真実は常に闇の中……世の中っていつもそうですよね?
― アシュラム王国王宮、玉座の間 ―
玉座には、本来ならば国王、イグニス=フォン=イリアーノ17世が座っている筈だった。
しかし、国王はここの所ずっと病床に臥せっており、その玉座には変わりに、この国の第三皇子ダニエル=イリアーノが所在なさげに座っている。
そしてその脇には、一人の男が立っている。
玉座の背もたれに肘をつき、砕けた感じで、何らや王子と話しているようだ。
そこに、玉座の間の扉が開き、フードを深々と被ったローブ姿の魔術師が入ってくる。
アシュラム王国筆頭宮廷魔術師のガズェルだ。
ガズェルは男を見るなり、居丈高に言い放つ。
「貴様!何を考えている!何故言うとおりにしないのだっ!」
「ん?なんのことだ?言う通りにしてるじゃないか?」
「では、何故グランベルグに攻め込まないっ!北の小国なんかに構っている必要はないだろうがっ!」
怒鳴るガズェルを、男は可哀想な者を見るような哀れみと侮蔑を込めた目で見た後、ゆっくりと答える。
「お前はアホか?この国の戦力でグランベルクに攻め込んだって勝てるわけないだろ?」
「その為の貴様だろうがっ!何故言うとおりに攻め込まぬのじゃ!」
「はぁ……つくづくアホだな……こんなのが筆頭魔術師じゃ、お前も大変だな。」
男は呆れた声で言いながら王子を見る。
突然、話を振られた王子は、慌てて首を振り、気まずそうに俯く。
「仕方がないな、アホなお猿さんでもわかる様に、この魔王たる俺様が直々に説明してやろう。有難く思って拝聴する様に。」
男……魔王がそう言うと、ガズェルは「ぐぬぬ……」と唸りはしたものの、話の続きを促す。
「まず、このアシュラム王国を取り巻いている状況からだな。」
魔王はそう言うと、中空に地図をイメージしたものを浮かび上がらせる。
物質転写の魔法だ……初めて見たと、王子は心の中で思った。
先日来、気さくに話しかけてくれる魔王に、少なからず心を動かされていた王子だが、使い手の少ない珍しい魔法を扱うのを見て、もっと話をしたいとかなり興味をもったことは間違いない。
「東は険しい山脈があり、これを超えるとベルグシュタット王国がある。北には小国がいくつか群れを成し、そのさらに北には北方の大国ベルーガ連邦が拠を構えている。そして、西から南にかけてグランベルク王国の領地だ。……ここまではいいか?」
魔王の言葉に王子とガズェルは頷く。
「つまり、この国は四方を囲まれている事になる。このままどこかに戦争を吹っ掛けても、その機に乗じて他方から攻め込まれたら、攻め込むどころじゃなくなるのは、アホでもわかると思うが?」
王子は再び頷き、ガズェルは「ぐぬぬ……」と呻き声を漏らす。
「さて、そこにいる血気盛んなお方が、先日西方面へ出兵させたことは記憶に新しいと思う。」
まさか忘れてないよな?と魔王はガズェルを見る。
「ここで敗退したら、俺も困るから手を貸して一応占拠したが、当然グランベルグは宣戦布告と取ってこの国に攻め入る準備をしている所だろう。」
「そこまで分かっていて、なぜ南下しないのじゃ!まだ準備が整っていない今が絶好のチャンスじゃろうが!」
喚くガズェルを見て、魔王が呆れたように言う。
「お前はグランベルクを攻めることが出来るのならアシュラム王国はどうなってもいいと考えているだろう?」
「な、何をバカな事をっ!……それより、なぜ南下しないかの理由じゃ!」
魔王の指摘に一瞬狼狽えるガズェルだったが、すぐに平静さを取り戻す。
魔王はそんなガズェルの様子を面白そうに眺めた後、話を続ける。
「さっきも言ったように、この国は囲まれている。そして、いきなり西方を占拠した事によって、他国にこの国へ攻め込む大義名分を与えてしまった。つまり、今南下すれば、これ幸いとばかりに他国が攻め込んでくるんだよ。特に北方がな。」
ベルーガ連邦にしてみれば、属国と呼んで差支えの無い小国群にアシュラムへ攻め込むことを示唆するだけでいい。
小国群にしても、領土を広げるチャンスなので、これに乗らない手はない。
しかも相手は南方にかかりきりで、こちらはバックにベルーガ連邦がついているのだからと、勝利を確信している事だろう。
ベルーガ連邦にしても、成功すれば小国群に恩を売り、益々影響力を強めることが出来るし、失敗しても自国に何の影響ももたらさないので、黙って見ていて手を出さないという事はありえないと魔王が言う。
魔王の説明を聞いて黙り込むガズェル。
「更に東だ。山脈が自然の要害になる為ベルグシュタットが攻めてくる可能性は低いと考えていないか?」
魔王の言葉に頷くダニエル王子。
ガズェルは黙っている。
「普通なら、その考えで問題がないんだが……ガズェル、お前何をした?」
魔王がガズェルを一睨みするが、ガズェルは黙ったまま何も答えない。
「……フン、まぁいいだろう。東からは攻めにくいと誰もが考えるからこそ、東側から攻め入る可能性を考慮しなければならない……いくら険しいと言っても時間をかければ大軍を送る事も出来ないわけじゃない。」
「しかし、一度に大勢が通れるわけじゃありませんし、あの山脈に住む魔獣の事を考えると、ここに攻め込む前に、魔獣による被害の方が大きいと思いますが?」
ダニエル王子が疑問を魔王にぶつける。
「普段なら確かにその通りだな。今、あの山脈を取り仕切っている魔獣は星王狼に率いられた星狼達だ。彼らの縄張りに入って無事に通り抜けることは難しいだろうな。」
「星王狼!あの伝説の……。だったら尚更東から攻め入る事は難しいじゃないですか?」
ダニエル王子は驚き戸惑いながらも、東からは無理なのでは?と聞いてくる。
「普段なら、と言ったはずだ。ガズェルが何もしてなければな。」
魔王はそう言って、再びガズェルを睨む。
「儂が何をしたというのじゃ?証拠は……グッ……。」
ガズェルが喚くのを、魔王は威圧をかけて黙らせる。
「証拠とか必要ないんだよ、お前は星王狼を怒らせた、それだけだ。」
「星王狼が怒っているって……それと東側の関係は?」
魔王が激怒しているのを見て、ダニエルが恐る恐る聞いてくる。
「星王狼は魔獣の中でも別格だ。あの知性の高さと身体能力に加え群を率いる統率力……もはや、魔獣ではなく一つの種族と考えた方がいい。」
魔王はそう言ってダニエルを見る。
その眼は何かを教え諭すような光を放っている。
「その星王狼が怒っているんだ。怒りの対象を攻めるための人間の軍隊ぐらい、易々と通すどころか協力までしかねないな。場合によっては星狼達を率いて襲ってくるかもしれない。」
「そんな……。」
魔王の言葉をい聞いて青ざめるダニエル王子。
ガズェルは俯いて黙ったままだった。
「まぁ、俺としても星狼達とやり合う気はないからな、先日話をつけてきたから、東側に関しては安心してもらって結構だ。」
その言葉で、ホッと胸をなでおろすダニエル王子。
「話をつけたって……貴様、どうやって……。」
ガズェルが聞いてくる。
「それは秘密だ。時が来れば分かる事だからな。」
そう言って魔王はガズェルにニヤリと笑いかける……まさしく「魔王の笑み」というにふさわしい笑い方だった。
ビクつくガズェルを後目にして魔王は話を続ける。
「後は北が下手なちょっかいをかけないようにしてから、初めて南下出来るようになるんだよ。」
わかったか?というようにガズェルを見る魔王。
ガズェルは「フンッ」と鼻を鳴らして玉座の間から出て行った。
「さて、王子様、この後、どこまでやるおつもりかな?」
ガズェルが出ていくのを見届けると、魔王は王子に向き直りそう問いかける。
「何処まで、というのは?」
「理由はどうあれ、この国はグランベルクに弓を引いた事は間違いない。グランベルクとしては当然反撃に出てくる……どう決着をつけるつもりか?という事だよ。謝って、この国を差し上げるから勘弁してくださいってわけにもいかんだろ?だったら、グランベルグを併呑するまでやるのか、この機に乗じて近隣諸国を従えるまで行くか、それとも、この大陸を統一でもしてみるか?」
魔王は笑いながら王子に問いかける。
「そうですね……魔王様の力があれば、それも容易いでしょう。」
違いますか?と王子は魔王に問いかける。
「まぁ、出来なくはないわな。……それで?」
「僕としては、これ以上戦火を広げたくないです。……でもその為にはあのガズェルを止めなければならないけど、その力が僕にはない……。魔王様にお願いしてもガズェルを止めることは出来ないんでしょう?」
王子が聞いてくる。
「今はな。」
魔王がそう答える……分かっていた事だ、魔王はガズェルに喚び出されたのだから。
「だったら僕が出来る事はただ一つ……時間を稼ぐことだけです。時間を稼いで出来るだけ現状維持をしつつ、ガズェルを止めるチャンスを待ちます。ガズェルを止めることが出来たのなら……後は魔王様に調停をお任せします。」
「まぁ、お前は責任を足らないといけないからな。」
王子の言いたいことが伝わったのか、魔王はそう言って王子の頭に手を乗せる。
王子は黙って俯く。
「あ、にぃにが男の子泣かせてるっす。」
突然、闇の中から声が聞こえた。
「人聞きの悪いこと言うなよ。それより、終わったのか?」
「ウン、後で報告するっすよ。」
「じゃぁ、奥で待っているな。」
そう言って魔王は闇の中へスゥっと消え去る。
後の残ったのは王子と謎の少女だけ……王子は突然現れた少女を見つめる。
小柄な体格に漆黒の髪。
その頭からは黒い三角の耳が生えていて、お尻にはしなやかな尻尾がある……亜人?
「あぁ、はじめまして、だね?あなたがこの国の王子サマ?」
じっと見つめていたら、目の前の少女がそう声をかけてきた。
「あ、初めまして、ダニエル=イリアーノです。……あなたは?」
「私?私は……まぁ、魔王サマのお嫁さんかな?……ちっちゃいのに大変だね。頑張りなよ。」
そう言って、魔王の嫁と名乗った少女はダニエル王子の頭を一撫でした後、闇の中へと消えていく。
一人残された王子は、しばらくそのまま動かずにいたが、やがて「ふぅ……」と息を吐くと、自室に戻る為に玉座から立ち上がり、部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ー 闇の中の魔王の間 ―
「王子様可愛いねぇ……でも可哀想っす。」
ネコミミの少女が、魔王に言う。
「そうだな、だが、意外としっかりしていたぞ……あれで9歳とはな。」
「へぇー、平時なら立派な王様になれる素質があるっすね。」
少女が感心したように言う。
「どうかな?あの王子は第三皇子だそうだ。平時なら王位継承権が低かっただろうから、王位にはつけなかっただろう……上の王子が愚鈍なら継承権争いで平時とは無縁の生活を送る事になったかもしれないしな。」
「結局は成る様に成ったって事っすか?」
「たぶんな……いくら女神とは言え、因果律を早々自在に操れるわけじゃないだろう?」
「そうなんすね……で、私達はどうするっすか?」
「北の方は無事済んだんだろ?」
魔王が問いただす。
「全てOKっすよ。各国のトップと話はつけたから、出張ってくることはないっす。一応面子の為に多少の動きは容認してあるっすけどね。」
「よくこの短時間で話をつけれたな。」
魔王は感心したように、少女の頭を撫でながら言う。
「まぁ、ちょっと手荒な事はしたっすけどね。」
少女が恥ずかしそうに歌をを伏せる。
「いや、おかげで助かったよ。女神達の思惑が分からない以上、下手に動きたくはないからな。」
「うーん、この事がすでに思惑の内って事はないっすかねぇ?」
「その可能性はあるが、そこまで考えていたら全く身動きが取れなくなるからな。」
困ったもんだと、困惑したように魔王が言う。
「それでこの後はどうするっすか?」
少女が訊ねる。
「しばらくは様子見をしつつ時間稼ぎだ。幸いにも、それが王子の望みでもあるからな。」
「あのガズェルってやつ、殺っちゃわなくていいんすか?」
少女が物騒な事を言い出す。
「それはやめておけ……責任を取る奴がいなくなるからな。」
魔王がそう言うと少女は黙って頷いた。
「ほんと、にぃにはちっちゃい子に甘いっすね……女の子だけじゃなかったんすね。」
「そんなんじゃないよ、関わった以上不幸になる人間を少なくしたいだけさ。」
魔王はそう言いながら少女を抱き寄せる。
「ハイハイ、そう言う事にしておくっすよ。」
少女は魔王に身を委ねながら可笑しそうにそう言った。
闇の中で、少女のクスクス笑いが響いていた……。
※ リアル都合で間が空きました。
お待たせして申し訳なかったです。
 




