58 お別れ
※終わりみたいなタイトルですがまだまだ続きます
12月上旬。
都心部の空港で便を待つ二人の男女がいた。
「あー、大丈夫かな…忘れ物してないかなー…」
「大丈夫だよ。もう10回くらい確認したでしょ」
「とはいえ、行くの海外だよ?忘れ物したら一年くらい取りに行けないじゃないか…」
左手の薬指につけている慣れない指輪を気にしている心配そうな和人とそれをなだめている美波である。
「美波ちゃん、僕と結婚してください!」
CS敗退後、数ヶ月前から同棲し始めた和人は美波にそう告げた。
彼女は洗い物をしている手を止めて驚く。
「え、え、え??け、結婚??」
「そして一緒にメジャーに行こう!」
「ごめん…今、頭の整理ができてない」
一気に大事な話が入って頭を抱える彼女が落ち着いてから色々と詳しく説明した。
ポスティングの行使が決まったこと、それで海外に一緒に行く前に結婚をしようということ。
「も、もちろん結婚は私でよければ…」
「け、結婚…なんて甘美な言葉…」
和人が思わずニヤけるが、はっ、と重要なことを思い出した。
「君のご両親にご挨拶しないと…ど、どーしよ、「うちの娘はやらん!」とか言われちゃったら…」
「そんな偉そうなこと言えないよ絶対!それより私も一緒に海外に行くっていうのが反対されないかが心配かな…」
「た、確かに…海外行くのって大変だもんね」
そんな不安を抱えながら美波の実家に挨拶に行ったが…
「いいんじゃない?それだけ和人さんのことを愛してるなら」
案外あっさりと認められ、美波は驚く。
「えっ、そんな簡単に…」
「簡単じゃないわ。美波は今までと言語も違う海外で和人さんのために献身的にサポートしなきゃいけないのよ?それでも彼のためについていくというのは相当な覚悟と彼への愛情が必要なの」
母の厳しい指摘に美波は戸惑うが、キッ、と表情を引き締める。
「…うん。わかってるよ。もう私は和人くんのためならなんでもするって覚悟してる…ありがとうお母さん」
「ふふ…頑張りなさい。海外に行っても、和人さんも美波も応援してるからね」
「あの…やっぱやめようぜ。僕の実家は寄らなくても…」
「駄目ですよ!ちゃんと報告しないと」
一人の実家のドアを開けるのを躊躇う和人に美波が叱責する。
「は、はい。スイマセン。美波ちゃんに怒られたら仕方ないよね…」
和人が渋々ドアを開けて入る。
「ただいまぁー…」
「お邪魔します。わぁ、玄関広い…」
祖父の充がプロ野球選手でコーチなどもやっていたこともあり家庭は並より裕福である。
「おかえり〜カズちゃん…あら、その子は彼女さんの美波ちゃん?」
「そうだよ。今日は美波ちゃんと結婚するってこととメジャーに挑戦するっていう2つを報告しに来たんだ」
「あら~それはおめでたいわ。さ、あがってあがって」
なんの表情も崩さず平然としてる母の優衣に、和人はツッコむ。
「…え?驚かないの?」
「驚かないわよ〜。二人が同棲して、仲も良いってことは聞いてたし、メジャーに関してはニュースにもなってたし」
「あ、そっか…慣れすぎて忘れてたけど、ネットニュースとかすぐに全世界にばらまかれるもんね…」
和人が自身のスマホを開いてSNSの大量の通知を見る。
「そろそろお昼の時間だし、久々にみんなで食べない?もちろん美波ちゃんも一緒に」
「わ、私もですか?…ふふ、すみません。それじゃお言葉に甘えて」
「美波ちゃん食べ物に目がないたたたたたた美波ちゃん僕の左手を潰そうとしないで!」
「あらあら、かわいい夫婦ねぇ…」
優衣が料理をしながら二人のいちゃいちゃを見守っていた。
「おぉ!その子が彼女さんの美波ちゃんか!随分とべっぴんさんじゃないか」
父の義人が早々に食いつく。
「もう彼女じゃなくて奥さんになるんだけどね」
それを聞いて姉の和美が飲み物を吹き出す。
「ごほっ!かかかかカズが結婚!?昔「僕はカズ姉と結婚する〜」って言ってたじゃない!」
「言った記憶無いし多分言ってねーよ!」
「カズ姉はカズ兄に溺愛しすぎ。カズ兄来年27だよ?他人より自分の心配して。カズ姉もそろそろ結婚相手くらい見つけなよ」
その様子に和が呆れながらスマホをいじる。
「あなたが妹の和ちゃん?ふふ、和人くんそっくりで可愛い」
「そうですけど…みーちゃんって呼んでいいですか?」
「どうぞお好きなように」
和の呼び方に和人がショックを受ける。
「ぼ、僕より先にみーちゃん呼びを…」
「別に和人くんもそう呼びたいなら呼んでくれていいよ」
そこに、この家で唯一寡黙な祖父の充が口を開く。
「さて、死ぬ前に俺のひ孫が見れるかねぇ…」
「多分見れるよ。ね、みーちゃん」
「う、うん、そうだね!」
二人がそわそわしていると義人が冷やかす。
「お、なんだなんだ?もしかして二人ともまだ夜の営みを…」
「はーい、お父さんは黙ってね〜。ご飯できたからみんなで食べましょ」
優衣が話を遮って料理をテーブルに並べる。
和人は久々に食べる母の料理を口にしながら、少々寂しさを感じていた。
「はぁ…これから一年くらい横浜から離れるのかぁ」
「ホームシックになって球団さんに迷惑かけちゃだめよ?」
母の忠告を笑って返す。
「はは、途中帰国なんてしないから大丈夫だよ!」
食事を終えると、美波が食器洗いを手伝う。
「あら、いい子ねぇ。こんな子がカズちゃんのお嫁さんになるんだから私達は幸せものねぇ」
優衣に褒められて美波が照れて苦笑する。
「いえいえ、そんな…」
そこに和美が割って入る。
「あ、ママ、私やるから休んでていいよ」
「あらそう?じゃあ任せちゃおうかしら」
あまり体の強くない優衣を休ませるため…というのもあるが、本音は美波と話すためである。
「久しぶりね。カズの初先発の試合でスタンドで一緒に見てた時以来かな?」
「そうですね!…なんだか、ごめんなさい。和人くんを奪ったような格好になってしまって…」
「いやいや、容姿端麗で性格も優しい非の打ち所のない奥さんに私が文句言えるわけないじゃない!しかも結婚もありえない姉弟なんだし」
そう言うと和美が美波の横顔を見つめる。
「カズのこと、支えてあげてね。昔からいろいろ抜けてる子だから結構迷惑かけちゃうかもしれないけど…」
和美の頬には涙が流れていた。
美波はただ黙って笑顔で彼女の涙がおさまるまで寄り添った。
時は戻って、12月の空港。
まだ便が来るまで時間がある。
すると、一人の中学生らしき少年が座って待ちぼうけている和人に歩み寄る。
「…あの、佐々城選手ですよね?…メジャーでも頑張ってください!僕大ファンなんです!」
少年は興奮気味に被っていた和人のサイン入りの帽子を見せる。
「おぉ、使ってくれてるんだ。ありがとう!僕がいなくなってもシーレックスのこと、応援し続けてね」
「もちろんです!あっちで活躍して、いつか戻ってきてくれる時までずっと応援してますから」
少年が去ると、また一人の男が和人に話しかける。
「最後までファンサを忘れないプロ野球選手の鑑だな…佐々城」
その顔と声は見覚えがあるどころか見飽きたものだった。
「…浪川くん?!わざわざここまで来たのかい?」
「まぁ、最後の挨拶ってことでな…すみませんね美波さん。二人のところ水を差してしまって」
「ああ、いえ、浪川さんは和人くんの親友ですもんね。いつも家で顔は怖いけど実は優しいとか雰囲気、佇まいがすごくかっこいいとか、そういう話をお聞きしてます」
「みーちゃん。や、やめて…」
和人が止めようとするが時すでに遅し、泰介が顎のひげを触りながら微笑する。
「ほぉ、お前そんな話してるのか…」
黙って恥ずかしがっている和人を見て、泰介は最後に一つ聞こうと思っていたことを思い出した。
「…なぁ佐々城、お前覚えてるか?俺と初めて出会ったときのこと」
「ん?ドラフトの会見のとき?初見はなんか嫌なやつだなーって思ってたよ」
「その時じゃねぇ。もっと前だ」
「もっと前…?」
泰介の父が亡くなったあの日、野球の帰りの迎えに来た充の車の後部座席に座っていた少年…あれは間違いなく…
「…お前は覚えてないんだな。それもそうか、あの日はお前からすりゃなんてことない日だもんな」
「え?なんてことない日?ど、どゆこと…」
困惑する和人にこれ以上気を散らせてはいけない、と泰介が手で静止する。
「あぁ、別にいい。俺の思い過ごしだ…それはそうと奥さんに迷惑かけないようにそろそろ準備したほうがいいんじゃないか?」
「もう準備万端だよ…これでしばらく横浜シーレックスとも…君ともお別れか…なんか今更になってちょっと寂しくなってきちゃったよ」
はは、と和人がはにかむ。
「あっちでもいいチームメイト見つけてこいよ。俺が教えた英語でちゃんとな」
「わかってるよ…バイバイ、泰介くん」
少し照れくさそうに下の名前を呼ぶ。
「俺の分まで暴れてこいよ、和人」
それに応じて泰介も下の名前で激励する。
出口に向かう泰介の背中が小さくなるにつれて、和人は彼との思い出がぶわっと脳内に溢れ出した。
『だから所詮三流ピッチャーなんだよバカが』
初めはお世辞にも仲がいいとは言えないくらい不仲だった。
性格はほぼ真逆で、同じチームでなければ交わるはずのない二人だっただろう。
だがお互いを知り、尊重することで徐々に関係は良いものになった。
時にぶつかり、励まし、笑い、幸せを共有した親友であり永遠のライバル。
彼のいないロッカールーム、彼以外の捕手に投げるなど想像もできないが、いつか慣れるだろうか?
(同室の太郎さんともしばらく会えないのか…あぁ、ほんとなんで今更になってこんな寂しくなるんだよ…できることなら戻り…)
そんなことを思いかけて、やめた。
泰介の湿布が貼られた足と、真剣な眼差しと台詞が脳裏をよぎった
「この勝負、お前の勝ちだよ」
彼がどんな辛い気持ちで僕にそう告げたのかはわからない。
けど、絶対僕のことを信じて、賭けてくれたことは間違いないはずだ。
和人は決心してぎゅっと拳を握りしめた。
それと同時に、ロサンゼルス行きの便が到着したというアナウンスが流れる。
「…行こうみーちゃん。日本とはお別れだ」
「うん」
飛行機に搭乗した和人の目に一切迷いは消えていた。
次回からメジャー編です




