04
「愚鈍な戯け、妾の領域に入っておきながら随分と余裕ではないか?」
それは正に一瞬。
リディアがベッドからワインセラーへ移動したのと同様、瞬間の出来事。
椅子にゆったりと腰を下ろしていたリーザロッテは次の瞬間にはリディアの目の前に立ち、扇子を閉じて振りかぶっていた。
「っ!?」
リーザロッテはリディアの頬を扇子で打ち抜く。
多少の手ごたえはあったが、完全なものではない。
リディアは自身の頬に衝撃を受けた瞬間に移動していた。
今度はテーブルの上の物をひっくり返しながらその上に移動するリディア。
「……戯け」
が、リディアが移動するのと同時、リーザロッテはリディアの前ですでに扇子を振りかぶっている。
「なんだとっ!?」
まるでリディアの動きを読んだように付いてくるリーザロッテの動きに驚きが隠せない。
リディアの移動は瞬間的なものである。加えて移動場所はリディアの任意の場所を設定している。
それなのにリーザロッテの動きはそのリディアと同じ。
(あたしと同じ魔術か……? いや、それはない。針の攻撃を防いだ魔術、あれはあたしの魔術ではない)
ではなんだ?
リディアは疑問を覚えながら移動を続ける。
跳んでも跳んでもぴったりと付いてくるリーザロッテ。
リディアは跳びながら、同時に先の尖った針を数本辺りに放り投げる。
それらは次の瞬間には無数の針に増え、四方八方からリーザロッテに襲い掛かる。
しかしそのどれもをリーザロッテは捻じ伏せた。
いつまでも先手が取れないリディア。
「鼠を踏みつぶさんと追い掛け回すのも存外楽しいものよなあ」
皮肉たっぷりな表情でリディアの身体を扇子で掠め続けるリーザロッテ。
「……くっ」
「どうした? 雑魚を弄って粋がっていた先ほどまでの威勢の良さはどこにいったんだ?」
両者の動きは外の者には目に追えない。
「……すごい」
ミレイネとともに部屋の端で二人の様子を見ていたキリシヤは自然と言葉が漏れる。
リーザロッテらが一瞬姿を見せたかと思えばすぐに消え、別の所に移動している。
その全てが一瞬。
動きは一切目に追えないほどの刹那。
それなのに部屋は静かなままだ。途中、リーザロッテがリディアの身体を扇子で叩く音が聞こえるがそれ以外に何もない。
あれだけの素早い動きをしているのならば生まれる風はそれなりのものであるはず。しかし、部屋の中は一切荒れ狂っていない。
二人の移動はキリシヤの知る普通の速度ではないのだ。
「あれも、魔術……」
エインズとは違う魔術。ダリアスとも違う魔術。そして以前に見たリーザロッテの魔術ともまた少し違うように感じる。キリシヤの抱いた後者のそれは単にリーザロッテが魔術をまた別の方向性をもって発現させているだけに過ぎないのだが。
だがそんなことは魔術師ではない一般人には理解できない領域の話。
そして優れた剣士だろうが優れた魔法士だろうが、相対すれば敵わないほどの力の差。それが魔術師であり、そしてキリシヤの目の前でその魔術師二人がぶつかり合っている異常な現状。
広いリーザロッテの部屋の中を跳び回り互いに攻撃を加え続ける二人だが、形勢は一向に変わらない。依然リーザロッテ優勢のままリディアの身体に傷ができていく。
「ったく、なるほどな。魔女の魔術に対してあたしの魔術はどうも相性が悪いみたいだな。後手ばかり踏んで、気づけばこのザマだ、こたえるね」
リーザロッテはリディアの魔術を完全に理解したわけではない。純粋に魔術によって発現した効果に対して彼女の魔術をぶつけているだけだ。
何かしらの制約のもと、瞬間移動のような動きを見せるリディアに対してリーザロッテが行っていることは二つ。
リーザロッテの魔術は時間という理への干渉。リディアが魔術を使用するのに合わせて、リディアを含めたリーザロッテの部屋全体への『停滞』。そしてリーザロッテ自身に対して、思考速度と行動速度を含めた全身への『加速』。
この二つを重ねることで完全にリディアの動きにリーザロッテはついてきているのである。
しかしそれはリーザロッテの特異な魔術を解さないリディアにとってはただただ不気味。それが故にこのままだと埒が明かないと考えたリディアは別の動きを取る。
リディアは跳びながらに投擲した針の行く先はリーザロッテではなく、外から眺めていたキリシヤに向かっていた。
「ふん、童が」
先ほどまでリディアの移動にぴったり付いてきていたリーザロッテだったが、針の行く先を確認してリディアから離れる判断をする。
「えっ!?」
無数の針が突如目の前に襲ってきたキリシヤは恐怖のあまり一度目を閉じたが、それから何の衝撃も襲ってこなかった。
恐る恐る目を開けるキリシヤの目の前には扇子を片手に優雅に立つリーザロッテ。彼女の周りには朽ちた針が散らばっている。
「……へえ、国王の首に関してまったく執着を見せなかった魔女が、そこの王女は身を挺して守るのか」
やっと距離を空けて一息つけたリディアはその様子に身を乗り出した。
「くだらん邪推をするな」
「いいや、邪推じゃないさ。なんとなく魔女の指針的なものと、そして弱点のようなものが見えた気がするぜ」
そう言ってリディアはキリシヤに目を向ける。
キリシヤは恐ろしそうにリーザロッテに隠れると、リディアは肩をすくめて笑みをこぼす。
「……魔術師の妾に制約以外の弱点などあるものか。まあ、お前がどのような思考をしようが妾には関係のないことだがな」
キリシヤに向けたリディアの攻撃も易々と防ぎ切ったリーザロッテに、リディアへの追撃の素振りは見えない。
リディアは一つ息を吐いて臨戦態勢を解いた。
それを見てリーザロッテは針の残骸やミレイネの血で汚れた部屋の中、リディアによって勝手に開けられたワインにため息が漏れた。
「これで満足したのか? したのならばさっさと帰ってほしいのだがな……」
先の戦闘でリーザロッテとリディアとの力量差は互いに理解した。この場でリーザロッテはリディアを仕留めることもできたが、リディアも魔術師であるのならばその行為に意味を成さないことをリーザロッテは重々理解している。
「いやいや、魔女への挨拶は二つある目的のうちの一つ。もう一つあるんだが、そのもう一つというのがさっきのお前たちの話に繋がるんだよな」




