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ここは王都キルクにある王城の一室。
「ミレイネ、騒がしいが何事か?」
メイドのミレイネから注がれた紅茶を優雅に飲みながら色気溢れる妖艶な魔女リーザロッテが部屋の向こうに意識を向ける。
「私も詳しくは聞いていないのですが、先日港湾都市エリアスにて魔獣の襲来と倉庫街の壊滅が起きたようでございます」
「エリアスで魔獣とな。あそこの海は静かなものであっただろう? 妾も何度か訪れたことがあるがあの海は平和そのものだったがな」
時間を持て余している悠久の魔女リーザロッテもエリアスには気晴らしに何度か足を運んでいる。
魔獣の襲来などの物騒な騒ぎと縁がない街だと認識していたリーザロッテだったが、外の騒ぎを聞くにミレイネの報告も何かの間違いというわけでもなさそうだ。
「はあ。やっとキルクから騒ぎの種が出ていったかと思えば、次はエリアスとはな。まさかあの馬鹿者、エリアスに行っていないだろうな」
ミレイネにはリーザロッテが言う馬鹿者が誰を指しているのか見当もつかない。
黙してテーブルの上を拭くミレイネにリーザロッテが尋ねる。
「その報告はどこで聞いたのだ?」
「私も同僚から聞いたのですが、元はブランディ侯爵からの報告のようでございます」
ミレイネのその言葉にリーザロッテはため息を深くつきながら頭を抱える。
「今度はエリアスか。本当にあいつは疫病神だな……」
それからリーザロッテはミレイネの見聞きした話に耳を傾けた。
魔獣の襲来においてはエリアスの領主アラベッタ=エリアスが陣頭指揮を執り、その場に居合わせたエインズらが撃退。加えてエリアスの『海の番人』クラーケンも討伐したのだという。
それなりに損害を被りながらも復興に向けて動かんとした矢先、物資の保管場所でありながらエリアスの要である倉庫街が何者かによる爆破によって壊滅してしまったようだ。
「なるほどな。これは王国全土への大打撃となってしまうな」
「ヴァーツラフ国王陛下並びにエリオット宰相が事態の収拾に奔走しています。ですがおそらく……」
「物資の流通が長期に渡り滞ってしまうだろうな」
一枚岩ではなくなりつつある今の王家と貴族の関係。ヴァーツラフが責任追及を免れることはないだろう。
政治バランスは間違いなく王家にとって悪い方向へ傾くだろう。
(だとするなら今回の騒ぎ、エインズは巻き込まれた側であって引き起こした者が他にいるか? もしや……)
紅茶の風味を楽しめる気分ではなくなってしまったリーザロッテは、ミレイネにワインとグラスを持ってこさせるよう目配せをした。
考え込むリーザロッテを横に、ティーカップとポットを下げてワイングラスをリーザロッテの目の前に置くミレイネ。
ミレイネの一月の給金よりも高価なワインがグラスに注がれる。
注ぎ口からわずかに垂れるワインをミレイネが拭っていた時、部屋のドアがノックされた。
ミレイネはリーザロッテを窺うが、リーザロッテはノックの音に気付いていないようだ。
「どなたでしょうか?」
ミレイネがドアまで近づき、外の人間を確認する。
「キリシヤでございます。リーザロッテ様はいらっしゃいますか?」
「……キリシヤ様、少々お待ちを」
リーザロッテに声をかけようか逡巡したミレイネだったが、彼女の目からしてもキリシヤには優しすぎるリーザロッテならばキリシヤの入室を拒まないだろうと判断して中から静かにドアを開けた。
「ありがとう、ミレイネ」
部屋の中に入ったキリシヤはドアを開け放ったミレイネに礼をする。ミレイネは横に避けながらお辞儀をした。
「リーザロッテ様、お忙しいところ失礼いたします」
考え込んでいたリーザロッテもキリシヤの透き通った綺麗な声に気づき、顔を向ける。
「来ていたのかキリシヤ。どうしたのだ?」
「お聞きになられましたか、リーザロッテ様」
「エリアスのことか? それなら先ほどミレイネから聞いた」
ミレイネが椅子を引き、キリシヤはリーザロッテに向かい合う形で腰を下ろした。
「エリアスにエインズさんがいらっしゃって助かりました」
「そうだな。今回、やつはただ偶然騒動に居合わせただけのようだからな。住民の被害が最小限に食い止められたのも不幸中の幸いというものだ」
リーザロッテがキリシヤに何か飲むかと尋ねると、長居はしないと断った。
ミレイネは小さなグラスに水を注ぐと、キリシヤの邪魔にならないところに静かに置いた。
「エインズさんの魔術はすごいのですね。あれだけ苦戦していたクラーケンの討伐もあっさりとやってしまうのですから」
「討伐だけであれば容易いだろうよ。だが、海の生態系に影響を与えないよう留意するならば確かに王国の魔法士では容易ではないだろうな」
それはリーザロッテも同様である。討伐だけを考えるならば片手間に済ませてしまうことができる。
悠久の時を生きるリーザロッテは積極的に俗事に関与しようとしない。彼女なりの行動理由があって初めて俗世に関与するのである。
「エインズさんの右腕、あれが魔術なのですよね。リーザロッテ様は知っているようですが、実際のところあの魔術はなんなのですか?」
キリシヤは魔術学院の騒動の際に、実際にエインズの右腕を確認している。
そしてそれが魔法ではない異次元の力、魔術であることも。
魔術からキリシヤを遠ざけたかったリーザロッテだが、ここまで魔術に関わってしまったキリシヤに今更隠す必要もない。
それでも後悔しているのだろうか、リーザロッテは諦めも混じったため息を一つこぼしてから口を開いた。
「エインズの右腕、あれはあいつの第二の魔術。その根源は手に入れることにある。あいつが望む取得可能なものは全て手にすることができる、理を歪める魔術」
「手に入れる、ですか?」
キリシヤは右腕のその万能感に一瞬驚いたが、自らが持った右腕へのイメージとの乖離に首を傾げた。
「第一の魔術は右目。見たいという欲望から生まれた魔術。そして自らが見たものを手にしたいという欲望から生まれた第二の魔術『奇跡の右腕』」
「リーザロッテ様、待ってください。それだと一つ腑に落ちないことがあります」
「なんだ?」