43 決着
そろそろ受験が...
『さぁ、一打同点、もしくは逆転サヨナラという打席。四番の矢野が入ります。この三連戦は不調ですが、通年だとアベレージは.308で本塁打は21で打点は69。満塁では10打数7安打という相性の良さもあります』
普段と変わりないように見えるが、打ちたいという気持ちを内に普段より強く秘め、独特の雰囲気があった。先代キャプテンの筒号のような威圧感ではなく、どこに投げても打ち返されるような怖さだ。
そしてその初球、高めのストレートを見送ってボール。この一球で矢野はデルロサの集中力が切れていることに気がついた。
ツーアウトまでこぎつけたというところでまさかの申告敬遠。プライドが大きく傷ついたのだろう。
その様子から次の一球が狙い目だと矢野は読んだ。
二球目、得意のインコースにスライダーが来た。それを逃すまいと引っ張ってライトへと飛ばす。
その瞬間を見るために観客が歓声を上げて総立ちして打球の行方を見る。絶妙な打球はライトの頭を越え...
るかと思われたが松島が決死のジャンピングキャッチで打球をグラブに収めていた。
デルロサは再び雄叫びをあげて天に指を差し、原山はガッツポーズをして喜んだ。打った矢野は天を仰いだ。
(よし!よし!ざまぁみろ浪川!余裕こいて一つ勝てば許すなんてほざかなけりゃよかったものを!)
しかし原山が喜ぶのもつかの間、ファーストの審判が主審に話をしてビデオ判定をすることとなった。一体のなんの判定なのかと球場がざわめくなか、判定を終えた審判がマイクを持って説明をする。
「検証の結果先ほどのデルロサ投手の投球がボークという判定で、先ほどのプレーは無しということになり、ツーアウト満塁のカウント1-1でプレーを再開いたします」
観客はおぉ!と盛り上がり、矢野も胸を撫で下ろしてほっ、とする。
(あぶねぇ...野球の神様はまだ俺にチャンスをくれてるのか)
一方の原山は判定に猛抗議。審判に詰め寄って怒鳴っていた。
「今のプレーの一体どこがボークだというんだ!」
「セットポジションでの制止時間がやや短かったためそう判断しました。それだけおっしゃるなら映像をお見せしましょうか?」
「...ちっ、どいつもこいつもカスばかりだ!セットすらまともにできん投手など...」
そう愚痴を垂れてベンチに戻るとストレスでベンチを蹴った。
しかしその行為が気持ちが切れかけているデルロサに追い討ちをかけるような形となってしまった。
対照的に一命をとりとめた矢野は深く深呼吸をしてから打席に立つ。
焦るな、落ち着いて球を見ろ、と自分に言い聞かせながら。
そして仕切り直しとなった三球目、スライダーは叩きつけるようなボールとなりデルロサの表情に焦りが見え始める。
次の球も低めに外れ、カウント3-1と矢野からすると絶好のカウントとなった。デルロサとしては厳しいゾーンにストライクを決めなければいけないため、かなり苦しい。
運命の5球目、デルロサの選択した球はストレート。リリースポイント的にはインコースの厳しいストライクゾーン。しかし指のかかりが甘かったのかシュート回転し真ん中付近に入る。
矢野からすると絶好球が来たため、しっかりとボールを叩いて振り抜く。
打球は鋭く一塁線を襲う。ファーストの岡が精一杯ジャンプするがその頭上を越える。
前進守備をとっていた外野は成すすべなく、三塁ランナー、そして二塁ランナーもホームインして逆転サヨナラ。球場はどんちゃん騒ぎとなり、球場の外のファンも大いに盛り上がっていた。
打った矢野は皆に水をバシャバシャとかけられ、叫んで喜びを噛み締めていた。
一塁ランナーの浪川はその様子を見た後、原山を見ると、ベンチに寄っ掛かって帽子を深く被り、落胆していた。その瞬間ふと脳裏に過去が思い出された。
まだ泰介が幼いときのこと、今は亡き父と野球をしている様子だった。淡いパステルカラーのような記憶。綺麗だが突如なにかが壊れてしまいそうな不安定さがある。
父は主に東京で仕事をしているため家に帰ってくるのは大抵週末のみ。そのため泰介からすると父との時間は特別なものだった。
「ナイスボール。泰介は野球が上手だな」
「そらそうだよ!今チームでピッチャーやってるもん。俺もいつかとうさんみたいにもっと上手になれるかな?」
当時の泰介は今とはかりかけはなれた元気なやんちゃ坊主であった。そして父親は今の泰介と瓜二つで常にローテンションで不器用な性格だった。
「あぁ、頑張れば父さんなんかよりもっと上手になれるよ...でもな、泰介は父さんみたいになるなよ」
「どうして?」
「ひとりぼっちになるからさ。泰介も嫌だろ?ひとりぼっちは」
「うん...でもとうさんはひとりぼっちじゃないよ。友だちも俺もかあさんもいるじゃん」
幼き泰介がそう言うと父親はなんともいえないような顔をして彼の頭を撫でた。
事件が起こったのはその数日後、7月2日だった。
「あら、こんな夜遅くに出かけるの?」
「ちょっと野暮用がな...泰介を呼んでくれるか?」
野暮用とは思えない神妙な面持ちに妻の由季はなにかを察し、泰介を呼ぶ。
「ねむい...あれ?とうさん出かけるの?」
「大した用じゃないよ...これお前に渡し忘れてたなと思って」
そう言うとバックから新品のグローブを取り出す。
「おー!買ってくれたの!?」
「使ってたのボロボロだったから見るに耐えなくてな。この前東京で買ってきた」
泰介の喜ぶ姿に父はふっ、と笑い彼を抱き締める。
「おやすみ。もう遅いから寝な」
急に抱き締められて泰介は困惑する。
「い、いきなりどしたの?...お、おやすみ」
抱き締め終えると玄関をガチャっと開ける。
「行ってらっしゃい...帰ってきてね」
母が不安と悲しみの入り交じった顔で見送った。
「...行ってきます」
しかし、浪川泰知が帰ってくることは無かった。
その翌日、泰助は帰ってこない父を不安がっていた。
「とうさんまだ帰ってきてないんだ...おそいなぁ。クラブ行く前に新しいグローブでキャッチボールしたかったのに」
クラブチームへの行きの車内で呟くと母はあえて明るく振る舞った。
「大丈夫よ。泰介があっちでやってる頃には帰ってきてるから」
「...そうだよね」
しかし不安は拭えず、練習でも珍しくミスを連発してしまっていた。
「あっ!...」
「らしくないぞ浪川ぁ!もう一回!」
頭に父のことがちらついて集中力を欠いていた。なんだか嫌な予感がして仕方がない。
「ナミどうしたの?今日ミス多くね?」
「か、関係ないだろ。どんなやつにもそういう日はあるよ」
チームメイトから指摘されても何もない振りをしていたがやはり頭の中は不安でいっぱいだった。
そして練習が終わり、帰りの車を待っていたときだった。
なぜか知っている家の車ではなく少し高級そうな車が来た。そしてそこから見知らぬスッキリとした中年の男性が出てきた。
「君が浪川泰介くん...だね?」
「し、知らない人にはついていけません」
「私は浪川泰知、つまり君のお父さんの友達さ。二階堂という者だ」
着けていたサングラスを外して男性は名を明かす。
「友達?」
「細かく言うと先輩か。君のお母さんが今忙しくて君を迎えに来れないから代わりに来たんだ」
「そういうことなら...」
理解して車の助手席乗り込むと泰介はそっぽを向いて外の景色を見ていた。なにも変わらぬ山の風景と夕日にやっと気持ちを落ち着かせる。
「小学何年生?」
「4年です」
「あ、俺の孫と同い年。ほら、後部座席にいるのがそうだ」
そう言われて後ろを見ると小柄で可愛らしい顔立ちの肩ほどの長さの髪の毛の中性的な子供がいた。
泰介がその子を見ると、びくっとして持っていたゲーム機で顔を隠す。
「..はじめまして」
小さい声でそう言われると、泰介はお辞儀をして返す。
「カズ、お前一応野球やってるんだからもうちょい元気よく声出せ」
二階堂がそう叱るとおどおどする。
「...そ、そう言われてもさぁ」
自分より弱く、とろい人間が嫌いだった泰介は会話を気にかけることなく再び外の景色を見た。すると、すぐに家についた。
「ほい、到着」
「本当に不審者じゃなかったんですね。ありがとうございました」
「そんなに怪しんでたのか...まぁいいや。俺も用事あるから、またな。ほら、カズも」
車の窓から手を振ると泰介も手を元気よく振り返す。
(とうさん帰ってきたかなぁ...あの人が何者なのか聞いてみよっと)
玄関を開けてただいま、と言うが返事はない。どうやら母は外出しているようだ。
すると、外からサイレンの音が聞こえる。こんな田舎に来るなんて珍しいことだ。
なんだろうと外に出て音の行方を見ると近くの川に多くのパトカーが停車していた。
そこに行ってみると母が警察の話を聞いてぼろぼろと涙をこぼして泣いていた。その母の近くに泰介が駆け寄る。
「どうしたのかあさん?」
「泰ちゃん...落ち着いて聞いて...」
「う、うん」
「お父さん...死んじゃった」
涙混じりの弱々しい声から告げられた唐突で残酷な事実に泰介は頭が追い付いていなかった。
「...え?え?どういうこと?な、なんで...」
そこに追い討ちをかけるように警察の言葉が聞こえる。
「ご遺体...膨れ上がってしまってほとんど原型をとどめていないので拝見なさるならお気をつけて...」
嘘だ。そんなはずない。とうさんは死んでなんかいない。そう自分に言い聞かせても変わらぬ事実。それは父の無惨な遺体を見て深く心に刻み込まれた。
そしてその日を境に泰介は別人のように性格が変わってしまった。父のように喜怒哀楽がはっきりとせず、子供らしい元気さはどこかへ消えてしまった。ショックの大きさからクラブチームもしばらく休んでいた。
「ねぇ泰介。その、もしかして母さんに気を使って父さんと同じようにしてるの?」
「...べつに」
母は常に心配していて泰介も自分がなにをしたいのか分かっていなかった。
そんなある日、泰介はまた一つ辛い事実を知る。
原山という男がしきりに家に来ては母に金を渡していた。それは恐らくその男が父の死に関与したからだとすぐに察し、過去に父に異常な労働を強いていたということを母から聞き、そのことで心の支えだった母は長い間鬱になってしまった。
一人の男によって人生を狂わされた泰介は自分の中にひとつの目標ができた。
「原山を倒す」
それから、泰介は野球にこれまで以上に真剣に取り組むようになった。誰よりも早く練習に参加し、誰よりも遅くにやめる。それを繰り返すうち、いつしか彼は信用できるのは自分だけ、という悲しき孤高の天才となっていた。
その思い出が走馬灯のように駆け巡った後、浪川は自分の頬に熱いものが流れていることに気がついた。
涙だ。どんな感情で溢れたのか分からず、ただぼろぼろと溢れて止まらない。
浪川は今当然のことを理解した。原山を倒したところで父は二度と帰ってこないんだ、ということだ。
自分は今後なにを目標に生きればいい?そんな疑問が頭に浮かんだ時、上から冷たい水をかけられた。
視線を横に向けると笑顔の和人がいた。
「佐々城の水攻撃!しかし効果はいまいちのようだ!」
ゲーム風の口調で浪川をおちょくると浪川も濡れた目をこすって本調子に戻る。
「...なに言ってんだよバーカ」
その様子にほっ、とした和人が身長差がありながらも、浪川の肩を掴むと小声で
「浪川泰介に涙は似合わないよ...君が泣くと僕まで涙が溢れるじゃないか」
と、呟いて鼻をすする音が聞こえた。
「あー!ビールかけ楽しみだなぁ」
元気よく振る舞うが長い間暗黒時代のシーレックスをファンとして見続けていた和人も優勝にぐっ、と来るものがあるのだろう。
(あんなチビなのになぜか背中がたくましく見える。ん?小さい背丈、肩にかかるくらいの髪、中性的な顔...)
「佐々城、もしかしてお前...」
「ん?」
俺と会ったことがあるか、と聞こうとしたが口からその言葉が出てこなかった。
よく考えてみると性格はこんな風ではなかった。初対面だったとはいえ、もっとおとなしく人見知りだった。しかしあまりにも共通点が多い...そう思ったが今は考えなくてもいいかと話を自分の中で切る。
「あぁ、いやなんでもない。それよりそろそろ胴上げ始まるぞ」
「あ、ほんとだ!マウンドに集まらないと!」
喜びとそれぞれの感情がこもった胴上げで、三村は現役時代の背番号18にちなんで18回空に舞った。
それをラビッツのメンバーはただじっと見ていた。そこには一昨日先発の堺も混じっていた。
堺は悔しさのあまり目を背けてロッカーに戻ろうとしたが、坂木がおい、と声をかける。
「逃げるな。この光景を目に焼き付けろ。悔しいのはお前だけじゃない。俺も、みんなも滅茶苦茶悔しいんだ。だからこそ俺らはこの屈辱をこれからの糧にしないといけない...逃げたらさっき裏に下がった原山と同じだぞ」
「...はい」
唇を噛みながら堺が頷く。
原山はその翌日、監督の辞任を表明。代行として二軍監督の安倍が一軍監督に昇格した。