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トンボは、ふらふらと2人に近づいてきた。
何の目的もなく飛んでいるかのようだった。
男は、キャンバスをすぐ脇のコンクリートの上に置いた。
丁度、トンボがキャンバスの真上にさ迷い出た時だった。
突然、絵の中のサメが動き出した。
それだけでなく、サメは圧倒的な迫力で水しぶきを上げると、歯ぐきをむき出しにし、描かれた水面から垂直に上半身だけ飛び上がった。
実体を持つサメが、絵から飛び出した。
トンボは逃げる間もなく、サメに捕らえられた。
里奈が見ている間に、サメは口にトンボを咥えたまま、水しぶきを上げてキャンバスに戻った。
「えっ、今・・・・・・?」
里奈は、目の前で何が起きたのか、理解することが出来なかった。
両膝が、がくがくと震えている。
とりあえず、かけていたメガネを外し、手の甲で両目を強くこすった。
絵には、先程までとまったく変わらず、海原を泳ぐサメの姿があった。
「そんな馬鹿なこと、あるはずないよね」
里奈は、自身に言い聞かせるようにつぶやいたが、恐る恐る頬や服に手を触れると、微かにだが濡れており、潮の香りがした。
里奈は首をひねりつつ、メガネをかけようとした。
すると、レンズの表面に何かが付いているのに気づいた。
里奈は再びメガネを外し、レンズに目を近づけた。
最初、それが何なのか、わからなかった。
さらに凝視した。
レンズに付着していたのは、ちぎれたトンボの頭部だった。
里奈は、恐ろしさのあまり固まってしまった。




