小さく揺らぐ。
座るアラベッタの横に立ったエインズは左手を彼女にかざした。
エインズの様子を確認したアラベッタは覚悟をしたとばかりに小さく笑い目を閉じる。
「エインズ殿にこんな厄介な役を任せてしまうことになり申し訳ない。他の者ならきっと私に手を下すことは出来ないだろうから」
魔法のタイミングはエインズに任せるとばかりに深々と背もたれるアラベッタ。
ソフィアは唾を飲み込みながら、ただただその場を見守ることしかできない。横のタリッジはこんな状況においても欠伸をもらしながら黙したままだ。
「そういえばアラベッタ様、最後に言っておくことがありました」
「なんでしょう? エインズ殿の言葉なのだ、聞こう」
「今、僕がこうして気軽にアラベッタ様に魔法を向けられるのは、馬を殺める程度の気負いでしかないからです」
「えっ?」
最期の言葉として聞き入れようとしたアラベッタは、エインズの思わぬ言葉に驚き目を開け彼を見た。
「今のあなたは馬に似ている」
「私が馬とは、エインズ殿それは頓智かなにかか?」
話を聞いていないタリッジを除いてソフィアも疑問を浮かべる中、エインズは口を開く。
「生まれてこの方荷台に繋がれた一頭の馬は、重い荷物を引き続ける辛い状況に辟易としていた」
エインズは続ける。
ある時、その馬はこう考えたのだ。自身と重い荷物を繋げた引き棒を壊せば自分はこの辛い状況から解放されると。
苦境から解放された馬は、あとは自分の安寧を信じるのみ。
だが実際はそうはならない。御者は二度と壊れないようより強固で頑丈な引き棒で馬を繋げる。それは以前引いていたものより重さを増して。
「それが私とどう関係するのでしょう?」
「アラベッタ様、あなたはどうして一度も死んだことがないのに次が今の自分よりも楽だと思えるのですか? 次は今以上の苦境に立たされるかもしれない。その時もまた今のような決断に至るのですか? それであなたが考える一切の苦しみもない安寧はいつやってくるのですか?」
「……」
「死を経験したことがないあなたには今この時しかないのです。次の命があるかも分かりませんし、あったところでそこらの畜生になるかもしれないのです」
エインズはアラベッタに向けていた左腕を下げて、一息つく。
「それでもアラベッタ様がそのような理由で死を決断するというのなら、……気が変わりました」
「えっ?」
気が変わったとはどういう意味なのか、アラベッタがエインズの言葉に疑問を抱く。
「アラベッタ様が次回の苦しみに耐えられるよう祈り、辛苦の限りを尽くしてあなたを葬りましょう」
再度アラベッタをかざす左腕には禍々しい魔力が纏っていた。
当然これはエインズの魔法における技量を考えるならば、分かりやすく魔力を見せびらかす必要はない。これはアラベッタに問うているのだ。
「……」
閉口するしかないアラベッタ。
たしかにアラベッタにあるのはただ今現状の修羅場のみ。しかしエインズが言っていたことも事実。
死を経験していないアラベッタにとって次の命というのはただの希望的観測。生まれ変わりというものがあるかどうかも分からず、あったとしても人としての命を宿すとも限らない。
加えて、どんな姿で命を宿したとしても今以上の修羅場が待ち構えているかもしれない。
「……ふふ」
自然とアラベッタの目から涙が流れた。
つまるところアラベッタには今この時しかないのだ。過去は過ぎ去り、未来のことは分からない。
「死ぬのは足掻いて足掻いて、藻掻ききった後でいいんじゃないですか? その時は潔く路傍で死んで土に還りましょう、そこに綺麗な花が一輪でも咲いたら幸せな人生ってものです」
アラベッタは領主の立場を気にせず、服の袖で涙を拭う。
拭って赤く腫れた跡を涙が流れ落ちることはなかった。
気づけばエインズの左腕が纏っていた禍々しい魔力は解除されていた。




