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「カンザスさんの娘曰く、キルクの中ではまだマシな方らしいですけどね。でもこちらのお屋敷と比べてしまうとアラベッタ様がそう思われても無理はないかもしれないですね」
小さな小屋で過ごしていたエインズからしてみればカンザス邸もアラベッタ邸もどちらも大差なく贅沢に感じる。
「浴場に着きましたが、どなたから入られますか?」
浴場の札がかかったドアの前で四人は足を止めた。
「俺らは別に後でいいぜ。エインズは海水で濡れたんだろう、先に入ったらどうだ?」
「……タリッジ、あなたも多少はエインズ様を気遣うことができるのですね。本当に多少ですが」
「お前、本当に一言余計だよな」
すぐに言い合いを始めるソフィアとタリッジ。
「だそうなので僕がまず入ります」
エインズの身体を見てヴァレオが手伝いを買って出ようとしたがエインズはそれを断った。
「でしたら私はお二方を客間まで案内いたしますので。エインズ様はごゆるりとおくつろぎなさってください」
ヴァレオはソフィアとタリッジ二人を連れて浴場前を後にする。
エインズは一人静かに湯を楽しむのであった。
〇
湯から上がったエインズはヴァレオの案内で客間に通された。
ブランディ邸ほどではないが、それでも広い客間だったこともありエインズはぐるりと一通り見回っていった。
最後はベッドに落ち着く。エリアスまでの旅路や、到着して早々巻き込まれてしまったトラブルもあり、疲労が蓄積していたエインズはそのまま眠りについてしまった。
「エインズ様、ご夕食の時間でございます」
「……ソフィア?」
部屋をノックするソフィアの声でエインズは目が覚めた。
身体を起き上がらせると、窓から見える外の様子はすっかり陽が沈んでいた。
「エインズ様、起きていらっしゃいますか?」
「別にいいんじゃねえか、寝てんだろう? そのまま寝かせてやったらどうだ?」
タリッジもいるようで、廊下からはタリッジの話し声も聞こえる。
「二人とも、いま起きたから少し待って」
エインズはそう言って薄暗い部屋の中、ベッドから立ち上がる。
ドアの向こうではまたソフィアがタリッジの脇腹を肘でついたのだろうか、「いてっ」と小さな声が聞こえた。
上着を羽織り、廊下に出たエインズ。
灯りで照らされた廊下は客間とは打って変わって眩しく感じる。
「ヴァレオさんからダイニングの場所は聞いていますのでご案内いたします」
寝ぐせがついているエインズに一礼したソフィアが案内しながら歩きだす。タリッジはあくびをしながらその後ろをついて歩くのだった。
「エインズ様、お目覚めになられましたか」
ダイニングについたエインズを待っていたのはヴァレオ。
メイドを数人引き連れて配膳に取り掛かっていた。
ダイニングは簡素な造りとなっておりテーブルは木製、クロスはかけられていなかった。
「エインズ殿にそれにお二方、お待たせしてしまって申し訳ない。……後処理に奔走していてな」
エインズが出会ったときの凛々しい顔立ちをした美人なアラベッタの姿はそこにはなく、疲れが見て取れるほどに疲弊していた。
「そうでしょうね。失礼ながら顔を見れば分かります。すみません、こんな寝ぼけ眼を見せてしまい」
頭をかきながら苦笑いを見せたエインズは勧められた席に座った。エインズに並ぶようにソフィア、向かい合うようにタリッジが座る。
「ははは、これはお恥ずかしい。なにせまだ完全には終わっていないのでな、気が休まらないんだ……」
「大変ですね」
「たしかに。だが、私の仕事なんかこんな時にしかないのだ。化粧でごまかせない程にクマが出来ようがやらなければならん」
疲弊はしているものの、まだアラベッタの目には力がある。
領主というのは大変なものなんだなとエインズは思った。間違いなく、彼に完璧な統治はできないだろう。
「いや、すまん。この場は助力いただいたエインズ殿に感謝の意を込めてエリアス自慢の魚料理を楽しんでいただく場。こんな暗い話ばかりでは美味しい料理も不味かろう」
アラベッタがヴァレオに目配せをすると、ヴァレオがメイドらに指示を飛ばす。
皆の目の前に手際よく料理が並べられていく。
「さあエインズ殿! エリアス家の料理人が腕によりをかけた品々だ、心行くまで堪能してくれ!」
アラベッタは葡萄酒が注がれたグラスを掲げて一気に飲み干した。
今回の騒動で余程精神的負荷がかかったのだろうか、空になったグラスを片手に馥郁たる香りとアルコールの余韻を楽しんでいた。
「それじゃ僕もお言葉に甘えて」
質の良い料理を口にする際、エインズが右腕を発現させ両手でナイフとフォークを使用するのはもはや当然のことのようになっていた。
エインズの突然現れた右腕にヴァレオもその他のメイドも驚きに目を見開いたが、エインズが魔法に長けていることをアラベッタから聞いていたのもあり、すぐに普段の表情に戻る。
ご馳走を前にエインズの両手が忙しなく動く。酸味を利かせた前菜にとろみをつけたスープ、皮はカリッと焼かれ、身がほろほろとしたポワレはどれもエインズを唸らせた。
極めつきは柑橘系のソースがかけられた生食用の魚。新鮮な魚が獲れるエリアスでしか食せない料理である。
「これこれ! はぁー、美味い!!」
港から距離が離れたところは波が荒い。そんな荒い波の中を泳ぐ魚は身が引き締まる。弾力ある身に程よく乗った脂。柑橘ソースのさっぱりとした風味で調和され口の中で一気に花開く。舌の上でさらに溶け出す脂はしつこくない旨み。
これにはいつも静かに料理を食べているソフィアも思わず「……おいしい」とこぼすほどだ。
「タリッジ、どうだい? これがエリアスの魚料理だよ!」
この感動を共有したいエインズは手を止めることなくタリッジに尋ねる。
「ああ! たしかにこれは堪らんな! なんといっても酒がうめえ!」
「タリッジお前、葡萄酒はどこでも飲めるだろうが。エインズ様がおっしゃっているのは料理に関してだ」
当初はグラスに注いでもらい飲んでいたタリッジだったが、注いでもらう時間が億劫になったのか、ボトルのまま受け取り直吞みしていた。
「いやソフィア殿、タリッジ殿の言葉もまた嬉しいのだ。エリアスは、魚料理に関してはもちろん有名だが葡萄酒も実は良いんだ」
アラベッタに勧められてソフィアも葡萄酒を飲む。




