03
「そうだった。あまりの美味さにここに来た目的を忘れてしまうところだった」
リディアが手を離したワインボトルとグラスは一瞬にして近くの腰棚に移った。
「まずは魔女にご挨拶をと思ってだな。これまで気を使ってこそこそとしてきたけど、これからは表立って動いていこうと思ってね。大事だろう? 挨拶は」
「お前たちが気を使っていたという認識をしていたとはな」
「エリアスの一件、あたしの可愛い部下が良い働きをしてくれた。いい打撃になっただろう? この混乱に乗じて取りに行くつもりだぜ」
「何を、と言うのも無粋か?」
「いや、これははっきりと言葉にした方が粋ってもんさ。ヴァーツラフの首、近いうちに獲らせてもらう」
口角を上げて宣うリディア。
「だから長く老いぼれのお守りをしている魔女には前もって断っておかないとだめだと思ってね」
「ふん、やるなら好きにしろ」
「ありゃ、つれない反応。思っていたものと違うなあ。てっきり魔女はこの国にかなりの思い入れがあると思ったんだがな」
首をひねり、考えるしぐさを見せるリディア。
彼女の言葉は王国の転覆をはっきりと指し示すものだった。
立ち上がったキリシヤの横に立つミレイネは目だけを動かし、ドアまでの距離を確認する。
遠い距離ではない。リディアの使う魔法が何なのか皆目見当もつかず、奇妙さを覚えるばかりのミレイネだが、それでも駆ければ部屋の外に出られると判断した。
「……キリシヤ様、私はすぐに人を呼んできます。そしてリディアの話を陛下に伝え、早急な避難を呼びかけてきます」
ミレイネはキリシヤに耳打ちをして、頃合いを見計らって一気に駆けだした。
それは普通の侍従の動きではない。
鍛えた騎士と遜色ない脚運び。速さ。
「騒ぐな侍従。今あたしは魔女と話している。邪魔をするなら殺すぞ」
リディアは床に転がっていた銀色のコルクスクリューを拾い、天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアに向けて投げつける。
リーザロッテはそれを目で追いかけるだけ。
シャンデリアの下にいたキリシヤは、コルクスクリューによって破壊されたシャンデリアが落ちてくることを予知してその場から飛び退く。
が、しかし。
「っつ!」
シャンデリアが割れた音はしない。
それどころかコルクスクリューはシャンデリアにも投げた先の天井にも刺さってはいなかった。
「そのドアに手を伸ばそうものなら次はその手、ドアに張りつけるぞ」
リディアのその言葉にキリシヤは駆けていたミレイネに目を向けた。
ドアに辿り着く目前で、床に手をつき身動きが取れないミレイネ。彼女の両足脹脛には銀色のコルクスクリューが突き刺さっていた。
加えて左の二の腕にもまったく同じコルクスクリューが突き立てられており、服の上から赤いシミが滲んでいく。
(あのコルクスクリューはリーザロッテ様のお部屋にあったもの。ですが、一つだけだったはず……)
ではなぜミレイネの身体にまったく同じコルクスクリューが三つも突き刺さっているのだろうか。
「……ミレイネ、よせ。妾も大事なそなたが磔にされるのは惜しい」
ミレイネの姿に一切表情を変えないリーザロッテは、そのままリディアに目を移動させる。
「あいつは外には出させぬ。そして妾も寛大ゆえお前の話を聞いてやらんでもない。だが、それもミレイネを治療させてからだ」
リーザロッテの言葉にリディアは肩をすくめて返す。
リーザロッテのアイコンタクトでミレイネに走り寄ったキリシヤ。
「ミレイネ、痛いですが我慢してください」
「大丈夫でございます、キリシヤ様」
キリシヤはまず左脚脹脛に刺さったコルクスクリューに手をかける。
「いきますよ」
可能な限り肉を傷つけないようスクリューを回しながらゆっくり抜いていくキリシヤ。
「……っぐ!!」
それでもミレイネを激痛が襲う。
抜かれたと同時に血が噴き出る。
それを布で押しとめるキリシヤ。
それから同様に右の脹脛も抜いて止血した。
左腕に刺さった最後の一本はミレイネ自ら顔を歪ませながら引き抜き、止血する。
「哭いてもよかったんだぞ? 痛みに漏らす鳴き声は昂らせてくれるんだが、この侍従は興ざめだな。あたしの部下なら嬌声を上げて楽しませてくれるんだがな」
くつくつと笑うリディアは、そのまま目をリーザロッテに向けた。
「つまらんやつに時間をかけてしまったけど、挨拶がわりに魔女の魔術を見ておきたいと思ったんだよな」
そう言ってリディアが胸元から取り出したのは細長い針を一本。
それを指に挟み、上方へ弾く。
コルクスクリュー同様、シャンデリアに向かった針はこれまた同様にシャンデリアに当たる瞬間に消えた。
(違うな。吸い込まれた、か?)
針の動きを目で追っていたリーザロッテは小さく紡ぎ、魔術を展開する。
コルクスクリューと同じなのであれば、どういう仕組みか不明だが分裂してリーザロッテを襲ってくるに違いない。
仕組みが分からない、異次元の力。
次の瞬間。
垂れたシャンデリアから数百を超える針の雨がリーザロッテに襲い掛かってきた。
数はコルクスクリューの比ではない。
(分裂する数に制限がある、というわけではないようだな)
リーザロッテは身じろぎ一つせず、数多の針をその双眸で捉える。
リーザロッテの白く柔い肌を突き刺す手前、わずか数センチほどの透明な壁に遮られたように針は動きを止める。
針は魔女の血を浴びることなくその力を失った。
「限定解除『任意流転 加速』」
数多の針はひとりでに朽ちる。
灰となり毛の立った絨毯の上に散る。
「……へぇ、面白い魔術だな。なるほど、これが魔女の魔術か」
リディアは感心したように手を叩いて喜んだ。
「そういうお前も口だけではないようだな。ふん、不快だが腐っても魔術師か」
リーザロッテのその言葉にニタリと顔を歪ませるリディア。
それを不快そうに、リーザロッテは扇子を手に取って口元を隠す。
リディアによってミレイネが傷つけられた際、リーザロッテは一切表情を変えなかった。が、だからといって何も思わなかったわけではない。
なんなら、激しい憤りを覚えていたのだ。
自身だけが可愛がり、弄り、玩具にして遊べるミレイネを断りもなくリーザロッテの目の前で弄んだリディアがひどく腹立たしい。
リーザロッテがその固有名詞を覚え、関心を持ち、遊ぶものは全て彼女のためだけのものである。
リーザロッテの手で歪められるべきミレイネの顔が、リディアによって歪められる。リーザロッテの愉悦のために歪められるべきミレイネの表情はリディアを悦ばせる。
それがひどく我慢ならない。




