炎の脱出……って言うと恰好いいだろ?
ムニュ……ムニュ……柔らかい……。
何だろう?この柔らかい感じ……。
完全に覚醒しきっていない中、手に感じる柔らかさを楽しむ。
「……んっ……イヤぁ……。」
可愛らしい声と共に、柔らかい何かが押し付けられたところで、意識が覚醒する。
「……ン……見えない。」
目が覚めたはずなのに、何かが覆い被さっているようで視界が取れない。
しかも、身体が拘束されているようで身動きが取れない。
幸いなのは完全に拘束されているわけじゃないらしく、少し動けば拘束が緩んだことだ。
俺は視界を確保しようとモゾモゾ動くと「ャン……うぅん……」等と言う声が聞こえる。
「……ぷはぁっ……。」
目を覆うモノから何とか逃れたものの、身体の動きはまだ阻害されている。
俺は現状を把握しようと、少しだけ動く首を巡らせて周りを見る。
「なんてことだ……。」
俺は現状を理解して青ざめる。
ここはエレナの家の中で、客間のベッドの中だ。
昨晩、エレナに案内されて確かにここで寝たので、それはいいとしよう。
しかし……抱きつくようにして俺を拘束するエレナ。
その両腕は俺の首に回されて、しっかりとホールドされている。
そのような状態なので、俺の目の前には可愛らしいエレナの寝顔が……って考えてる傍から、ぐっと引き寄せられる。
……少しでも動けば触れられる距離だ……これはマズい……どうしてこうなった?
間近に見えるエレナの顔……こうして改めて見ると、美少女と言ってまちがいはない……そして寝顔は年相応のあどけなさがある。
その顔がどんどん近づいてくる……アカン、これアカン奴だ……。
抗う術がないわけではない……今すぐ全力を持って引き剥がせばまだ間に合う……。
そう考えていても体が動かない……と言うより動かす気が起きない。
そして……二人の距離がゼロになる……。
「……んっ……ん?……な、何なんですかぁっ!」
俺の唇を奪ったところで、エレナが目を覚まし、即座に顔を離す。
「色々と言いたいことがあるが……取りあえず落ち着け。」
「な、何を……、私を襲っておいていけしゃぁしゃぁと……。」
顔を真っ赤にしながら怒鳴るエレナ……。
「いや、襲ってきたのお前の方だから。」
俺の言葉に、エレナは今の状況を確認する。
……エレナの腕はまだ俺の首に回されている……エレナの脚は俺の胴をシッカリと俺をホールドしている……つまり、誰がどう見てもエレナが俺に抱き着いているように見える訳で……。
「きゃぁぁぁぁ!」
エレナは悲鳴を上げて慌てて飛びのき……そして自らの姿を確認して更に悲鳴を上げて部屋を出て行ってしまった。
「……何なんだ、一体。」
俺はエレナが出て行った部屋の扉をぼーっと眺めていた。
ちなみにエレナは薄い夜着を一枚纏っただけのほぼ半裸と言っていい姿だった……。
◇
「おはよう、エレナ。」
俺はしばらくしてから身支度を整えて食堂へ移動する。
「お、おはよう……。」
先に来て食事の準備をしていたエレナに挨拶をするが、彼女は挨拶を返してくれたものの、顔を合わせようとしない。
「あー、さっきの件だけどな……。」
気まずい状況を改善しようと俺が口を開こうとすると……。
「言わないでっ!お願いっ!」
顔を真っ赤にして首をブンブンと降るエレナ。
「ゴメンナサイっ!私が寝ぼけてたのっ!謝るからもう忘れてっ、お願いっ!」
「ま、まぁ別にいいけど。」
こういう時はヘタな事を言わないのがお互いの為だって事は、エル達のおかげで学習している。
その後も気まずい雰囲気を残したまま時間だけが進み、普通に話せるようになったのは、食事を終えて、お茶を3杯ほど飲み干した後だった……。
「それで、シンジはこれからどうするの?」
エレナが今後の予定を聞いてくる。
「あぁ、その事なんだが……。」
昨日アイリスと連絡を取り、アスティア領の領主の情報を優先的に集めてもらえるように頼んだ。
ついでにアスティア領を追い詰めるように伝えてあるので、1週間もすれば領主も何らかのアクションを起こすだろう。
そこまで考えて俺は思い出した。
「しまった!」
俺は慌てて庭へ飛び出す。
「何?どうしたの?」
俺のただならない様子に、エレナもついてくる。
「あー、悪かったなぁ。」
俺は庭の樹木の下から恨めしそうに見上げてくる生首に声をかける。
「それで、ちょっと聞きたいんだが、お前らを雇ったのは領主で間違いないのか?」
「答えると思っているのか?」
一晩、飲まず食わずで埋められていた男が、吐き捨てる様に言う。
「これ、いらないのか?」
俺はパンを男の前に出す。
「ぎ、ぐぅ……な、なめるなよ!」
パンに飛びつきたい衝動を必死になって押さえている男の顔は、見ていても気持ち悪いだけだった。
「きゅぅ?……きゅっ!」
「あ、ラビちゃん、ダメっ!」
いつの間にか、エレナの腕に抱えられていたホーンラビットが、エレナの腕から抜け出して、男の傍へ寄ってくる。
「な、なんだぁ?」
顔の傍へ寄ってきたホーンラビットに驚く男。
しかしホーンラビットはそんな事はお構いなしに、その周りをふんふんと鼻を引くつかせながら回っている……この行動には見覚えがあるな。
俺はエレナを振り返る。
「ゴメンナサイ……その……そこはラビちゃんの……おトイレだったから……。」
申し訳なさそうにそう告げるエレナ。
それを聞いて焦る男。
「ま、まて、喋るから、何でも喋るからソイツをどけてくれっ!」
「お前らをやっとったのは……。」
「領主様だ。その女のスキルが必要なんだと。いう事聞かせるためにはちょっとぐらい怪我させてもいいって言われてたんだよ……何ならヤッてしまってもいいって言われてそれで……、あ、早く、早くどけてくれっ!」
俺の質問を遮ってべらべらと喋り出す男……ラビちゃんは既にお尻を向けて、心なしか力を入れている感じだ。
「もう一つだ。領主に雇われているのは何人だ?お前達の素性は?」
「シンジ……二つ聞いてるよ。」
「知らねぇっ……本当だ!30人以上はいるはずだが正確な人数は知らねぇんだ!俺達は
街の近くで盗賊のまねごとをしていた所を領主様に雇われたんだ。他の奴等は傭兵とか冒険者崩れの奴等だよ……早く、どけてくれっ。出てる、出始めてるよっ!」
「はぁ……ま、いっか。」
とりあえず聞きたいことは聞いたしな。
そう思い、ホーンラビットのラビちゃんを抱き上げる……が……。
「あ……。」
エレナは顔を覆っている……ラビちゃんはすっきりした顔で「きゅぃ」と鳴いている。
……一足遅かったみたいだ。
「ま、まぁ、強く生きていこうな。」
俺はそう声をかけるが、顔中に大量のホーンラビットの落とし物を浴びた男は言葉を失っていた。
「……っ!エレナっ!」
男にさらに声を掛けようとしたところで殺気に気づきエレナを押し倒す。
ヒュンッ!
俺たちの頭上を矢が通り過ぎていく。
「走れるか?」
エレナに声をかけるが、何が起きたか分からず呆然としている。
「くっ……悪いっ!」
「きゃっ!」
俺は小さく悲鳴を上げるエレナを抱きかかえると、家に向かって走り出す。
後ろから幾本かの矢が迫ってくるのを気配で感じ取り、ギリギリで躱しながらなんとか家の中に入る。
ドアを閉めるとキィン、キィンと、矢が弾かれる。
家には守りの結界が張ってあると言ってたからそのおかげだろう。
これでしばらくは大丈夫かな。
「何?何が起きたの?」
エレナが軽いパニックを起こしている。
「いいから落ち着け……領主の手の者だろう。」
窓から外を見てみると、何人かの男たちが埋められている男たちを掘り起こしている。
それ以外の奴は弓を構えてこちらを狙っていた。
よく見ると、昨日俺を襲ってきた奴らの顔が見える……まぁ、放置していたからな。
『遮断結界』を始めとして魔法には永続効果は無い。
永続効果があるものは魔法ではなく呪法……つまり、呪いの類にカテゴリーされている。
魔法であるからには、たとえそれがどれだけ協力であったとしても、新たに魔力を供給……つまり掛け直してやらなければいずれはその効果は無くなる。
だから、奴らも魔法が切れたところで、何とか脱出をしたんだろう。
見てない顔もあるところから、応援を呼んだか、助けてもらったのかもしれない。
「ゴメンね、落ち着いたわ……領主様の手の者?」
エレナが、先程とは変わって落ち着いた声音で聞いてくる。
「あぁ、たぶんな。昨日俺を襲った奴等もいるから間違いないだろう。」
振り返ってそう答える。
エレナは、腕にラビちゃんを抱えていて、きっとラビちゃんの毛並みに癒されて落ち着いたのだろう……今度モフモフさせてもらうか。
「取りあえずはちょっと休むか。この家の中にいれば安全なんだろ?」
「えぇ、お父様の残してくれた守りの結界があるから、少しは……。」
そう言いながらエレナはお茶を入れる準備を始める。
その後ろ姿を見ながら、俺はそっとゲートミラーを使って幾つかの指示をリオナに出しておく。
「……お茶が入ったわ。」
そう言いながら俺の目の前のティーカップにお茶を注いでくれる。
甘い落ち着くような香りが鼻腔をくすぐる。
「カミル茶よ。……鎮静効果があるのよ。」
そう言いながら、お茶をゆっくりと飲むエレナ……たぶん自分が一番落ち着きたいのだろう。
俺も黙ってお茶を飲む。
この先どう動くとしてもしばらくはこんなゆっくりとした時間は取れないだろうからな。
「ねぇ……これからどうすればいいの?」
しばらくしてから、エレナがそう聞いてくる。
俺を見つめる眼は不安の色でいっぱいだ。
「エレナはどうしたい?」
逆に聞いてみると、エレナはそっと目を伏せる。
「分からない……私はこの子達と静かに暮らしていたいだけなのに……。」
俺はその言葉を聞いて考え……そして結論を出す……無理だ、と。
アスティア領を併合し、今の領主を処分すれば、一時は平穏な暮らしは出来るが、人のいない山奥に籠って身を隠す差ない限り、彼女の力を狙う奴は後から後から現れるだろう。
そして、人は一人で生きていけないというのは自明の理だ。
「なぁ、俺と一緒に来ないか?俺ならお前を一生守ってやることができる。」
だから俺はそう言った。
俺の下で保護すれば、少なくとも身の安全は保障できる。
望むならレオンたちのいる山脈で住んでもらってもいい。
転移陣さえ設置しておけば生活に不便と言う事もない。
まぁ『静かに』と言うのは難しいかもしれないが……俺にかかわるとトラブルに巻き込まれるらしいからなぁ。
「い、一生……ですか?」
何故か真っ赤になって聞いてくるエレナ。
「あ、あぁ、ここにいて、今の問題を解決したとしても、一時凌ぎにしかならないからな。俺と一緒に来るなら何があっても守ってやれる。」
俺がそういうと、エレナは真っ赤になって俯いたまま、しばらく考え込んでいた。
「プロポーズ……されちゃった……こんな時なのに……どうしよ……嬉しいかも……。」
エレナが何かブツブツ呟いているが、声が小さくてよく聞き取れない。
しばらくしてエレナが口を開く。
「本当に一生守ってくれますか?」
顔に赤みがさしているが、真剣な目で見つめてくる。
「あぁ、約束は守る。」
「では……よろしく、お願いします……。」
エレナは小さかったがハッキリとそう告げてきた。
「分かった……じゃぁ、まずはここを引き払う準備だな。」
俺はそういうと収納バックの機能がついた指輪をエレナに渡す。
「これは?……エンゲージリングかしら?」
エルが訊ねてくる。
顔を伏せていたので後半はよく聞き取れなかった。
「収納バックの機能がついているから、家の中で必要な物は全部詰めてくれ……容量は気にしなくていいから。」
「全部?詰める?」
エレナが怪訝そうな顔をする。
「あぁ、ここを燃やして脱出する。なくなって困るものは持っていくしかないだろ?」
「ここを……燃やす!?」
エレナが吃驚している……まぁ、そういう反応になるよな。
「悪いと思ったが、この家を守る結界を調べさせてもらった。どこかに、中心となる結界石があるんだろ?家の守りは、その結界石が肩代わりしている……つまり必要以上のダメージが与えられれば結界は破られるって事だ。」
俺はエレナに守りの結界について説明する。
そして、今外にいる奴らが一斉に襲ってきたら、結界が破られる可能性が高いことも告げる。
幸いにもまだ気づかれてはいないようだが、そのうち焦れて飛び掛かってくる奴がいないとも限らない。
そうなったらあとは時間の問題だろう。
「だから、その前にここを燃やして、混乱の隙に逃げだすんだよ。」
「……仕方がないのね?」
「……悪いな。」
「ううん、あなたについていくって決めたから……。」
エレナはそう言うと自室へと向かう。
「俺も手伝うか……。」
キッチン・食糧庫・リビング・客間……其々の部屋を廻って、手あたり次第目に付くものは全て『無限収納』にしまい込む。
仕分けとかは落ち着いてからエレナに任せればいいだろう。
俺達は手分けして家の中を片付けいていき、そして最後に地下室へと移動した。
「ここにあるのがお父様の作った守りの結界なの。」
エレナの言葉に、部屋の中央に位置する結界石を見る。
結界石の下には複雑な文様の魔法陣が描かれている。
「これは……すごいな。」
正直これ程迄の物は見た事が無い……時間があればじっくりと研究したいところだけど。
「ちょっと無茶するから離れててくれ。」
俺はそう言ってエレナを下がらせる。
これ程の物を失うなんて事はしたくない……これを失うくらいなら、今すぐ領都に1万のオーガを召喚してアスティア領を潰した方がマシだ。
俺は『女神の剣』を取り出すと、この部屋の壁に沿って外側の空間を切り離していく。
崩れないように慎重に、慎重に作業して、部屋を丸ごと切り離したところで『無限収納』にしまい込む。
「ふぅ……。」
俺は大きく息をつく。
「……何?これ、どうなっているの?」
エレナが呆然とした声を上げる。
目の前にはさっきまであった部屋が跡形もなくなってただ、真黒な空間がぽっかりと空いているだけだ。
「わけわかんないよ。」
ずっと見ていたはずなのに理解が出来なくてプチパニックを起こしたらしい。
「詳細は後で。それより、結界がなくなったから、急ぐぞ。忘れ物は無いな。」
俺がそう言うと、エレナはうんと小さく頷く。
俺達はリビングに戻り油をまいていく。
「準備はいいか?」
「ウン、何時でも。」
「じゃぁ、行くぞ。」
俺は『死の銃』を構えて窓の外にいる奴らを狙い撃つ。
何人かは倒れるが、残った奴らが迫ってくる。
結界がある事は知っていて、ずっと周りを包囲していたくせに……煽り耐性が低い奴等ばっかりだな。
俺はドアを開けて一番近付いてきた奴に向かって火炎瓶を投げつける。
その男は火だるまになるが、ドアが開いたのを見て、男たちが一斉に向かってくる。
更に火炎瓶を投げつけるが、人海戦術と言っていいのだろうか?火炎瓶が当たって燃える男を踏み台にして、雪崩れ込んでくる。
「こんな所かな?」
今はバリケードで防いでいるが男たちがそれを破るのも時間の問題だろう。
俺とエレナは裏口に向かう……と同時にバリケードが破られる。
「ほい、土産だよ。」
俺は最後の火炎瓶を投げつけてエレナと共に裏口から脱出する。
俺が投げた火炎瓶が床に落ち、油に火がついてあっという間に燃え上がる。
裏口も見張りがいた筈だが、誰もいない。
入り口が空いたので、皆そちらへ向かったのだろう、家の包囲は既に解けている。
俺達は燃え盛るエレナの家を後にした。




