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奇跡の右腕を歩いてくるリーザロッテに向けるエインズ。
「見え透いた脅しは止めろエインズ。妾は魔術を使う気はない」
「この場でもう一度使わせてやったっていい。少々強引なやり方にはなるが」
据わった目でリーザロッテを見つめるエインズ。
「妾は魔術師で、お前も魔術師だ。妾の意思は変わらぬ。ならばこの先の結果が無駄であることもお前は分かるだろう?」
「……」
「お前もさっさとブランディ家の娘を連れて帰れ。これだけの騒ぎだが、お前と妾の因縁だ。ダルテやヴァーツラフどもに邪魔されても鬱陶しい。今日のところは不問にしておいてやる」
エインズもリーザロッテの語った言葉の意味するところを理解している。魔術師が故に。
深く息を吐いて、エインズは右腕を解除する。空になった白手袋を右肩に留め、すれ違うリーザロッテの手に持つ本を覗き見る。
(……『備忘録ロテリア』? なかなか濃い魔力を発している。聞いたことがない魔導書だけど、原典と同じ聖遺物か?)
そうして殺伐とした空気が流れる中、リーザロッテは平然とエインズに背中を見せて書庫を後にした。
残るはエインズと、王国騎士の骸のみ。
リーザロッテのあの様子からも、すぐに王国の治安を管轄する部隊が魔術学院までやってくるのだろう。
面倒事に巻き込まてしまう前にエインズとしてもこの場を去りたい。
もう彼にこの場でやることは残っていない。
「……ふふふ、ふふふふ」
本が散乱する書庫。騎士の骸が複数転がる書庫には鉄錆びの臭いが広がっている。
そんな中、エインズは一人笑いをこぼす。
その異様さは、魔神と称されるエインズにはぴったりなほどに不気味。
ダリアスという新たな魔術師を生み出したことによる高揚なのか、はたまたリーザロッテの魔術、それが不完全解除の域まで届いていることに対する高ぶりなのか。
エインズはくつくつと肩を揺らして笑った後、天井を見上げてこぼす。
「……帰れと言われても、どうやって帰ればいいのか分からないんだけど。セイデルさんもいないし、僕一人じゃ迷子になってしまうんだけど……」
どれでもなかった。
ただ帰り道が分からないだけのエインズであった。
「……ライカ、助けに来てくれないかな?」
その後、呆れた様子でライカがやってくるまで、エインズはただただ情けなさを感じながら佇むことしかできなかった。
騎士の遺体を見たライカはエインズがやらかしてしまったと勘違いし、冷たい目でエインズに「出頭しなさいよ」と言い放ち、エインズが必死に弁明して誤解を解いたのはまた別の話。
〇
「……はっ、ここは?」
意識が戻ったキリシヤは、自身がベッドで横になっていることに気づく。
見慣れた天井に、自身に馴染んだ枕。
ここがキリシヤの自室であることが分かった。
「リーザロッテ様の、魔術なんですね。……初めてリーザロッテの様の魔術をこの身に受けました……」
魔術学院の書庫で、あのリーザロッテと対峙し、あまつさえ彼女の言葉に反論してしまったことを思い出し、今になって恐ろしく感じたキリシヤ。
キリシヤの最後の記憶は、悲しそうな表情を向けながら自身に魔術をかけるリーザロッテ。
口調は常に刺々しいリーザロッテだが、それでもキリシヤは彼女の優しさを身に染みて知っている。キリシヤは薄っすらと気づいているのだ。父であるヴァーツラフや兄であるハーラルと異なり、リーザロッテはキリシヤに対して少々過保護になっていることに。
なぜ私だけなのか、という疑問を抱いたことは一度だけではない。
そんなリーザロッテの悲しげな表情。
魔術を受けた恐ろしさよりも、リーザロッテのその表情の方が鮮明にキリシヤの中で残っていた。
キリシヤは上体を起こし、窓の外を見る。
外はすっかり陽が落ちており、書庫の一件から随分と時間が経っていることを知った。
色々あった。
高ぶり沸騰していた血もすっかりと落ち着きを取り戻したキリシヤは今でも十分に理解しきれていない書庫での一件を思い返していた。
次代の明星の襲撃に、加担したダリアス、そしてダリアスが魔術に目覚め驚異的な力を見せたこと。その傍らにはエインズがいた。リーザロッテがいた。
ルベルメルもそうだが、あの場はキリシヤの知っている魔法士同士の戦いではなかった。
キリシヤがそんな風にぼんやり外を眺めながら耽っていた時、外からドアをノックされた。
「失礼いたしますキリシヤ様。セイデルにございます」
「ちょうど今起きたところです。どうぞ」
キリシヤの返事を待ってドアが開かれる。
ドア先で一礼してセイデルはキリシヤの自室に入る。
「キリシヤ様、落ち着かれましたでしょうか?」
「ええ。リーザロッテ様を相手になんて恐ろしいことをしてしまったのか、恥ずかしさを覚えるほどです……」
窓から視線を外し、セイデルへ移す。
「あの後はどうなったのですか? どう、処理されたのですか?」
セイデルがキリシヤの部屋まで来たのも、キリシヤの体調確認に合わせて事の顛末の報告が理由だった。
キリシヤを負ぶって書庫を後にしたセイデル。リーザロッテ、エインズともに立ち去った後に、王国の騎士部隊と調査隊が駆け付け、死んでしまった騎士の遺体の回収とともにルベルメルの魔法、その痕跡の調査と記録を行なった。
次代の明星は、その構成員がはっきりと分かっていない。そのため、誰がどのような魔法を使うのか不明な点が多く、対策が取れないのだ。
だが今回、キリシヤにセイデル、リーザロッテもルベルメルのその顔をはっきりと確認している。魔法に関してはセイデルが直接対峙している。
今後、サンティア王国内でルベルメルは自由に動くことはできないであろう。手配書が広まり、お尋ね者になっている。
ダリアスについてだが、これもセイデルの報告でルベルメルに協力し原典の原本強奪への加担、騎士の殺害、次代の明星の側についたという内容が挙がっている。
当然ルベルメル同様、手配書が国内に行き広がるだろう。
そして同時にソビ家当主であるゾイン=ソビ侯爵への責任追及である。が、これもダリアスの単独での判断に加え、自らの意思でソビ家を去ったということもあり、ゾイン=ソビの降爵までの沙汰とはならなかった。
魔術学院改修費の一部補填、加えて三年間の減俸。こんなところで落ち着いた。




