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一方、教室に残ったのは、興奮冷めやらぬ生徒らに、キリシヤ、そして呆然としたまま床にぺたりと座るハンナ教諭。それを、やっぱりこうなってしまったかと頭を抱えため息をつきながら傍から眺めるライカ。
そんな彼女らも時間が経てば、落ち着きが戻る。
ハンナも我に返り、しどろもどろではあったが、講義を始めた。
それを聞く生徒らも馬鹿ではない。
先ほどのエインズとのやり取りにおいて、ハンナの実力はライカ=ブランディの従者であるエインズよりも劣っているものと分かったとはいえ、それでも魔術学院の教諭を務める者である。自分らよりもその技量は十分にある。
エインズの言葉を頭に置きながら、ハンナの講義を静かに聞くのだった。
ハンナはハンナで、生徒らの考えが読み取れてしまう。
これまでは生徒らはハンナの講義を漏らさず聞きメモを取っていたのだが、今は空気が違っていた。
生徒らは静かに講義に耳を傾けてはいるものの、どこかこの講義を反面教師として捉えている節が読み取れる。
今すぐにでも教室から逃げたいとハンナは思いながらも、教諭としてのプライドが彼女を最後のところで踏みとどまらせる。
まるで長きに渡る苦痛の時間。それでもハンナは時間いっぱい講義を全うすることができた。
昼休憩のベルが鳴る。
ハンナは普段よりも速足で教室を後にした。
「キリシヤ、お昼にしましょう?」
教科書を片付け終えたライカがキリシヤに話しかける。
「あら、エインズさんは待たないの? 勝手にお昼にしたら怒りそうだけど」
首を傾げながら答えるキリシヤ。
「いいのいいの。遅いのがいけないんだし。勝手にしていればいいわ」
面倒事は起こしちゃうしそれを収束させることなく立ち去るし、帰ってきたら罰が必要ね、とライカは拳を作る。
「キリシヤはどうするの? セイデルを待つの?」
キリシヤは少し難しそうな顔をして、
「うーん、お昼のことはセイデルに任せてあったし、後でセイデルの所に行くって言っちゃったからなー。ちょっと行ってくる」
と言うと、席を立つ。
「行ってくるって、セイデルが今どこにいるのか分かっているの?」
「うん、セイデルは私の従者だからね。発信機で居場所が分かるのよ」
キリシヤは、図書館の所で赤く光る目印をライカに見せる。
それを見てライカは、エインズにも持たせるべきだったと後悔した。だが彼はこれをすんなりと持ってくれるだろうか。ライカはエインズが気づかぬうちに服のポケットに忍ばせておこうと思った。
「それなら早くしないと休憩時間が終わっちゃうわね。気をつけなさいよ、キリシヤ」
「うん、それじゃ行ってくるから、ライカはお昼先に食べてて!」
キリシヤは教室を出て、セイデルがいる図書館へ向かう。
「……まさかいきなり一人寂しくお昼を食べることになるとは思わなかったわ」
リステ手製の冷めたお弁当がより一層冷たく感じるライカであった。
発信機を手に、図書館を目指すキリシヤ。
キリシヤもいまだ学院の地理には詳しくなく、地図がなければこの広大な敷地で迷子になってしまう程である。
「……それにしてもエインズさん、すごかったなぁ」
独り言ちながら歩くキリシヤは教壇に立ったエインズを思い返していた。
一緒になって他愛もない雑談をしていた時には見せなかった一面。信念を持ち、魔法に誇りを持った魔術師が見せる顔であった。
それはリーザロッテが見せる顔、といってもキリシヤが見たのもごくわずかなものではあるが。
キリシヤは思い返すだけで顔が熱くなる。
理路整然と魔法について語るエインズ。当然のように、目の前で自分達の当たり前が覆されたのだ。
普段はキリシヤやライカと変わらない話しぶりで、接しやすい人柄だが、こと魔法になればまるで違う。自分と歳が近いことも忘れてしまう程、それは堂々としたもの。
初めて会ったのは玉座の広間。
数段上がったところには王族と宰相、父であるヴァーツラフ国王陛下が並び、壁を騎士が取り囲み、目の前では迫力のあるダルテ近衛騎士団長が睨みを利かせている。
そんな普通の人ならば畏怖してしまい思考もまとまらない状況の中、エインズの振舞いは堂々としたものだった。
最低限の礼儀はしたものの、国王陛下に堂々とものを言う。
剣が届く間合いにも拘わらずダルテ近衛騎士団長に一歩も引かない豪胆さ。
見ただけでも震えてしまう、リーザロッテの膨大に溢れる魔力に目を輝かせ立ち向かわんとする勇猛さ。
すごい精神の持ち主なんだな、と漠然とした感想しか抱かなかったキリシヤだが、エインズと直接関わってみれば、意外とグルメな人間味あふれる一面を知った。キリシヤと何ら変わらない人間らしさを感じた。
エインズのその穏やかな空気と、反面、猛々しい空気のギャップにキリシヤは一気に興味を惹かれた。
そしてそこに、講義の際に見せた知性。
自然とキリシヤの目はエインズの方へ向かってしまう。
「ライカは、ずるいわ……」
学院以外の時間でもエインズと話せるのだから。
寝食を共にして、ふざけ合い、切磋琢磨して魔法の腕を磨き、仲を深めていく。
あまりマイナスな考えや感情を抱かないキリシヤでも、少しライカに対して嫉妬してしまう。
それでも図書館に行けば、セイデルはもちろん、同行したエインズもいることは確か。お昼の時間だけでももっとエインズと話してみたいと考えるキリシヤだった。
その足は自然と早くなる。
そんな時だった。
激しいうなりと共に、地面が揺れる。
「なに!? 地震?」
キリシヤは咄嗟に両手で頭を守りながら窓越しに外の様子を眺める。
「……あれは一体、なんなの?」
そこには地面から生えた巨大な幹が大蛇のように動き回り、魔術学院を覆う光景があった。
それは外界との隔絶。
予想もしなかった状況に、足がすくむキリシヤ。まるで蛇に睨まれた蛙のように身体が強張る。
大蛇はそれだけにとどまらず、尚も地面から大量に現れる。
それは校舎を囲み、中へ侵入してくる。
キリシヤはその傷一つない、綺麗な太腿を強く叩き、
「動いて、私!」
と発破をかけて大蛇を避ける。
「略式詠唱、『火球』!」
廊下を走りながら、後方から迫る木の大蛇へ火球をぶつけるキリシヤ。
しかし巨大な幹は意外にも多量に水分を含んでいる。
火球のような小さな火力では燃え広がることもなく、まるで焼石に水。
「下級魔法だと、効かない!?」
息を切らしながら走るキリシヤ。
しかし大蛇は後方だけでなく、窓を割って横からも次々に侵入してくる。
入学試験科目とはいえ、剣術のおかげで普段から身体を動かしていたこともあり、臨機応変な判断に自分の身体が付いてきてくれる。
集中して時間をかければキリシヤでも中級魔法の火槍を発現出来る。しかしそれは術式詠唱を伴う。
講義の時に語っていたエインズの考え方が身についていればこんな状況でも咄嗟に中級三種どころかそれ以外にも魔法を使用して対応できていたのかもしれない。
魔法の奴隷に成り下がった魔法使い。
正しくその通りだとキリシヤは実感した。
だが、幸いにも図書館はすぐ目の前だ。今のキリシヤの魔法の腕前だと木の大蛇相手に全く意味を成さないことが分かった。
それならば駆けるだけ。




