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「少しあっさりしているのでしょうか?」
「エリアスの魚は脂が乗っていて美味しい。しかしそれでも肉の脂よりはあっさりしているのだ。だからここエリアスでは魚料理の美味しさをさらに高めるよう、他とは違う作り方をしているのだ」
「エリアスには葡萄酒のイメージがなかったのですが、なるほど知ればなお美味しく感じますね」
ソフィアは適量の葡萄酒でさらに料理を楽しむ。
だがタリッジの言う葡萄酒の「美味い」はアラベッタの言葉の意味を理解した上で発せられた言葉ではない。彼にとっては自分が飲める酒であれば全て美味いなのだ。
「ヴァレオから聞いたがエインズ殿、カンザスと懇意にしているようだな」
「懇意、というほどのものなのか分からないですが、キルクにいた時にはよくしてもらいました。エリアスの関所を抜ける際にも、これを見せてスムーズに通れましたし」
エインズはカンザスからもらった、ブランディ家の紋様が入ったメダルをアラベッタに見せる。
「カンザスが、『よくする』か。ははは、あの腹黒が何のわけもなしにそんなことをするかね? あいつとは長い付き合いだけどエインズ殿、あいつには注意することだな。いいように利用されてしまうぞ?」
冗談交じりに笑うアラベッタだが、カンザスのことを敵視しているわけではないようだ。なにせ王都で生き残るにはそれなりの政治的嗅覚や能力が必要であることはアラベッタも分かっている。貴族としてのカンザスは真に悪人ではないことは長い付き合いのアラベッタには分かる。
何をするにも国をよくしようという考えあって彼は動いている。それを理解しているアラベッタだからこそ冗談交じりでカンザスのことを話せるのだ。
「それでもいいんですよ、僕は。魔術師としての一線をカンザスさんが越えなければ、他はなんでもいい。僕も無理難題をカンザスさんに解決してもらっているんです、カンザスさんにそれくらいの見返りくらいはあっても当然でしょう」
その後も四人はざっくばらんに話を広げた。
美味しい料理に美味しい酒、自然と場は盛り上がる。盛り上がりが落ち着いたのは皆がエリアス家ご自慢の料理を食べ終わったころ。
エインズとソフィアはコーヒーを啜り、アラベッタは紅茶の香りを楽しんでいた。タリッジはひとり葡萄酒を継続して飲み続けていた。
「これだけ打ち解けあった仲だから少し弱音を吐かせてくれ……」
ティーカップをそっと置いたアラベッタがぽつりとこぼす。
ヴァレオはメイドらに目配せをしてダイニングから出るよう指示した。
「……」
エインズ、ソフィアは沈黙してコーヒーを啜る。タリッジは気にせず葡萄酒を呷る。
「……正直なところ、自信がない。これだけエリアスの街が打撃を受けたことはこれまでなかったのだ。先代、先々代と長く続くエリアス家だが、静かで美しい海だった」
遠くを見るような目で上を見上げるアラベッタ。
思い返しているのは、生まれたときからずっと眺めてきた穏やかな海、波の音。
今回の騒動でそれらは壊れてしまった。魔獣の死骸や血、住民が流した血による異臭、凄惨な光景。
「我らだけでは抑えられなかった騒動も、エインズ殿のおかげで最小限に収まった。だがそれでも多くの船舶がやられ、貿易が鈍るのは間違いない。加えて、エリアスの住民は今回で海に恐怖を抱いてしまった……」
アラベッタのため息は止まらない。
「抱えている船舶がわずかとなり、海に出たいと思う人間も減ってしまった現状はかなり厳しいのだ。これはエリアスだけでなく王国全土へ影響を与える大きな問題となった」
エリアスの統治を担っているアラベッタの肩にずっしりとその重みが乗る。
「……これを領主として食い止められるだろうか。私はもちろんだが、善良なエリアスの住民や王国民が痛みを伴ってしまう。私にはその重責が……」
だがそこでアラベッタは口を閉ざし、その続きは口にしなかった。
ソフィアは心配そうな目で横のエインズを見る。
「僕は貴族になったことはないし、なりたいとも思わない。だからアラベッタ様のお気持ちを考えたこともなければ理解もできない」
「……エインズ様」
「ですがアラベッタ様、その重責のあるなしで貴方の行動は変わるのですか?」
「えっ?」
「重責がなければエリアスの復興に手を抜かれるのですか? 責任があるから必死に働くのですか?」
「手を抜くなんて、私は!」
思わず立ち上がるアラベッタ。椅子の引きずられた音がダイニングに響く。
「結局アラベッタ様の中でやることは一緒なのです、アラベッタ様。責任が重かろうが軽かろうが失敗するときは失敗をし、成功するときは成功する、そんなものですよ」
エインズは続ける。
「起こるか起こらないか分からないことを憂い怯えることに何の意味もありませんよアラベッタ様。エリアスで生まれ、エリアスで生きてきた貴方は何をしたいのですか?」
静かに腰を下ろすアラベッタ。
エインズの問い、その答えなら既にアラベッタの中に出ている。
「結果や評価なんてものは後から付いてくるものですよ。その逆はないんですからアラベッタ様が今目を向けるべきものは港湾都市エリアスだけでいいのです」
殊更思案して問うたわけでもないエインズはただ静かにコーヒーを啜る。
見た目アラベッタよりも年下のエインズにこうも自身の背中を押すような言葉を投げられるとは彼女は思わなかった。
年若くして賢い者もいる。だが、エインズの言葉はどこか自身の実体験のような話しぶりだった。ならばエインズは一体どれだけの経験をしてきたのだろうか、どれだけの失敗をしてきたのだろうか、それだけ濃密な人生を未成人のエインズが果たして送れるのだろうか。
アラベッタは自身よりも精神的に成熟しているように見えるエインズを眺めながら空いたティーカップに伸ばしかけた腕を引っ込めるのだった。