最初は経験豊富なお姉さんに任せましょう……なんの話?
……んっ……。
何か柔らかいものが肌に触れる……心地いい……。
このままずっとこうしていたいが、そう言うわけにもいかないだろう。
俺は、この心地の良い微睡から抜け出して、厳しい現実へ戻る事を決意する。
……何のことはない、目を覚ますだけだ。
目を開けると、左右色違いの双眸と目が合う。
俺が起きるとは思っていなかったのか、目が合った後、慌てて視線を逸らされる。
……どうやら、昨晩はエルを抱きしめたまま寝てしまったらしい。
色々あって参っていたとはいえ、エルに甘えるとは……一生の不覚だ。
……いや、何もしてないよ?
ただ抱きしめたまま寝落ちをしたってだけで……。
目の前のエルが、恥ずかしそうに俯いているけど……何もしてないからね。
「えっと……おはよう、エル。」
「あ、お、おは……おはよう……先食堂行ってるねっ!」
慌てて飛び起きて部屋を出ていくエル。
脳裏に「グッ!」と親指を突き立てるミネアさんと「むきぃ―!」と、シーツを加えているフィン王の姿が浮かんだが、本当に何もしていないからね……何も……してないよな?
俺が身支度を済ませ食堂へ行くと、そこにはまだ顔を真っ赤にしたまま、パンをかじっているエルと、嬉しそうにニコニコしているカリーナさんの姿があった。
「シンジちゃん、おはよう。……昨夜はお楽しみでしたね。」
違うからっ!何もしてないからっ!
というか、なんでそのネタを知ってるんだ?
「何もしてませんっ!」
「あらあら、照れなくてもいいのに。」
「照れてません!……エルもなんか言ってやってくれよ。」
「……フンッ!」
俺がカリーナさんに否定していると、なぜか機嫌が悪くなるエル。
「あらあら、シンジちゃんもまだまだね。」
その様子も見たカリーナさんがおかしそうに笑う。
「どうせ未熟者ですよ……何を期待してるんだか。」
俺はブツブツと文句をつぶやく。
大体、エルも、何かしたならともかく、何もしていないのに、なんで不機嫌になるんだよ。
「二人とも拗ねてないで、食事を済ませましょ。昼過ぎにはクロードが着く予定だから、やる事があれば、それまでに済ませておいてね。」
「クロードさんが来るって言っても、俺達はもう用はないんじゃ?」
生きたまま捕らえる事は叶わなかったが、ベルーザはすでに亡くなっている。
後は、適当につじつまを合わせるだけで、それは領主であるクロードさんと、カリーナさんの仕事であって、俺達が出る幕は無いはずだ。
「んー、一応報告してもらわないとね。後は、まぁ……色々よ。」
色々って……。
「めんどくさいです。報告はカリーナさんがお願いします。」
俺はそういう。
エルも隣でコクコクと頷いている。
「ふーん、じゃぁあなたの能力や色々が公になっても構わないのね?」
カリーナさんが、にっこりと微笑む。
「カリーナさん、汚いです。性格が悪いと言われてませんか?」
「ふふん、清廉潔白、真っ当な性格じゃぁ、領主の妻なんてやってられないのよ。」
「汚い……大人の汚さを見た……。エルは頼むから、今のまま真っすぐ育ってくれよ。」
「人聞き悪いわねぇ……まぁ、冗談はともかくとして、今後の対策と、あなたの能力について何処まで対処するかの相談は必要よ。冒険者続けるなら、いつ、どこで情報が洩れるか分からないし、何かあった時に知っているのと知っていないのではフォローの仕方が変わってくるからね。」
カリーナさんの言う事はもっともな事のように聞こえる。
中御半端な情報だけ与えて、黙っていてくれと言うより、正確な情報を伝えて、情報開示の範囲をしっかりと線引きした方が間違いは起こらない……と思う。
しかし、先程大人の汚さを目の当たりにしたばかりだ。
信じていいのか……どうするのが正しいのかは分からなかったりする……俺は一縷の望みを託してエルを見る。
しかし、エルも分からないのであろう、俺の視線を受けるとフルフルと首を振る。
「分かりましたよ。」
まぁ、毒を食わらば皿までという言葉もあるしな。
カリーナさんなら悪い様にはしないだろう……と、信じることにする。
「そう警戒しないでよ。シンジちゃん達にとっても悪い話じゃないと思うわよ。」
カリーナさんはニコニコと笑っている。
しかし、この笑顔の裏で深謀遠慮が渦巻いていると考えると……。
ウン、これからは笑顔に騙されないように気をつけよう。
◇
昼過ぎ、俺とエルは教えられた貴族の屋敷へと赴く。
なんでも、この街の代官の屋敷らしい。
ちなみにその代官は昨晩の内にカリーナさんの手によって捕らえられている。
今はベルーザと何処まで繋がっていたかを尋問している所だという。
……街の代官の事まで気が回らなかった。
他に、代官やベルーザの息がかかった役人や商人たちを洗い出したり、この街に集結しつつある兵を動かしている貴族の動向を探ったりしているらしい。
完全にベルーザについていた貴族に対してはそれなりの処分を、ベルーザに騙されていたり脅されていて言いなりになっていた貴族に関しては、調査の結果、沙汰を出すそうだ。
……色々と聞いていると、俺の計画はかなり穴だらけだったことがわかる。
「まぁ、シンジはよくやったと思うわよ。」
エルがそう慰めてくれるが、俺の気は晴れない。
「そうだ、そもそもお前の活躍がなければ、こちらには打つ手がなかったのは確かなのだからな。」
クロードさんもそう言ってくれる。
「今回は情報が少ない中での計画立案だったからしょうがないわよ。ダメだと思うのだったら、次回はもっと頑張ればいいのよ。」
カリーナさんだけは、元冒険者だけあって、ただ慰めるのではなく、反省と次回への対応を促してくれる。
そうだな、過ぎた事でウジウジしていてもしょうがない。
取りあえず何とかなったのだから前向きに考えよう。
「ところで、シンジの能力の事をカリーナから聞いたが……。」
俺は、ベルーザをどうやって追い詰めて斃したかという事を、屋敷に潜入するところから説明しながら、空間魔法について話す。
そして、俺が使える、空間スキル・空間魔法は収納以外の効果はそれ程でもない事。
収納に関しては問題が起きそうなので、大容量の『収納バック』を持っていることにしている事。
効果がショボくても切り札には違いないので、他人に漏らさないで欲しい事などを話す。
「成程な。スキルに関しては安心してくれていい。俺やカリーナは、許可なく他人に漏らさない事を誓おう。」
クロードがそう言ってくれ、俺は一安心と胸をなでおろす。
「しかしな、シンジよ。隠しておきたいのなら、正直に話すこともないだろうに。まぁ、こちらとしては助かったのは事実なんだが。」
そうクロードが言ってくる。
どういうこと?
俺が怪訝そうな顔をしていると、クロードが苦笑しながら教えてくれる。
「確か、冒険者の能力の詮索禁止という条約があっただろう?その条項の中には、本人の許可なく漏らすことも禁止されていたはずだ。破った者はギルドから制裁を受ける……例え国王であってもな。だから話す必要はなかったのだが。」
俺はその言葉を聞いて、思わずカリーナさんを見る。
カリーナさんは口を押えて笑いをこらえている。
……やられた。
「クスクス……ダメよぉ。騙されないようにしないと。シンジちゃんは真面目なんだもの。」
「……クソッ。もう誰も信じないぞ!」
「怒っちゃいやよ。シンジちゃんが悪い女に騙されない様にって教えてあげただけよ。」
「悪い女……。」
カリーナさんの言葉を聞いて、エルがカリーナさんを指さす。
俺はがっくりと項垂れ、その俺をエルが、よしよしと慰めてくれていた。
はぁ、情けない……昨晩から、エルには情けない姿ばかり見せている気がするなぁ。
「そうだ、忘れる所だった。」
そう言ってクロードが収納バックから幾つかの革袋や箱を取り出す。
「大したことは出来ないが今回の報酬だ。」
「いや、報酬なんて……。」
俺は断ろうとしたがカリーナさんに止められる。
「貰っておきなさい。冒険者はただ働きはしないものよ。後は、いたずらのお詫びと口止めも入っているからね。」
こんなものを貰わなくても他言する気はないのだが、まぁ、これも形式という奴らしい。 俺はカリーナさんの忠告に従って有難くいただくことにした。
報酬の内容は金貨が100枚……貰い過ぎと思ったが、例の口止め料が上乗せしてあるらしい。
まぁ、確かに領主の進退に関わる出来事なので、これくらいの口止め料でも安いくらいなのだろう。
他には家紋の入ったメダルが2枚……俺とエルの分らしい。
「そのメダルは、我がアレスバッハ家が後ろ盾となっている証だ。何か困ったことがあればそれを見せるとよい。」
成程ね……でも、これがあれば?
「これって、紹介状代わりになりますかね?」
俺はメダルを弄びながらクロードさんに訊ねる。
「どういうことだ?」
「以前商業ギルドで、安く買えるホームを紹介してもらおうと思ったんだけど、それなりの方の紹介が無いとムリって言われえたんですよ。」
「そう言う事なら問題ない。それを見せれば、商業ギルドでも、貴族外の商店でも融通を聞かせてくれるはずだ。」
クロードさんが太鼓判を押してくれる。
なら、シャンハーに戻ったら、ホームを探すか。
幸いにも購入資金も出来た事だしな。
「後はこれをファング準男爵の遺族に渡してほしい。俺から渡すより、お前達からの方が都合がいいだろう。」
そう言ってクロードさんは金貨20枚の入って革袋を渡してくる。
屋敷などはすでに正規の手続きのよって、人手に渡っている為どうしようもなかったが、正当な売却益から、借金・手数料・税など正規の経費を抜いた残りの金額らしい。
これだけあれば、親子三人で暮らす小さな家ぐらいなら借りることもできるだろうし、借金も無くなり、今後は年金もしっかりと出るので、親子三人が慎ましやかに暮らしていく分には問題ないだろう。
「ところで、これからお前達はどうするのだ?」
クロードさんが聞いてくる。
シャンハーで生活するなら、それなりの便宜を図ってくれるそうだ。
「取りあえず、送った手紙の返事が来るまでは、シャンハーで冒険者をやるつもりだよ。」
たぶん2~3か月はシャンハーにいることになるだろう。
その後の事は……手紙が着いてから考えるか。
「その……何だ……ハッシュベルクの事はどうする?」
クロードさんが小声で訊ねて来る。
「まだ、何も……落ち着いたら、一度は行ってみようとは思いますが……。」
エルがそう答える。
エルの中では、フィン王の遺志を継いで、貴族らしく生きていく事は決めたようだが、具体的にとなるとまだ決めかねているらしい。
「エルの気持ちの整理がつくまで、待ってあげてください。」
だから、俺からもクロードさんにそう伝えておく。
正直な話、エルにはまだ悩んでいて欲しいと思う。
たぶん、いつかは立ち上がるだろう。
その時、俺はエルの力になりたいと思う。
しかし、今の俺ではその力が無い。
エルが立ち上がるその時までに、俺は力をつけなければならない。
だから時間が欲しかった。
「あぁ、いつでも力になるからな。何かあれば相談してくれ。」
「ありがとうございます。」
報酬を受け取り、話し合いも終わった所で、俺とエルは先にシャンハーの街に戻る事を伝えて、代官の屋敷を後にする。
クロードさんとカリーナさんは、まだ後処理がある為、しばらくこの街にとどまるそうだ。
落ち着いたら、また訪ねていくことをカリーナさんに約束させられた。
なんでもエルが、食べた事のない珍しい料理やお菓子を、俺が作ったという事を話したらしく、ぜひ食してみたい、出来るなら料理人に教えて欲しいと言われたそうだ。
領主と縁を結んでおくことは、今後何らかの力になる事は間違いないので、レシピ程度で恩を売れるなら、高く売りつけようと思う。
「さて、シャンハーに帰ろうか?」
翌日、宿を出た俺はエルを見て声をかける。
「そうね、レムちゃんに会いたいわ。……喜んでくれるよね?」
エルは金貨の入った収納バックを見ながら不安げに聞いてくる。
「そうだな、ネリィさんも元気になったし、借金も無くなったんだ。今後は生活の不安はなくなるんだから喜んでくれるさ。」
まぁ、恐縮し過ぎて「こんなの受け取れませんっ!」とか言いそうな気もするけど。
俺がそう話すと、エルも「あり得るわね。」という。
正当に受け取るべきものなのだから、遠慮なしに受け取ってもらいたいけどな。
最悪は、クロードさんに出張ってもらって無理やり押し付けよう。
「帰ったらどうするの?」
「そうだな、とりあえずはホーム探しかな?最低でも2~3か月はシャンハーの街にいることになるだろうし、ずっと宿にいるよりは経済的だからな。」
寝ぼけて潜り込むことも無くなるし……と、言うのはやめておいた。
言ったらきっと、真っ赤になって怒り出すのは目に見えていた。
ベットに潜り込まれることはいいんだが、そのたびに殴られるのは割に合わない。
俺自身、どうせ殴られるなら、と手を出す誘惑を抑えるのも大変だ。
「いい家が見つかるといいね。」
エルは嬉しそうに言う。
「早く行こうよ。」
そう言ってエルは俺の手を掴んで走り出す。
「そんなに慌てても、馬車の時間は決まってるから。」
「そんなの知ってるわ。」
何が楽しいのか、笑顔で答えるエル。
そんなエルの姿を見ていると、自然と笑いがこみあげてくる。
「新しい家には、お風呂は絶対必要よね。」
馬車に乗ってからも、エルはひっきりなしにしゃべっている。
新しい家が、そんなに嬉しいのだろうか?
後、昨日から、心なしかエルとの距離が近い気がする。
今もピッタリと寄り添っている。
狭い馬車の中とはいえ、もう少し離れる余裕はあるのだが……。
たまに、俺と視線が合うと、真っ赤になって顔を背ける。
だけど身体は離れようとはしない。
うーん、あの夜……抱きしめる以外、何もしてないはずだけどなぁ。
でも、エルの態度が変わったのはアレからだ。
まさか、俺は無意識に手を出したとか……。
「なぁ、エル……。」
「なぁに?」
俺はあの晩のことを聞こうとしたが、エルの顔を見てやめる。
聞かないほうがいいと、心の奥底で警告が発せられた気がした。
「いや、なんでもない……作業場が欲しいなと思っただけ。」
俺は適当に誤魔化す。
「そうね、シンジが色々作る場所はあった方がいいよね。でも、機材とか入れるとなると結構かかりそうだけど大丈夫?」
「まぁ、依頼を受けながら徐々に揃えていけばいいだろ?」
「そうね、討伐依頼とか多そうだし、がんばろうね。」
俺達はシャンハーまでの帰り道を、新しい家の事や今後の生活について語り合って過ごしたのだった。




