02
キリシヤは一度、少量の水で口の中を潤わせてから続けた。
「エインズさんの手によってダリアスさんは魔術に目覚めました。そしてその際エインズさんはダリアスさんが覚醒に足るほどの知識を提供していました」
手に入れるという欲望から生まれた魔術ならば、知識の提供というのはその性質から正反対に位置する。
キリシヤはそこに引っ掛かりを覚えたのだ。
「それは——」
キリシヤの疑問にリーザロッテが答えようとしたとき、横からキリシヤのものでもなくミレイネのものでもない声がした。
「なんだ、面白そうな話をしているじゃないか」
キリシヤとリーザロッテの会話、そこに突如別の者が間に割り込んできた。
「誰ですか!」
ミレイネが声の主に振り返り、厳しい視線を向ける。
割り込んできた女性はリーザロッテのベッドに腰かけながら、興味深そうにキリシヤの言葉に耳を傾けていた。
「おいおい、あたしのことは気にせず続けてくれ。お前たちの話が終わってからで全然構わないからさ」
「そういうことではありません! 誰の許しを得てここに入室しているのですか! ここはリーザロッテ様のお部屋でございます!」
「堅いな侍従。確かに許しは出ていなかったが、あたしがここへ来てもお前たちは誰も咎めなかったじゃないか。てっきり入室を許してもらったのかと思ったんだけど、違ったのか?」
ミレイネは敵意を剥き出しにしながら憎たらしい笑みを浮かべる女性を睨みつける。
キリシヤも突然のことに目を見開き驚きを見せたが、あまりのことに言葉が出なかった。
彼女はいつこの部屋に入ってきたのか。
キリシヤが入室してから、この部屋のドアは開かれていない。
部屋に設けられている窓も開かれておらず、どこからの侵入もできないはずなのに。
「ふん、ならば出ていけ。お前の言うことも分からないではないが、しかしそれはお前が都合よく誤解しただけだ。妾はお前の入室を許しておらん」
ミレイネに比べ、まったく取り乱していないリーザロッテは彼女を確認したあとゆったりとティーカップを持ち上げる。
「おいおい、ノリが悪いじゃないか。魔女ともあろうお前がそんな狭小な心でどうするよ? それとも何か? ゆとりもなく、歳だけ無駄に重ねてしまったってのか?」
彼女のその言葉にミレイネとキリシヤが息をのむ。
魔女という言葉に、彼女は間違いなくリーザロッテを『悠久の魔女』と認識した上で煽っているのだ。
リーザロッテは一口、紅茶を飲んでから再度彼女に目を向けた。
「お前、何者だ? その不遜な態度、愚か者の名くらいは聞いてやらんとな」
リーザロッテに苛立ちは一切ない。
「なんだ? あたしの話に付き合ってくれるのか。悪いね、お前たちの話が終わってからで良かったんだが、横入りしたみたいになっちまった」
ベッドから腰を上げる女性。
「それじゃ軽く自己紹介を。あたしの名前はリディア。『次代の明星』を仕切らせてもらっているんだが、聞いたことはないか?」
まさかここで、王国と真っ向から敵対する組織の名前が出るとは思わずミレイネは後ずさり、キリシヤは動揺に瞳が揺れる。
「知らんな。その幼稚な集まりは知っているが、お前の名前は知らん」
鼻で笑うリーザロッテにリディアは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そこの嬢ちゃんたちが知らんならまだしも、魔女が知らないのは良くないぜ。長い年月生きてたらボケるのも仕方がないかもしれねえけどよ、知識はアップデートしないとダメだぜ? あっという間に時代に取り残されちまう」
「アップデートをしたが故に不要な情報が消されたのかもしれんぞ。木っ端な者のことを覚えておくほど妾は優しくないのでな」
案外無駄話もできるじゃないか、と楽しそうに笑うリディア。
ミレイネとキリシヤ二人が身動きを取れないなか、リディアは止まらない。
「こんな高価なワイン、見たことないぞ!? なんだこれ! 兄貴の家にだって置いてない代物だ」
ベッドの前にいたはずのリディアはいつの間にか、リーザロッテやキリシヤが腰かけているテーブルを挟んだ先にあるワインセラーに手を伸ばしていた。
「なっ!? いつの間に!」
後ろから声がして初めて気づくミレイネ。
本当に一瞬だった。
ミレイネの目の前から忽然と姿を消して、次の瞬間にはワインセラーを覗き込んでいるリディア。
ミレイネは意識をリディアから外したわけではない。瞬きもしていない。
警戒を緩めたわけでもないが、その姿を逃してしまっていた。
「……あんな魔法、知りません……」
冷や汗が垂れるのを感じながら、キリシヤはリディアと紅茶を楽しむリーザロッテの様子を見る。
左手でボトルを掴むリディア。
右手をコルクの近くに持っていくと、どこからともなく現れたコルクスクリューが右手の中に包み込まれていた。
小気味よい音をたてて抜かれるコルク。
リディアはコルク抜きをそのまま床に落としてボトル口に鼻を近づける。
「すげーな。これが王国お抱えの魔女が管理しているワインの質ってわけか。どれ、一つ味見をしないとな」
「妾のコレクションに勝手に手をつけるな戯け」
「客人に茶の一つも出さんお前に代わって、あたしがセルフサービスでしてやっているんだろうが」
次の瞬間にはリディアの右手にワイングラスがあった。
安酒のようにグラスに豪快に注いでいくリディア。
彼女が何もない空間に腰を下ろす瞬間だった。
「きゃっ!?」
キリシヤは突然、尻餅をついた。
座っていたはずの椅子が突如消え去り、支えもなくなったキリシヤの身体は当然地面に落ちる。
キリシヤは痛みに顔をしかめながらリディアを見る。
リディアはその場でキリシヤが座っていたはずの椅子に腰を下ろしていたのだ。
「悪いね、嬢ちゃん。近くに座れそうな椅子もなかったから、つい借りてしまった」
そうして足を組んでグラスを傾けるリディア。
真紅のワインがリディアの喉を流れていく。
「大丈夫ですか、キリシヤ様!?」
ミレイネがすぐさまキリシヤに手を貸した。キリシヤはミレイネの手を取り立ち上がる。
「ほう! 嬢ちゃん、ここの王女だったのか。これはすまなかったね」
そう言うリディアだが、彼女に申し訳なさは一切なかった。
「それで、不躾な戯けは何が目的でここに来たんだ?」
ティーカップをテーブルに置いて、リディアに身体を向けるリーザロッテ。