執事の館
アントニオは馬車に揺られながら、自分がこれから過ごすであろう執事育成所に思いをはせていた。まだ訓練も受けていないのに未来の執事の自分を想像してはニヤリと笑い、慌てて真顔になるというのを一人繰り返していた。
「アントニオ様、到着致しました。」
御者が馬車の外から声をかけると、アントニオは顔を再び引き締め、身なりを整えてから降りた。
「っ…!?」
育成所の割には貴族が住むような豪華な館が立っていた驚きから出てこようとする声をかろうじて抑える。そして、視線を下に移すとモノクルをかけた老人と言うには凛々しすぎる紳士が立っていた。
「ようこそ、執事の館へ。私がこの教育兼交流所の最高責任者のセバス=オードリックでございます。」
「…こんにちは、これからお世話になります。アントニオです。」
この時、アントニオはいかにもな名前にツッコミを入れるのを反射的に止めた自分を心の中で褒め称えていた。
「ふむ。失礼ですが、元の世界では平民であられましたか?」
「はい。ごく普通の一般家庭の平民です。」
「なるほど。ここにくるのは平民より下級または、中級階級貴族の方が多いのです。なので貴族扱いされていた頃が抜けず、教員一人しか出迎えないことにほとんどの方が憤られます。」
「なるほど。ですが、何故私一人に最高責任者の貴方がその、迎えてくれたのですか?」
「ルキウス第二王子殿下より、貴方を二週間で執事として他国との会談に出せるようにしてほしいとのことですので、私直々にお迎えに上がりました。この時から既に教育は始まっておりますよ。」
「ド素人の私でも…」
あまりの酷な内容につい本音を漏らしたアントニオにすかさず目でくぎを刺す。
「無知な私でもさすがにそれは困難だと思うのですが。」
「えぇ、だからこそ私どもにとってはやりがいのある仕事であり、貴方にとっては、必要なら無理難題に応え、無謀ならそれを諌める、執事にとって必須事項を学ぶ有意義な時間になるはずです。」
「…よろしくお願いいたします。」
挨拶の後、案内されたのは、館内で過ごす間の個室だった。広くもなく、狭くもない部屋は、一般家庭で育ってきたアントニオにとって慣れ親しんだもの。ただ、部屋に置かれている家具は上等なもので、扱い方に気を付けようと心の中で誓うことになった。
「個室なんですね。意外です。」
「いえ、当たり前ですよ。」
「養成所ならば団体部屋かと思っていました。」
「執事は家のことはもちろん、主人の情報について扱う立場にあります。なので他の使用人とは違い情報漏洩を防ぐため個室なのです。当館では実際に働く環境そのままに造られております。」
「確かに、団体部屋ではではどこに何を置いてあるか、すぐ知れちゃいますね。」
「知れちゃいます?」
「知られてしまいますね!」
眉だけを器用に動かして言葉遣いを指摘するセバスの様子に慌てて言い直す。
「では、今後の予定を発表いたします。」
「はいっ!」
「本来であれば、まず他の平民の方々と座学と実技、そして異なる身分階級の方々との立食パーティーをはじめとした交流会に参加と。この流れ一つを二週間で行うのですが。それでは間に合わないので、特別授業を受けていただきます。繫忙期には睡眠時間が満足に取るのが難しいため隙間時間に休息を取り、主人には決して疲れを見せないのが重要です。これ自体は習得するのは難しいことではありません。今日は疲れの取り方を覚えましょう。明日からは実技と座学、交流会には毎日出席していただきまず。」
「!?!。交流会は二週間に一度では?」
「上級生は下級生より頻繁に行いますのでそれに参加を。各クラス、各ランクの交流会に出席すれば問題あれません。この私が最高の執事に仕立てあげてみせます。」
「質問よろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう。」
「ランクとは?下級生、上級生と言っていたので一定の期間で基準の成績以上を納めれば昇級するのではないように聞こえました。」
「はい、当館は実力主義なので教員が次の段階に進むべきと決めた方は期間内でも上のランクに上げます。そして期間内に基準の成績以上を納めれば、ではなく我々教員一同がその次の段階へと育てるのです。妥協など一切致しません。我々の妥協が将来、生徒が仕事に妥協することにつながるのです。」
真剣な目で語るセバスにアントニオはこの人を育てた人が気になってきたが、それより大事なことを聞かなければならない。
「私が求められるランクとは?」
「両翼です。」
「両翼?」
「ランクは卵から始まり、羽、羽一、羽2、片翼、両翼、銀翼、金翼、光翼、そして影翼です。」
「結構、ハイランクですね。ちなみにセバスさんは…」
目線を胸元に移すと黒い両翼のバッチが輝いた。
「もちろん、影翼でございます。」
「光翼の方が下なんですね。」
アントニオは影より光の方が尊ばれる印象の方が強いため、ここでは違うのかなと思っていた。
「確かに一見したら光翼の方がランクが上だと思う方が多いでしょう。しかし、私たちは本来裏方、サポート役なのです。光のように目立つのではなく、影のように主人を引き立てるのが使命。たとえ、貴方のように装飾品としての役目も持っていたとしても。」
「その話もお聞きになったんですか?」
「はい、美容法もお教えします。」
まさか、執事修行の過程で美容法を学ぶとは思わず、しかしあらゆる主人の行動を把握し家の事すら管理する役職なら普通なのかと考えていた。
「執事に決まった姿はありません。ここではできるだけどういう執事に仕立ててほしいのか希望を伺い、それに沿って教育致します。ですが、いざ仕えると自分に足りないものなどが見えてきて主人に必要な執事の形になっていくのです。」
見透かされたと感じたが、納得できる答えが返ってきて安心した。
「それでは皆様。」
パンッ
そう言ってセバスが手を叩いた瞬間。
「はい。セバス様。」
どこにそんなひそんでいたのだと言いたくなる数の様々な光輝くバッチを付けた執事らが一糸乱れぬ動きで現れた。
「訓練…開始です。」
そのバッチはいずれも金翼以上だった。