後編
ゆっくりと、目を開けると私は保健室にいた。山咲先輩のベットを見ると驚いた表情で右足を動かしていた。
「良かった」
ひとまず最悪の事態になっていないことにホッと胸をなでおろす。
「良かったですね、山咲先輩」
「うん、ありがとう」
彼女に笑顔が戻ってきて良かった。ところで……、と先輩が言葉を漏らしてきて私は呑気に「何ですか?」と返事をする。
「ところで……君は、誰かな?」
数秒、固まってしまった。山咲先輩が何を言っているのか、すぐに分からなかったけれど代償のことを思いだす。あぁ、そうか。そうだよね。大切なモノって、そういうことなんだ。私との“大切な思い出の消去”が【再生】の代償だったんだ。自分だって好きな人のことを忘れるじゃないか。
「山咲先輩、はじめまして」
「は、はじめまして」
「白羽 天と言います。実は先輩のファンなんです」
「ソラちゃん…ソラちゃん…よし覚えた」
何度も私の名前を口にする先輩が可愛いと思って見つめていたら学校の鐘が鳴った。保健室の先生がいないから忘れているけれど今は授業中。でも先輩ともう少し話していたい。
「私たち、不良ですね」
「それは違う」
「え?どうしてですか?」
「ボクは臆病だからさ」
そう言って先輩は苦笑い。何か悩んでいるのなら力になりたい。
「先輩は…臆病なんですか……」
「そうだよ。いつも皆の期待に押しつぶされそうになる。その度に逃げ出したくなる」
私は一歩、また一歩、先輩のベットに歩み寄る。そして、小さな音を立てて先輩の隣に腰掛けた。
「先輩は走るのが嫌いになりましたか?」
「……ううん、すきだよ」
ドクンと心臓が反応してしまう。違うって分かっている。今は先輩の話を聞くことが大切だ。
「先輩」
「ソラちゃん…ボクは天才じゃない。ただちょっと走るのが速いだけの人間なんだよ」
そっと、私の胸に先輩の頭が垂れてくる。綿菓子を両手で受け取るように抱く。まるで子供みたいだと思った。
「先輩は天才じゃないですけど凄いですよ」
「………」
「だってこんなに悩んでいるんですから。色んなことを考えてくれている。沢山のものを背負って走るなんて先輩は凄いです」
カッコイイ、と呟きながら先輩の頭を優しく撫でる。思ったよりサラサラでいい匂いがした。
「ボクは、ただ、走りたいだけなんだ。気持ち良くグランドを駆けたい…」
「山咲先輩なら出来ます」
「そうかな?」
ムクッと顔を上げた先輩の瞳が綺麗だった。あ、近い…と思いつつも私は返事をする。
「はい」
「なんだか、ソラちゃんに言われたら元気出てきた。君とは初めて会った気がしないよ」
「ソ、ソウデスネー」
きっと、もう何回も出会っているはず。だから、この時間は運命じゃない。それでも私は、忘れない。壊れたのなら、またゼロから始めていけばいいのだから。
その後、保健室の先生に見つかって軽く注意された二人。怪我が治ったことに凄く驚いた先生だけど意外と不思議に思うこともなく私たちを送り出してくれた。ガラガラと保健室の扉を閉める。
「先輩、今日のことは秘密にしましょう」
「ありがとう、ソラちゃん」
そう言った山咲先輩は私の頭をポンと軽く叩いてくれた。
「またね」
「は、はい」
私は、その場に立ち尽くしながら触ってくれた感触を堪能している。自分の胸の鼓動が少し速くなっていることに気付いてしまった。どうやら私の好きな人は、山咲先輩のようだ。
午後の授業、全く集中できるわけが無かった。アミにも何度か心配されてしまう始末。
「ソラ…ねぇ、ソラ…」
「え?ごめん、聴いてなかった」
「もう帰りの会も終わったよ」
「あ」
ふと周りを見渡すと確かに教室に残っている生徒は少ない。帰宅部の時間だ。私はカバンを持って帰ろうとするとアミが裾を掴んで離してくれない。
「どうしたの?」
「……話がしたい」
一体何を?と聞くよりも早く腕を引っ張って連れて行かれる。私が何度話しかけてもアミは答えてくれない。ザワザワと胸騒ぎがする。
人気の少ないトイレに着くやいなや、アミに壁ドンされた。
「あ、アミ?」
「違うでしょ…二人だけのときは『天使と悪魔』だって」
「…悪魔ちゃん、どうしたの?急に」
なんだか様子がおかしい。私の声は届いているはずなのに、悪魔ちゃんは冷静を取り戻せないみたいだ。
「今日、ずっとグランドを見てたよね」
「それがどうかしたの?」
「私のことは?」
「へ?」
「いつも私のこと見てたじゃん。私の名前を見て『天使と悪魔』みたいだって言ってくれたじゃん」
「え、ちょっと待って。何のこと?」
パズルのピースは綺麗にハマったのだ。悪魔ちゃんが言っている言葉の意味が私には分からない。強く手首を掴まれて逃げ場のない私に悪魔ちゃんの泣きそうな顔が近付いてくる。あ…このままだと…キス……
「ソラ!!」
唇が触れる寸前で声が響いた。
「あぁ、山咲先輩…」
すごく急いでいたのだろう、額に汗が滲んでいるのが分かる。
「その人の手を離してもらおうか」
「こんなはずじゃないのに、どうして」
ポロポロとアミの瞳から涙が零れ落ちていく。そんなことを言われても私には分からないものは分からないよ。筋書き通りか、どうかなんて知るわけないじゃないか。
「…行こう、ソラ」
先輩が伸ばしてくれた手を、私は何も躊躇なく掴んだ。それから二人は悪魔ちゃん一人を残して去っていくのでした。
「どうして私の場所が分かったんですか?」
「……部活に行く途中、誰かに無理やり連れて行かれるソラちゃんが見えたから。嫌な予感がして追いかけただけさ」
そう言う先輩の耳が紅くなっている。心配してくれたのだろうか、もしかして私のことを好きになってくれたのだろうか。なんて考えてしまう。
「先輩が私を見つけてくれて本当に嬉しかったです」
先輩、好きです。とはまだ言えないから今日はこのくらいにしておく。先輩の手を更に強く握ると赤色が濃くなった。
「そ、そうだ」
「はい?」
「また何かあったらいけないからLINE交換しておこう」
「何かなくても先輩に連絡しますけど」
「…べ、別にいいよ。ソラちゃんの好きにしても」
ふむ、なるほど。それでは早速、今夜あたり私の名前を呼び捨てして貰うことにしよう。そんな些細なことを企みながら私たちは悪魔から逃げていく。仲良くしてくれた友達だったけど、もう関わることはないだろう。
「さようなら」
私は心の中で呟く。好きな人との思い出は壊れたけれど、好きな人とこれからも歩いていくよ。
パチパチパチパチ。ぽん。
フードを被った誰かが悪魔の契約書を手にする。
「あ、また誰か使ってる…」
使用された形跡を見るもフードの人は気にしない。
「まぁ、『悪魔』の役目は誰だって出来ることだし」
どうでもいっか、とフードの人は嗤いながら、嗤いながら【破壊】を選ぶ。フードの人もただの人間でした。誰かが幸せになるなら誰がどうなったっていいじゃないか。そう叫ぶと笑い転げながら崩壊していく廃墟を瞳に映す。空は快晴、海はゴミで汚されていく。それでも虹はかかる。世界は美しい。人と人が愛し合うのは素晴らしいよな。
「な?」
ソラ「先輩♡」
先輩「な、なにかな?」
ソラ「今隠した百合漫画見せてください」
先輩「絶対に嫌だ!」
ソラ「私、その漫画と同じことしてあげますよ?」
先輩「そんな…ソラに破廉恥なことなんて……あ」
ソラ「見せてください♡」
先輩「ああああ!!恋人が可愛いけど怖いいいい!」