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魔法でなければ体術か? と一瞬ルベルメルは考えたが、注視していた状況で刹那の時間で懐に入り込み原典を奪って離れる、などとありえないとすぐに否定した。
第一、エインズの脚は動いてすらいなかった。
ルベルメルの意識だけが数瞬飛んだ、ということでもない。エインズの後ろにいるキリシヤやセイデルもルベルメルと同様に驚きを隠せないでいる。
「ルベルメルさん、これが魔術だよ。魔法とは別枠にある力」
エインズは手に入れた原典をパラパラとめくり、中を確認する。
「僕の持つ魔術の一つ『奇跡の右腕』。僕が望めば僕が取得できるものは全て手に入る魔術。この原典は僕のものだ。僕の原典を僕が読めないなんてありえないよね」
だから右腕はこれを掴んだ、とエインズは結ぶ。
背中を流れる汗を感じながらルベルメルは悔しさを見せる。
「『次代の明星』の人らはとても面白い魔法を使う。ルベルメルさんもそうだし、前のコルベッリもそうだ。だけど、君たちは魔法と魔術の違いを理解していない」
「……コルベッリを知っているのですか。王国で消息不明になったと聞きましたが、そうですか、エインズ様が対峙したのですか」
「彼は面白い制限の魔法を使っていたよ。本人は拘束の魔術だって言っていたけど」
エインズは息を吐いて、取り戻した原典を持ちながらキリシヤの方へ振り返る。
「別に僕は渡してしまってもよかったんだけどね。読まれ、知識を深めることこそが、この本の存在理由だ。間違った使い方をされるくらいなら、別の人に渡した方がましだ」
「……エインズ、さん? 何を言っているんですか? それは……」
キリシヤは理解できない。エインズの言葉の意味するところを。
原典の発信はアインズ領であり、アインズ領でも原典の一部を保管しているが、その他王国で見つかったものは全て王国の管理となっている。
誰かの所有物、ということにはないが、しいて言えば国のものであり、国宝なのだ。
だからこそキリシヤはエインズの言葉が理解できない。
それではまるで——。
「……またお前か。……またお前は、僕の邪魔をするのか!」
エインズの背中にぶつける怒気のこもる言葉はダリアスのもの。
「僕がこの状況に陥ったのも元はお前のせいなんだ、エインズ! お前のような欠損だらけの従者風情のせいで、僕は!」
声を荒げながらエインズを睨みつけるダリアス。
しかし続ける言葉は、先ほどとは打って変わって弱弱しいものになる。
「もう、おわりだ。このことが父上の耳に入れば、僕は本当に終わりだ。そして父上ならば間違いなくこのことを耳にする……」
「ダリアスさん、あなたがどう動こうと私からこの件について父である陛下に報告します。王国からソビ家に対し厳しい処罰がなされることも間違いないでしょう」
ぺたりと座り込むダリアスと、背筋を伸ばし正義の鉄槌を下さんばかりのキリシヤ。
そんなキリシヤは一瞬見た。ダリアスへ振り返る際に見せたエインズの不敵な笑みを。
だがそれも振り返ってしまえばエインズの顔からは消えている。
「なるほど。確かに僕は君の目的、父からの評価を取り戻すこと、その邪魔をしたのかもしれない」
「……」
「ではなぜ君は評価を取り戻したい?」
「……なぜもなにも、言葉のまま意味するところだ」
ダリアスの覇気のない言葉。それが乱雑な書庫にこぼれる。
「そうじゃない。評価を取り戻すことによって、君はどうなれるんだい? それが、君が評価を取り戻したいと思った目的なんでしょ」
エインズは左手に嵌める指環に魔力を込めてマジックボックスを展開し、原典を収納する。
「……僕はどこまでいってもソビ家の人間だ。僕が持つ力はソビ家の威でしかない。……父上はもちろんソビ家も僕を相手にしなくなれば、それもなくなる」
ダリアスはそう言いながら、その前に自分の命が『ソビ家の呪い』によってなくなってしまうかもしれないと諦観した。
「……僕だって分かっている。僕自身には何の力もない。ただ、家の威を借っているだけに過ぎないことを。だから僕を見てくれないし、僕の言葉を聞いてくれない。僕が僕であるために父上の評価は必要なんだ。原典の管理はそれに値する。だから、返せよ原典。お前もさっき言っていただろう、誰の手に渡っていようが構わないと」
とはいえ、キリシヤの目の前で事を起こしてしまっている。ダリアスが原典を手にしたところで、王国からソビ家に対して厳しい追及があることは間違いない。
ダリアスもそのことを分かっているのか、言葉にそこまで貪欲な感情はこめられていない。
「いいや、残念だけどこれは君たちには渡せない。だけど、他のものならいい。君の話を聞くと、自分の価値を確立したいように聞こえた。つまりそれができれば、君の父親の評価も原典も不要なのだろう?」
「……はっ。そんな都合の良いものがあるものか」
乾いた笑いを見せるダリアスにエインズは答える。
「その都合の良いものを君に渡そう。どうであれ、僕は君の邪魔をしたわけなんだから」
本が散らばり、煤に汚れる床を歩き、エインズはダリアスに歩み寄る。
「エ、エインズさん! 彼は悪事を働いたのです! 正義のもとに処罰されなければならない悪に、エインズさんは加担するんですか! 考え直してください!」
それは正義の炎に燃えるキリシヤのもの。
「ダリアスさんもそうですが、そこの次代の明星ルベルメルもそうです。悪であり、捕らえて罰しなければなりません。王国を、民を守るために、正義をなさなければなりません!」
エインズは足をとめることなく、歩きながらキリシヤに返す。
「キリシヤさん。君は正義という言葉が意味するところを理解していない。ライカと同い年でそこまで理解できないのは当たり前だけど、君の言葉は軽すぎる」
「えっ!?」
エインズの言葉は、キリシヤが思っていたものとは違った。まるでダリアスの味方のような発言に、キリシヤは一瞬思考が停止する。
「君の言う正義とは、誰にとっての正義なんだい?」
「そ、それはもちろん善き人間、全ての者にとっての正義です。彼らを脅かすものこそ悪。違いますか? 私は間違ったことを言っていますか?」
キリシヤの確固たる自信のある言葉にエインズはさらと返す。
「一方面では合っているけど、正解ではない。これが分からない限り、キリシヤさんが真に正義を執行することはできない」
「……」
キリシヤはまさか間違っていると言われるとは思わなかった。そしてエインズの言葉の意味を考える。
その間にエインズはダリアスの目の前まで行き、そのこの世のものではない右腕をかざす。
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