06
ミレイネの報告を受けたハーラルかもしくはヴァーツラフがリーザロッテに詳細を聞きにそのうちこの部屋に飛び込んでくるだろうが、今だけはキリシヤとリーザロッテ二人だけの落ち着ける時間である。
「彼女、『次代の明星』のリディアでしたか。彼女もその……、リーザロッテ様やエインズさんと同じ——」
「ああ、魔術師だ」
落ち着いた様子で話すリーザロッテだが、キリシヤは魔術師であるリディアに対して危機感を持った。
どういう原理か分からない。
だがしかし王城の中枢であるリーザロッテの部屋に侵入してきたリディア。そして厳戒態勢を取られる前に一瞬で姿を消した魔術。
「……お父様は大丈夫なのでしょうか?」
リディアはサンティア王国現国王であるキリシヤの父ヴァーツラフの首を獲ると公言したのだ。あれだけ強大な魔術を持つリディアが魔術の対象をただ一点ヴァーツラフに向けるとなるとどうなるのだろうか。
想像するキリシヤには最悪の結果しか見えない。
「魔術師を相手に魔法士では相手にならん。どれだけ防御を固めようが時間稼ぎにしかならんだろう、結果は変わらん」
「っ!」
リーザロッテは甘い言葉を言わない。
そんな言葉にキリシヤは息をのんでしまう。
順当に行けば、次期国王はキリシヤの兄であるハーラルになる。しかしリディアの対象がヴァーツラフのみで止まるだろうか。ハーラルにまで及ぶ可能性も十分に考えられる。そして——。
キリシヤは息が詰まり、激しい悪寒に襲われる。
そんなキリシヤの青白い顔を見てか、リーザロッテが優しい言葉をかける。
「安心しろキリシヤ。何があっても妾はお前だけは守るぞ」
「ありがとうございますリーザロッテ様……」
容易くリディアを撃退したリーザロッテがそう言うのであればこれ以上に心強いものはない。
しかしリーザロッテの「キリシヤだけは」という言葉にキリシヤは引っ掛かりを覚え、少し寂しさを感じた。
「第一、やつに首を獲る機会があるか分からんぞ?」
「それはどういうことですか?」
「その前に死ぬかもしれんだろう。なにせエインズに挨拶へ行くと言っていたんだからな」
挨拶。リディアは確かにそう言っていたが、その挨拶がリーザロッテにしたものと同じだとすると、エインズを相手取って戦闘になるということである。
「それほど、なのですか?」
「妾からすればどうでも良いことだが、エインズからしてみればそれ以上ない程に心を躍らせるものなのだ。魔術を見る、魔術師との決闘というものは」
「ですがエインズさんは……」
リディアを圧倒するほどの魔術を持っているのだろうか。たしかに魔法に関する知識や技量はかなりのものかもしれない。なにせ短期間でライカに無詠唱での魔法の発現を習得させたほどなのだから。
だがそれが魔術となれば、リーザロッテの言葉を素直に納得できないキリシヤ。リディアの魔術を見た後では。
エインズの右腕の魔術。それは彼が望み、手にするのが可能な場合(その細かな条件は不明だが)において理を歪め、手にすることができる魔術とキリシヤは理解している。
となれば瞬間移動が可能なリディアが優位に立つと十分考えられる。もちろんリディアの魔術においても細かな条件は不明だが、一瞬でエインズの背後に立ちその首に刃を突き立てることは容易だろう。
「そうだな、これは妾も直接目にしたわけではないのだがな……。キリシヤの先の疑問に繋がる答えだ」
「私の疑問ですか?」
エインズがダリアスに対して行なった魔術知識の提供。これはエインズの右腕の魔術の効果と対極にある。剥奪と付与、そこにキリシヤは違和感を覚えたのだ。
リーザロッテは小さく息を吐いた。
「……魔術には段階があるのだ」
「段階?」
「魔術に目覚めた者は第一段階に至る。目覚めた魔術の部分的な力の行使『限定解除』」
限定解除、これはキリシヤもリーザロッテの口から発せられたのを耳にしている。
リーザロッテは続ける。
「魔術の、さらに真に近づいた力の行使『不完全解除』。これに至るのは生半可なものではないが、妾はこれに至っている」
リーザロッテは小さく「あまり使いたくはないのだがな」と遠い目をしながらこぼした。
リーザロッテの言葉を聞いていたキリシヤは驚く。あれだけ異次元な戦闘を見せたリーザロッテとリディア。この二人の魔術は本来の力の一部分にしか過ぎないことを。
「リディアもそこに至っているのではないですか?」
「ないだろうな。直接問うていないから確定ではないが、あれは至った顔つきではない。強い武器を初めて手にして振り回し遊ぶ童そのものだ」
「そうですか……」
リディアを容易く撃退したリーザロッテはまだまだ余力を残しており、絶大なる力をまだ見せていない。もちろん対する魔術によって相性の良し悪しもあるだろうが、魔法士と魔術師が相手にならないように、『不完全解除』に至った者と『限定解除』しかできない者とでは、そこには雲泥の差がある。
「エインズさんは」
「間違いなく至っているだろう。妾でも至っているのだ、あいつがその域に達していないわけがない」
だからこそ、リーザロッテが持つ中で最強の切り札である魔術の『不完全解除』を禁書庫でエインズに見せてしまったことが悔やまれるのだ。
容易く見せてはいけない代物だった。
「あいつが『不完全解除』、いわば魔術の第二段階に至っていると仮定するならば、どんな力を発現させるか」
「望んだものを手に入れる魔術の、その先……」
キリシヤは顎に手をやり、考える。
魔術の力は強大だ。それはリーザロッテとリディアの戦闘を見れば明らか。魔法士、いや、魔法では相手にならないほどの力。
エインズの行いはそんな強大な力を手にする魔術師を次々生み出すような行為。それは対敵した際、自身の脅威となりえる者を易々と生み出すもので、普通に考えれば独占したいのが当たり前。
そこまで考え、キリシヤはその先の僅かな可能性に行き当たる。
「……独占」
独占したくなる程の、自身の脅威たりえる程の魔術を果たしてエインズは欲しないだろうか。あれだけ魔法や魔術に強い関心を持つエインズが、まだ見ぬ魔術を欲しないことなどあるのだろうか。
「リーザロッテ様」
「なんだ?」
「魔術とは単一なのでしょうか?」
もし違うのならば。
「いや、違うな。先の黒炎の魔術、あれに至った魔術師も多くいた。人の数だけ欲望はあるが、だからといって一人しか持たぬ欲望などそうはない」
「だとするならばリーザロッテ様、エインズさんの問答と魔術知識の提供はもしかして……」
キリシヤは行き当たる、リーザロッテが推測する右腕のその先に。
「あれは提供ではない。むしろ手に入れる行為とみるべきだ」
何かはリーザロッテでも分からない。彼女が目覚めた魔術ではないのだから。だから推測にしかならないが、魔術に至る因子的な何かをエインズは取得しているのかもしれない。
「何のために。知識欲?」
リーザロッテは行き着いたキリシヤを見て小さく笑う。
「キリシヤが幼子の時、欲しかった玩具を与えられたときどうした?」
「それはもちろん時間を忘れて遊びました」
「そうだ。手にしたからといって見て終わるはずがない。玩具を使って遊ぶのだ」
「っ! だとしたらエインズさんは——」
「あいつの右腕がどれだけの玩具を内包しているのか分からん。だが、具現化するまでに強く抱いた人の欲望や祈りをかすめ取るんだ」
魔女の異名など、魔神の前では生ぬるいものだ。




