0.5
誰でもいい。誰でもいいから助けてほしい、と憔悴しきった少年が膝をついて祈っていた。少年の腕の中には徐々に体温を失いつつある少年よりも幼い少女があった。
少年は涙を流し切った後で、涙はすでに止まっており、頬には乾いた跡、目元は赤く腫れていた。
「だれか……。だれか、いもうとを」
枯らしつつある声を必死に絞りだしながら少年は救いを求める。
腕の中の少女の服は赤く染まっていた。地面の土は少女の血であろう、赤黒く濁った泥をしている。
しかし誰も来ない。近くで争いがあり、領地の騎士や魔法士たちが出払っているからである。
少年少女の村は貧しく、ポーションなんかは村長の村で1本あるくらいだ。それも、使わずに長い間保管していたのだろう、中身は変色していて効果があるのかも怪しい代物となっていた。
少年はなんとなくだが、理解している。妹の傷やこの生死の境はそこらのポーションでは治らない。ハイポーションと呼ばれるものが必要だろうことを。
ポーションがほしい。
ないなら治癒魔法をかけてほしい。
出来ないなら治癒魔法を教えてほしい。
どんなことでもいい。たとえ自分が犠牲になろうとも、それで妹が救えるのであれば。
そんな時、少年の目の前を3人の男女が通り過ぎる。女性2人に、恐らく男性だろう。外見では判断しにくいが声でなんとなく男性と思われた。
女性2人の方は、服装からしてそれなりの身分か裕福な生まれだろう。その佇まい、生気が凛としていた。
男性の方は、分からない。
「どうか、どうか……。いもうとを助けて下さい!」
もう流れない涙を流しながら少年は懇願した。
女性の一人が少年と腕の中の少女を見やる。すぐに状況を理解したのだろうか、唇を噛んで黙る。
「……ごめんね。今は、助けられない。でも! 向こうの争いから戻ってきたら……」
戻ってきたら助けてあげられる。そう続けたかったのだろう。
ただし、それまで少女に命が残っていれば。
「で、でしたら、ポーションを! 治癒魔法だけでも!」
少年は膝を地面に擦らせて3人ににじり寄る。
「ポーションは、あるには、あるんだけど……」
「どうか、その1本を! ……半分! ひ、ひとくち分だけでも!」
「それは……」
「でしたら治癒魔法を!」
「……この傷からすると、かなり高度な治癒魔法じゃないと助けられない。それができるのはサンティア王国でも数人で、ここには……」
少年は分かっている。何ももらえない。助けをここで得られているのであれば、それまでに既に助けてもらっている。
「ぼ、ぼくは? 僕が魔法をやってみるから! その魔法を教えて下さい!」
「わ、私には」
女性2人が苦悩の表情を浮かべていると、横から男性が声をかけてくる。
「君はその妹を助けたいの?」
「は、はい!」
「どうしても?」
「はい!」
そう聞くと、男性は碧眼の左目と白く濁った右目で少年をじっと見つめた後、口を開いた。
「2人は先に行ってて。ポーションはソフィアに任せるよ」
男性は小さな革袋を取り出し、女性の1人に渡した。
「で、でもそれだと、向こうが」
「僕が行くまで持たせてよ」
「そんなの……」
「それができないとしても僕はこの少年の相手をしてからじゃないとそちらには『行けない』。ソフィア、任せるよ?」
「承知しました」
そう言って、女性の1人がもう一方の腕をつかみ、離れていった。
改めて男が少年に向き直る。
少年も男性を観察する。
中性的な顔立ちに冷たい銀色の髪が腰のあたりまで伸びている。黒いジャケット、パンツを身に纏い、右腕は袖を通っていない。細部にまで装飾されたジャケットの右肩には何のためか白手袋が留めてある。左脚は膝から先がなく、木の棒で作ったであろう簡素な義足がなされていた。
率直に言って、不気味だった。
その外見と独特な雰囲気。まるで幽鬼。
「あなたは、魔法士なのですか?」
「いや、違う。魔法は得意だけど、魔法士じゃない」
「えっと……」
「魔法士じゃなくて、魔術師をやっているよ」
少年は聞き覚えのない言葉に困惑しながらも、助けてもらえるのであればなんでもいいとすぐに切り替える。
「それでポーションをくれるんですか? それとも治癒魔法を?」
「いや、ポーションはもう全部渡したし、持っていない。治癒魔法も使えるけど、この後争いの中心に行くから魔力を残しておきたい。だからその子には使えない」
「えっ? じゃあ、なにを……?」
「君は魔法の知識を求めたね? それも、自分を犠牲にしてでもその子を助けられるのなら、と懇願したね? 僕は知識を求める者に手を差し伸べるのがモットーでね」
心の底から、この得体の知れない『まじゅつし』に感謝した。
「お、教えてくれるんですか? 治癒魔法!」
「教えられるよ。でも、君には教えても意味がない」
「どういうこと?」
「魔法というのはね、体内に持っている魔力を操作——魔力操作することで、現実世界に姿形を顕現させることなんだよ」
男性は手のひらに水の玉を出現させながら続ける。
「つまり、顕現させるにも操作する魔力がなければ、形に現せられないんだ。そして、君の保有魔力総量は、かなり少ない。この水の玉ですら作れないほどだ」
男性は表情を変えずに、声色を変えずに「魔法のセンスがない。魔法士にも魔法使いにすらなれないほどだ」と言い放つ。
「それじゃあ、どうしたら! 僕はどうなったっていい! いもうとが助かるなら死んでもいい!」
「もちろん。誓約は守ろう。君には『魔法』のセンスが絶望的なくらいにないようだ。ただ、『魔術』を扱う素質はいくらかある。だから君に、魔術の知識を授けよう」
「それでいもうとは助かる?」
「助けるのは君だ。ただ、助けられるほどの知識と力を与えることを約束しよう」
「ぜひ! いますぐに!」
「この状況を見る限り、きっと君の妹は死に逝く運命なんだろうね。君はその運命を、その世界に干渉して歪ませることになる。そこには対価が必要だ」
「たいか……」
少年は暗い表情で呟く。
自分の命なのだろう、と少年は考えつく。だが、それでも妹が救えるのならそれでいい。
「ちがうちがう。対価に君の命をもらおう! とか言わないよ。悪魔じゃないんだから」
男性は「悪魔っぽいってよく言われるけど」と笑いながら否定する。
「それじゃなにを?」
「君がこれから扱う代物は『魔法』ではなく『魔術』だ。誓約を立ててもらう。魔法的センスを持ち合わせない君が立てる誓約はかなり厳しいものになるけど、やめるかい?」




