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「ダリアス、君の価値は君が築き上げるべきだ。それがあれば君は君として確立できる。その助力を僕は惜しまない」
エインズの右腕に怯えながらダリアスは尋ねる。
「それは、いったい何なんだ?」
「魔術だよ。知識であり力。金なんかじゃない、家柄なんかじゃない、君の、君のための、君だけの力。君を確立できる力をお詫びとして僕は提供しよう」
魔術。
座り込むダリアスの横に立つルベルメルを圧倒した力。キリシヤの従者であり、王国でもトップクラスの技量を持つ魔法士のセイデルを圧倒した彼女をさらに上回る力。
それをダリアスの目の前のエインズはくれるというのだ。恐ろしくもあり、欲したい気持ちもある。自分がこんな状況になった敵である者からの救いの手。不愉快であるがしかし——。
「……どうせ僕はもう終わっている。どうなろうが、楽に死ねるならなんでもいい」
そんな弱弱しい呟きに、エインズは笑う。
「死なない死なない。なに怖いこと言っているんだよ、僕が死神にでも見えたのかい? 魔神と言われたことはあっても死神なんて初めて言われたね」
「……魔神?」
エインズの軽口の中から、ルベルメルの脳を揺さぶるワードが飛び込む。
「一瞬だよ、ダリアス。君の持つ欲望は届くに足ると判断した」
エインズは右手をダリアスの頭に乗せる。
手袋越しだが、その温かみのない無機質で異様な右手を置かれた感触にダリアスは小さく身体を震わす。
「お前は、いったい何なんだ。ただの一介の従者じゃないのか」
ダリアスは見上げるようにしてエインズを覗き込む。青い瞳と赤い瞳をしているその双眸を。
「僕は魔術師エインズ=シルベタス。……人は僕を『魔神』と呼ぶらしいね」
ダリアスに聞こえる程度の声量。それはルベルメルにも届くが、彼らの後ろにいるキリシヤやセイデルには届かない言葉。
そして、ルベルメルの脳を痺れさせる言葉。
「エインズ様! あなたは、まさか——」
ルベルメルのそこから先の言葉は続かなかった。
そして、ダリアスへ力の提供が為される。
ダリアスの脳裏に走馬灯のように走る魔術知識。それは全身を駆け巡り、順応する。
まるで腕を動かすように、足を動かすように、身体を動かす当たり前の感覚としてダリアスはそれを受け入れる。
「……終わったよ、ダリアス。魔術の使い方は分かるね?」
ダリアスの頭に乗せていた右手を引っ込めるエインズ。
力なく床に座り込んでいたダリアスだったが、ズボンに付いた煤汚れを手で払い落とし立ち上がる。
その目は生気を宿している。
「キリシヤさん、正義の意味が分かったかい?」
キリシヤに向き直るエインズ。
碧眼白眼の双眸、それを見つめるキリシヤの視線は揺らぐ。
「……私は、エインズさんが何を言いたいのか、分かりません。私の何が間違っているのかも……」
俯き、エインズから視線を外すキリシヤ。
「正義とは、自分を保つためだけの都合の良い大義名分だよ。それ以上の栄えある意味なんてない」
「意味が……」
意味が分からないキリシヤ。
「正義は悪で、悪もまた正義だ。キリシヤさんにとっての正義は、ダリアスやルベルメルさんにとっての悪。ダリアスやルベルメルさんの正義はキリシヤにとっての悪」
エインズは続ける。
「正義を為すということは誰かにとっての悪を為すこと。分かりやすい例を挙げよう。英雄が戦場で流す血も、盗賊が家屋に押し入り流す血も、等しく『人を殺める』行為に違いない」
「いいえ、違います! そこには尊さの有無という違いがあります。誉れの有無があります。誰かを守る、国を守るという気高さがあります。決して盗賊のものが英雄と同じはずがありません!」
キリシヤは熱弁する。古く、サンティア王国存続のために散っていった英雄を、その振る舞いが盗賊のそれと同じものだということは決してない。否定しなければならない。彼らのためにも。
「盗賊にも、守るべき誰かや愛すべき誰かがいたかもしれない。英雄も然り、君にも、セイデルさんにも然り。自分一人で生きている訳ではないのだから。気高さがあるから殺めても良いというのは一方面からのこじつけだ。ただ純粋にあるのは、殺める者と殺められる者。そこに違いはなく、どちらも悪でありそしてどちらも正義だ」
キリシヤはエインズの目をまともに見れない。
「正義を振りかざすのならば、誰かにとっての極悪人になる覚悟が必要だ。誤魔化してはいけない、目を背けてはいけない。正義が処すのではない。返り血で染まる自らの手が処すんだよ」
エインズはキリシヤのもとへ歩み寄りながら続ける。
「彼らを悪人として王国の法に則り罰する。これを正義なんて言葉の麻酔で忌避してはいけない。君らが君らにとって円滑な国運営のために定めた、正義の名を借りただけの都合の良い法律を盾に、彼らと同じ君ら人間がその手で彼らを処すんだよ」
エインズの右腕は解除されていない。
「キリシヤさんには彼らが悪人で傲慢に見えたかい?」
キリシヤの目の前を歩み寄ってくるエインズは、いつも彼女が見ていた人と同じ人なのだろうか。
これまで彼女が抱いていた気持ちや感情それらが、エインズが近づくにつれて、言葉を紡ぐにつれて崩れていく。
異様な出で立ちに整った美形な顔。優しい声はそのままに何かが違う。
もしかすると、知らなかっただけで彼の本質はこうだったのかもしれない。
「彼らがそう見えたのなら、キリシヤさん、君も彼らと同じさ。見ている面が違うだけで」
決定的に絶対的に、万人に愛される正義など存在しない。
正義か悪かとは、畢竟、自分か自分以外かでしかない。
「そんな桃源郷にしかない幻を見るくらいなら、周りにへばりついている悪を見て触れて溺れた方がいい。君の言う雲のような正義よりかは、そこらの悪の方が少なくとも一方向からの確固たる正義をなしていると思うよ?」
なんせ悪もまた他方面では正義なのだから、とエインズは笑みを浮かべながら結ぶ。
キリシヤの信念が揺れ動く。
王国に住まう善き臣民のため、彼らを守るために悪を挫く。それこそがサンティア王国の王族として生を受けたキリシヤが信じる高貴さゆえの義務。そしてキリシヤが信じる正義。
それが、エインズの言葉に揺れる。激しく。
「私は……」
否定したい。何を言いたいのか、考えもまとまらないままキリシヤは口を開く。
その時だった。
「それ以上は聞くな、キリシヤ」
キリシヤの背後から声がする。




