51 荒削り原石と超大物
んほー
「はぁ…なんで俺が彼の専属指導しないといけないのかね…」
そう呟いていたのは今シーズンから選手兼二軍投手コーチを務める柏木義孝、37歳である。
プロ14年目で通算76勝で暗黒期に「右の三村・左の柏木」の二枚看板でチームを支え続けた。
キャリアハイは3.35 10勝7敗。近年は先発中継ぎを行ったり来たりしているが良くも悪くも癖のない投手で、得意球はカットボール。
先日、浪川に「宮村の面倒を見てください」とお願いされて、断ることが苦手な柏木は飲み込んで今に至る。
まず気になっていたのが言わずもがなコントロール。
投球練習ですらストライクを入れることに苦労しているように見える。
それだけでなく基礎的な牽制やベースカバー等も未熟で、はっきり言って良い面よりも悪い面が目立ちまくり、なにをどう改善すればいいのか分からない。
「ちょちょい。宮村。一旦投げるのストップ」
「え?はい」
「早速だけど自分の悪いと思うところ。思いつく限り言ってみ?」
「そうだなぁ…食べ物の好き嫌いが激しい…早寝早起きができてない」
「私生活じゃなくて野球の話ね」
この一連の会話で宮村の頭のヤバさを心底味わった柏木は、本格的に頭を抱える。
基礎ができてないのは前のコーチの教えが悪かっただけだと思っていたが、これは宮村が煙たがられて、どうしようもなく呆れられていたのだと理解した。
「コーチ!お言葉ですが、人間悪い所ばっかり見てたら全部悪くなってしまいますよ!ポジティブに行きましょう」
「いや、ポジティブなのはいいんだけどさ、うん…」
早速この問題児をどうすればいいかわからず頭を抱える。
昔から柏木はとにかく「優しすぎる」ため、コーチには向いていないと言われていた。
一試合で二度も死球を食らったときも怒るどころか笑顔で大丈夫だとアピールして、監督に「勝負の世界でそんなナメられるようなことはするな」と叱られたこともあったほどだ。
それでも決してその姿勢をやめることはなく、多くの後輩はその姿を模範としている。
まさかそれがこんなところで邪魔になってしまうとは思いもしなかっただろう。
練習後、柏木は二枚看板として共に活躍した、良き理解者の三村に相談することにした。
「いいんじゃないか?優しくても」
回答は簡潔で一見適当にも聞こえるものだった。
柏木はそれが予想外だったのか、困惑する。
「でも、首脳陣は選手にナメられたら言うこと聞いてくれなくなるとかよく言われるじゃないですか」
「優しいとナメられる、ということに因果関係は無いよ。ナメられる首脳陣は指導力のない、頼りがいのない奴が大抵さ。お前はお前なりの優しく、良い指導をすればいい」
しかしそこに、ただ、と釘を刺す。
「練習やその選手にできる全力プレーを怠ったら誰だろうが厳しく言え。練習と全力プレーはプロとしての基本中の基本だ。これができない奴も、それを指導できない奴も「プロ」と呼べない。職務放棄と言ってもいいだろう」
珍しく厳しい目と口調でそう柏木に伝えるとそのギャップに冷や汗をかいて了解する。
「は、はい。がんばります…」
「ワギさん。ほんとに宮村、どうにかなりませんか?逆球ばっかりだし、変化球は抜けてワンバンばっかり、あいつの球受けてたら体おかしくなりますよ。しかも人の話聞かないから指導しても意味ないし…」
ブルペン捕手の一人が柏木に愚痴ると、柏木は苦笑いする。
「うーんそうだな…俺も好きで宮村の面倒見てるわけじゃないんだけども。俺も自分の調整したいし」
しかし、関わった人間には嫌な目には合ってほしくないという気持ちもあり、三村に言われたことを心に、指摘することにした。
「なぁ宮村。いっぺん速い球投げることを優先せずにコントロール気にして投げてみ?」
「え、でもそれだと俺140出るかもわかんないですよ?」
「野球は速い球投げれば絶対抑えられる競技じゃないだろう?まずそれで数球投げてみてくれ」
そう言われると渋々宮村がコントロールを気にして投げる。
無論そのボールは全てお世辞にも良いボールとは言えないものだった。
キレもスピードもなく、これがモノになるという見解で面倒を見させる浪川の目に疑問を抱く。
「ま、まぁいいや。とりあえずそっから徐々にスピード上げていってストライク入れられるようにしよう」
「はい!」
これで少しはマシになるだろうとその様子を横目に自身も投球練習をする。
すると、それで一つ宮村の特徴に気がついた。
投げるリズムが一定で変化がない。
まるで本人の性格そのもののように他人や空気に流されず淡々と投げるその姿にやっと浪川が推していた理由が分かった。
精神面だけなら一軍クラスだが、それに技・体がついてこれていないように見える。
ただそれが噛み合えば…とてつもない投手にもなりうる逸材だ。
「柏木さーん!どうっすか今のボール!多分外いっぱいに150決まりましたよ!」
はしゃぐ宮村を見て、まだまだかな?と思いつつも褒める。
「おー、いいじゃん。8割くらいの力でコントロールできるようになってきたんだ」
「いえ、まだ5、6割くらいですけど、こっからできるようにします!」
柏木は自分の耳を疑った。
150kmで5、6割?それなら全力を出したら…
「最速、どんくらい出したことあるの?」
「非公式なの含めたら160は超えたっす!でも世界最速が171らしいんでまだまだですね!」
この男の底知れぬ潜在能力に少し胸がざわめいた。
それと同時に一つの疑問が浮かんだ。
「でも、確か出身は超無名の大学だったよね?そんな球取れる選手なんていたの?」
「いなかったです!なんで、自分でスピードガン買ってマウンドから全力で投げて計測してました!あはは!」
宮村はいわゆる「Fラン大学」出身で、野球部は大して強くなく、遊びのサークル程度のレベルだった。
その中でも際立って身体能力の高かった宮村は時々草野球チームの助っ人として参加していた。
そこで偶然シーレックスのスカウトの目に止まり、化ければ儲けもん程度で指名することになったのだ。
「こういっちゃなんですけど、俺が出会う指導者ははいつも俺にだけ怒鳴るように叱ってたんで、嫌になって言うこと聞かずにずっと反抗してたんです!でも柏木さんはそんなことせずに優しく教えて褒めてくれる。だから久々に素直に言うこと聞けました!」
キラキラと光るような目で自分を見る宮村に胸を打たれる。
三村の言うとおり、この自分なりの指導方法は間違っていないのかもしれない。
「そうか…よし!俺がきっちりお前を一軍で成績残せるくらいの選手に育ててみせるから、お前もそれについてきてくれ」
柏木は浪川の願いだとかそんなことは頭から無くなっていた。
ただ宮村を一流にしてやりたい、その一心だけ。
その想いが宮村に伝わったのか、力強く返事をする。
「はい!」
まずそのために体を作ることが最優先だと思った。
上半身はしっかりしているが下半身は豪速球を投げるとは思えないほど細く、バランスが悪いためコントロールも悪いのだろうと推測したからだ。
下半身というのは投手とって利き腕の次に大切と言っても過言ではない。
どっしりとしている方が踏み込みが安定して、力強くコントロールも良くなる。
最近だと和人が去年オフに下半身の強化に取り組み、結果が出た。
そこで、よく人の下半身を観察してこい、と宮村にひとつ命じた。
ホテルで宮村が和人と浪川と一緒に夕食を食べているときの事だった。
「…ね、ねぇ、宮村くん?なんでそんな僕の下半身見てるの?」
「やっぱり佐々城さんってケツでかいですね!」
「あ”ぁ”ん”?」
和人がキレそうになるがそこに浪川が仲介に入る。
「柏木さんにいい投手は下半身がしっかりしてるからよく見てこいって言われたんだろ?」
「そうっす!」
「あぁ、そういうことね。この子いきなり何言い出すのかと思ったよ…きゃぁっ!」
和人が先程とは別人のような悲鳴を上げ、何事かと浪川が見ると、宮村が和人の太ももを揉んでいた。
「なるほどー…これが一流の下半身かぁ」
「か、感心するのはいいけど、いきなり触られたらびっくりするよ〜。可愛い後輩のためとはいえ…」
その様子を横目に浪川は頬杖をついて自分のフォームについて考え込んでいた。
去年は文句なしの成績でMVP&三冠王を獲得した。
それにより今年はマークがかなり厳しくなるだろう。
だからこそ、このままのフォームだとただ下がっていく一方だと浪川は考えた。
実は去年も後半戦からは少しフォームを改造していた。
ノーステップをやめ、強く踏み込んで逆方向へ鋭い打球を打つことを意識し、結果それが調子の維持に繋がった。
広角に打てるということは相手も安易に極端なシフトを引けず、どの球もヒットコースに打ち返すことができる。
それをシーズン中に習得し、実行させてしまうところが自他ともに認める天才たる所以なのだろう。
しかし、やはりそこで納得してこれでいい、とならないのがこの男の凄みである。
更に修正を重ね、以前までバットを後ろで構えていたが、今は前で構えている。
後ろで構えていると、遠心力によりスイングの力が強くなって、長打力がつくが、これだと打つポイントとバットの距離が遠くなり、差し込まれることがややあった。
前で構えていると、前よりスイングの力は落ちるものの、打つポイントとバットの距離が短いため、差し込まれず、以前より芯で捉えることが簡単になる。
浪川ほどのスイングができる選手ならばコンパクトに振っても十分に長打は打てるため、前で構えることにしたのだろう。
しかし、それで優香里に「前のフォームのほうがカッコよかった」と言われたときは少々ショックを受けた。
そんなことを思っていると、宮村の騒がしい声で自分の世界から現実に引き戻される。
まだ和人の足を触っていた。
「浪川さん、佐々城さん!どうすれば下半身って鍛えられますかね!?飯いっぱい食って走り込むとか?」
「下半身を強化するってのは、ただ太くするだけじゃダメだ。股関節の可動域を広げるとか、やることは大量にある」
宮村が浪川の答えに納得する。
「なるほど、股関節ですか!佐々城さん!股間触らせてくだ…ぐへっ!」
語彙力のなさから和人にビンタされ、倒れる。
「それはアウトだよ!食事の場でデリカシーってもんはないのかい君は!」
「お前が言えたことか?」
浪川に正論でツッコまれるも、バイキングで取ってきたアイスを食べてふんっ、と無視する。
あっという間にキャンプが終わり、いよいよ最終調整のオープン戦が始まった。
先発二人流失の穴を埋める先発候補として新たに名乗りを上げたのは和人と瀧内の二人。
まず和人は中継ぎからの転向のため、始めはペース配分や調整に苦しんだが、先発だった大学時代の感覚を取り戻し徐々に適応。
瀧内も高卒2年目とは思えないほど落ち着いたマウンドさばきと打たせて取る玄人のようなピッチングで首脳陣にアピール。
二人の共通点は「カーブ」にあった。
和人はオープン戦での最速158km、平均153kmと、中継ぎ時代と比べて落ちたものの、得意球のカーブとナックルカーブのスピード差は30〜40。
瀧内は最速146km、平均143kmながら四隅に投げ分けるコントロールとカーブよりも更に遅いスローカーブで打者を翻弄した。
一方の野手は一番・センターとして鍬原が梶の穴を埋める攻守の活躍をし、太郎は隠していた長打力を遺憾なく発揮し、5本塁打OPS.800と好成績を残していた。
そして主砲の浪川も打率.320 5本 10点 OPS1.100という貫禄すら感じる成績。
昨年の勢いそのままに投打が噛み合い、オープン戦を2位で終えた。
しかし、正捕手の浪川は決して油断しない。
彼は、彼の打撃成績をすべて上回り、オープン戦三冠王に輝いた男のデータを集めてマークしていた。
その男の名は、東海スワンズの新助っ人、ジョシュ・オルドリッジ、34歳。
ポジションはライトで、愛称はリッジ。
驚くべきはその経歴。
ドラフトでカンザスシティ・ワイルズから1位指名(全体5位指名)を受け、22歳でデビューすると、25歳の時に打率.346 38本 105点 OPS1.034というキャリアハイの成績を残し、首位打者を獲得。
その後も2度の首位打者と打点王、シルバースラッガー賞を4度受賞するなど、通算1600安打を放ち、昨年も.284 22本 75点 OPS.794を記録したバリバリのメジャーリーガーである。
なぜそんな選手が日本に来たのかというと、メジャー以外の多くの野球を知りたかったから、だそうだ。
メジャーリーグファンの浪川も憧れていた選手で、来日すると聞いたときはとても驚いた。
そして捕手目線での彼の打席に立ったときの迫力は凄まじいものだった。
当時リードしていた投手は和人だったのだが、カウント2-2から投じたアウトロー完璧かと思われた155kmの真っ直ぐを軽く合わせるように振られ、なんとそのまま逆方向のスタンドに叩き込まれてしまった。
そのホームランを見た浪川と、打たれた和人は呆然。
あそこに投げておけば大丈夫、というボールだったため、狭い地方球場だったということを考慮してもあれをホームランにされるというのはかなりの衝撃だった。
試合後、浪川は学生時代に一番得意だった堪能な英語力でオルドリッジに話しかけた。
「はじめまして。さっきのバッティングは見事でしたね。流石はメジャーリーガー」
流石の浪川もテレビで見ていたほどのスターのため緊張で多少手が震えていた。
「ははは、それはどうも。今はメジャーリーガーじゃないけどね」
「僕からするとあなたはまだメジャーのスターですよ。7年前、ワイルズを世界一に導いた決勝ホームランは今でも覚えてます」
「おぉ、よく知ってるね。もしかして君はメジャーを目指してるのかい?」
「ええ、昔からの夢ですから。今はチームの勝利が一番ですけど」
「そうか。確かにあの強いスイングと確実性があればなかなかの成績が残せそうだ。肩も強いし、足も速いし、三拍子揃ってる…リードはまだ未熟なところがあるけどね」
憧れの男に褒められ、浪川は思わずニヤッと笑う。
すると、オルドリッジは自分の頭をトントンと叩きながら何かを思い出そうとしていた。
「あー…そういえば僕がホームランを打ったあの投手はどうなんだ?かなり小柄だけれど、あのストレートとはメジャーでも屈指じゃないかな?彼はかなり通用すると思うんだが…」
「佐々城のことですか?」
「そうそう、彼だ。あのホームランもなんとか反応しようと思ったらたまたま芯近くに当たっただけだし、スタンドギリギリだった。普通なら外野フライ程度だ。しかもあのカーブを見せられた後だとどうしても反応が遅れてタイミングを掴めない」
自分以上に絶賛される和人に浪川は少し焦りを感じた。
なぜずっと目指している俺じゃなく、あいつなのか…そんな嫉妬心まで抱いてしまった。
すると、調度その聞き慣れた甲高い声が廊下に響き渡った。
「あ、浪川くんこんなとこにいたんだ。その人は今日僕からホームランを打ったオルドリッジさん?ナイストゥーミーチュー!」
「Nice to meet you.In Japanese…「ハジメマシテ」?」
カタコトながら日本語を思い出し、喋る
「おお!日本語話した!」
一人がはしゃいでいると浪川が釘を刺す。
「おい、そんなに騒ぐなよ。レジェンドの前だぞ」
「あ、そっか、すごい人なんだよね」
「まったく…そんなことも知らねぇのかよ」
浪川が呆れてため息をつく。
そこにオルドリッジが質問する。
「彼がササキかい?」
「はい。見ての通りうるさくていろいろ抜けてて失礼な奴ですけど…実力はあなたの言う通りトップクラスです」
「それじゃ、彼に一言だけ通訳してくれないかな?」
「え、一言でいいんですか?」
「あぁ、今日は息子の誕生日でそろそろ帰らないといけないんだ。あまり話ができなくてすまないね」
話す限り特にメジャーリーガーということを鼻にかけるわけでもなく、憧れの選手がひどい人間性だった、と幻滅しなかったことに安堵していた。
そしてその伝えられた言葉を日本語に訳し、和人に伝える。
「オルドリッジさんからの伝言だ。『ファストボールが好きなやつにこそファストボールを好きなだけ投げてやれ』…だってよ」
「…どういうことだろ?」
「それはお前が考えろってことだな。あの人の助言だ。その言葉、忘れるなよ」
和人の頭を軽く叩いて、そう言うと浪川はロッカーに戻っていった。
開幕戦、一週間前。
スタメンは首脳陣の中ではほぼ固まっていた。
一番 センター 鍬原
二番 キャッチャー 浪川
三番 ファースト ソス
四番 レフト 矢野
五番 サード 宮坂
六番 セカンド 太郎
七番 ライト 細山
八番 ショート 芝田
九番 ピッチャー
一つのポジションを除いて。
オープン戦を終えてから「開幕は今長、佐々城、瀧内の中の誰か」と、名言はしていたものの未だ決められずにいた。
昨年の開幕投手で経験のある今長か、それとも急成長した和人か、瀧内か。
最終決定のために3人とも首脳陣と相談したが全員が「与えられたポジションで投げるだけです」と、言っていた。
しかし一人だけその最後に付け足した。
「でも、できるなら僕は開幕で投げたい」と。
それは今長だった。
エースとしてのプライド、そして自覚を持っている。
その意識に惚れた三村は開幕投手を今長に決定した。
また、二番手は和人、三番手は瀧内となった。
そして和人はそれを聞いて少しホッとした。
いきなり先発転向して開幕投手なんて気持ちの準備ができていなかったからだ。
とはいえ、自分が投げるのはその翌日。
気は抜けないし抜くことは許されない。
和人はその今長の背中を見ながら調整し続ける。
再来年、いや来年は自分が開幕を…そう思いながら。




