07
「僕はエインズ。旅をしていてちょうど先ほどエリアスに入れたんだけど、この混乱に巻き込まれてしまって。何が何だか分からないんですよね」
女領主はエインズの装いを観察する。そこに不審なところは多々見受けられるが、助けられた身である。この場でそれを追求することは重要ではないと判断する。
それよりも先にやらなければならないことがある。
「この場はとりあえず落ち着いた。数人を残して直ちに街の防衛及び住民の保護に当たってくれ!」
「「はっ!」」
女領主の指示に三人一組となり騎士たちは街の中へと消えていく。
残る騎士は負傷した仲間の救護に向かう。
「失礼。先ほどは助けて下さり感謝する。私はここ、港湾都市エリアスの領主をしているアラベッタという」
女領主——、アラベッタは剣を鞘に戻しエインズに軽く一礼する。
ブランディ侯爵同様、好印象が持てる貴族のようだとエインズは感じた。
「そこの者らは……」
アラベッタはエインズの傍らに控えるソフィアとタリッジに目をやる。
「彼らは僕と行動を共にする仲間のソフィアとタリッジ」
一礼するソフィアを横に頭の後ろで手を組んでいるタリッジ。ソフィアがタリッジを肘で小突いてやっと、タリッジはため息をつきながら頭を軽く下げた。
「外から来たようだが、エインズ殿らはどちらから?」
「キルクから」
「王都からか。それはまた疲れただろう」
アラベッタは今一度周囲を警戒したが、半魚人が新たに現れる様子もないことを確認して近くの木箱に腰かける。
それに倣ってエインズも木箱に腰を下ろした。ソフィアはエインズの横で静かに直立で待機し、タリッジは赤レンガ倉庫の壁に背中を預けた。
「ええ。それで休憩がてら、楽しみにしていたエリアスの魚料理に舌鼓を打とうとしていたところ、この混乱に巻き込まれまして」
目の前の海を眺めるエインズ。今のところ、海が不自然に荒立っている様子はない。
「それはまた、この地を治める者として申し訳ない。だが、先ほどのエインズ殿の質問に私も答えることができないのだ」
「というと?」
「私もこの騒ぎを耳にしたのがつい先ほど。原因も正確に把握できていないのだ」
潮風に少し傷んだ金色の髪をかき上げながらアラベッタは海に目を向ける。
アラベッタの体つきはソフィアに似ている。男性と異なり筋肉が付きにくい女性が剣を振るうために効率化した、その女性ならではの柔軟性を活かした鞭のようなしなやかな筋肉。
決して太くないアラベッタの腕だが、見るだけで筋肉質であることは明らかだ。前線で剣を振るっていることが見て取れる体つき。
「『海の番人』がどうのこうのと街の人たちが言っていましたけど?」
「ああ、私もやつが原因なのだろうと思っている。これまで、これ程までに荒れたことはなかったんだがな……。この様子を見るにそれしか原因がないように私は思う」
アラベッタが目を向ける先。
静かに穏やかな波打つ海。だが、海面には大きな板や様々な残骸が浮かんでいた。
アラベッタやエリアスの住人が言う『海の番人』とは、多くの足を持つ巨大なクラーケンであるようだ。
それは基本穏やかな性格をしており、極稀にクラーケンの領域を侵した船舶に対し長い足で攻撃を加えることがあっても船を沈めるほどではなかったようだ。
季節によってクラーケンがこのエリアスの海一帯の魚を大量に食すこともあり食料に困ることも多々あったが、クラーケンを討伐できる程腕が立つ剣士や魔法士がいないのと、そこまで悲惨な災害を撒き散らしてこなかったこともあり半ばその存在を放置していたのだ。
「それが今は……」
海に漂う残骸は、停泊していた船舶のそれ。
すでにクラーケンがその足で船に絡みついて海の底へ沈めた後だったのだ。
残っている船舶はごくわずか。それもクラーケンの攻撃や半魚人の攻撃によって船体に損傷が及んでしまっている。
「なぜやつがここまで荒れてしまったのか分からない……。だが、こうなる前に我々がやつを討つべきだった。今が無事だからといって放置するべきではなかったのだ……」
頭を落とすアラベッタ。
ぱさりとガシガシの髪が束となって肩から落ちる。
「上陸してきた半魚人たちは、その荒れたクラーケンから逃れるようにしてエリアスの街に来たということでしょうか」
エインズの横に控えていたソフィアがアラベッタの言葉を聞いて推測する。
「そうかもしれないね。僕も彼らの生態系がどうか理解していないけど、そう考えるのが自然かもしれないね」
それで、とエインズはアラベッタに声をかける。
「それでこれからどうするんですか? そのクラーケンの危険性を知った今、街の惨状と合わせてアラベッタ様はどうするんですか?」
エインズの問いにアラベッタは顔を上げる。
「新たに半魚人が現れていないところを見るに、目下我々が取るべき行動は上陸してきた半魚人の討伐。加えて……」
だが、アラベッタはその続きを口に出来ない。
エインズらもアラベッタが言わんとしていることが何なのか理解している。
しかし討伐が難しい敵を目の前に、エリアスの領主が討伐を口にすることはつまり彼女に仕える騎士並びにここに住まう住民にかなりの負担を強いることを意味する。
特に騎士に関しては死を覚悟しなければいけない程。
そんな命を投げ捨てろと言わんばかりの命令を、アラベッタは口に出来ない。
「……」
エインズとしても目の前のアラベッタの顔を見て可哀そうだと思わないこともない。だがエインズは部外者である。領主の決定に口を出す意味もなければ、彼女を助ける義理もない。
可哀そうだとは思うが、エインズとすれば魚料理をたらふく食べられればそれでよく、居心地が悪くなれば街を離れればよいだけ。
横のソフィアは何か言いたげな様子であるが、エインズの性格を知ってか、主の決断に口を出すのは失礼だと思ってか口を閉ざしたまま。
なんであれ、状況を理解したエインズ。
これではエリアスに長くはいられないなと考える。
「これでは今後、領内の住民は食料に困窮してしまうだろうな……。なんとかせねば」
アラベッタがため息混じりにこぼす。
「ん? それって、どういうこと?」
何か聞き捨てならないことをアラベッタが言った気がしてならないエインズは、思わず聞き直してしまった。