第11幕:薔薇の令嬢と別れ
「ハインリッヒ・・・・君の提案した示談を私は受け入れるよ」
フランクは静かに私を見て言った。
「それは有り難いけど・・・・示談金は幾ら示すんだい?」
示談となれば「示談金」が発生すると私は説明した。
「相場は銀貨100枚から金貨300枚と幅が広くて、金額も内容によって異なるよ」
今回みたいな片方が一方的に振った場合の相場は銀貨150枚程度だ。
「でも、君は暴力を受け、更には脅迫もされた身だから・・・・まぁ金貨300枚か、それ以上の示談金を取れなくはないよ」
金額の桁にマドモアゼル・イヴォンヌはギョッとしたがフランクは微動だにしない。
「どうしたんだい?幾ら欲しいかマドモアゼル・イヴォンヌに言いなよ」
そうすれば私が話をつけると言ったが・・・・フランクは金額を言わずに笑った。
「相変わらず嘘の演技が下手だね?」
「・・・・やはり私は演者にはなれないか」
自分の演技力の無さに私は肩を落とすが、フランクはこう言った。
「演技力は無いけど交渉術は上達しているよ。ただ・・・・昔から他人の気持ちを酌み取るのが上手いね?」
私がマドモアゼル・イヴォンヌから示談金を取ろうなんて・・・・・・・・
「君は最初から思っていなかっただろ?」
「あぁ・・・・君が私の家で言った台詞で確信していたよ」
そう・・・・フランクは私の家で愚痴を零したが決してマドモアゼル・イヴォンヌから金を毟り取ろうとは言わなかった。
それどころかマドモアゼル・イヴォンヌの素晴らしさと、自身の愛情を泣きながら何度も言い続けた。
今までの態度を見ても・・・・それは明らかだ。
「ハインリッヒ、改めて礼を言うよ」
「私の御節介に礼なんて要らないよ。ただ、君の一途な気持ちに私が勝手に動いただけさ」
フランクの言葉に私は肩を落としながらコーンパイプを銜えたがフランクは首を横に振った。
「そうだとしても礼を言わせてくれ。だけど・・・・今夜は君の家で酒を飲まないか?」
金は私が出すとフランクは言うが今度は私が首を横に振った。
「新しい門出を祝うんだから私が酒は用意するよ。しかし私はまだ“やる事”があるから・・・・先に玄関の前で待っていてくれ」
ならば私が送りますと殺し屋の男が言うと案内人と今回はなっていた2人も進み出て来た。
「では、お願いします」
私は3人にフランクを頼むとドアを出て行く姿を見送ったが・・・・僅かに震えているのは気のせいではないだろう。
「・・・・さてマドモアゼル・イヴォンヌ。誓約書を書いた上で血印を押して私に下さい」
私はフランクが出て行ってからマドモアゼル・イヴォンヌに感情を込めずに言った。
「フランクは示談に応じ誠意も見せたんです。いい加減に貴女も・・・・誠意を見せて下さい。もし、出来ないと言うのなら・・・・貴女の怖がる祖父以上に私が”お仕置き”しますよ?」
国境警備課は司法庁傘下の守護騎士団に在るが、それでも準軍事組織の色は任務上・・・・今も色濃く残っている。
「ですから・・・・あまり私も怒らせない方が無難ですよ」
脅し文句も付け加えて私は言ったから訴えられたら「脅迫罪」になるが目の前の令嬢には「それだけ」の度胸もないと確信していたから・・・・撤回はしなかった。
「・・・・紙を用意しなさい」
マドモアゼル・イヴォンヌは使用人の一人に命じ紙を用意させ、その間に自身は特に何もせず長椅子に座ると私をジロリと睨んできた。
しかし、それだけでは自身が許せないんだろうね?
「国境警備課は・・・・乱暴と聞きますが、貴方は地で行きますわね?」
「えぇ、乱暴です。しかし・・・・これでも”良識”はあると自負していますよ。その若さで男漁りを趣味にはしていませんからね」
この言葉に薔薇の令嬢は憤怒の表情を浮かべたが、それから間もなく使用人が革の紙を持ってきたことで気持ちを落ち着かせた。
そして別の使用人が用意した羽ペンで薔薇の令嬢は紙に誓約の文字を書いた。
誓約書を書いた薔薇の令嬢は長椅子から腰を上げると私に自ら歩み寄り、その誓約書を渡してきた。
「・・・・確かに。では最後に貴女の血印を押して下さい」
それで初めて誓約書は「生きた紙」となると私が言うと・・・・薔薇の令嬢は私の左腰に吊るした短剣を見た。
「今時そんな”骨董品”を2振りも腰に吊るすなんて・・・・懐古主義者ですの?」
「えぇ、そうです。しかし・・・・使いたいならどうぞ」
私は左腰に吊るして短剣の「サクス」を鞘から抜いて目の前に立つ薔薇の令嬢に差し出した。
それを令嬢は手に取ると・・・・暫し眺めていたが・・・・一瞬だけ私に殺気を向けてきた。
しかし私は微動だにせず敢えて受け止める事にした。
「・・・・・・・・」
私が甘んじて殺気を受け止めた事を目の前の令嬢は理解できない表情を浮かべたが・・・・それこそ私には令嬢だと決定づけた。
「これ、イヴォンヌ。ハインリッヒ殿を待たせるな。たかが親指を少し切る程度で何を躊躇う?」
祖父たるジェームス殿が令嬢を催促すると令嬢はバツの悪そうな表情を浮かべつつ・・・・親指を軽く切り血を流し・・・・その親指で誓約書に印を押した。
「・・・・これで誓約書は完成です。ありがとうございました」
血印が押された誓約書を改めて読んだ私は令嬢に礼を述べながら懐にしまった。
「では、これにて失礼しますが・・・・もし、貴女が誓約書に反した行動を取った際は守護騎士団の権限に則った行動を私は取りますので御気を付け下さい」
それだけ言うと私は令嬢に背を向けてドアに行こうとしたがジェームス殿も令嬢に背を向けた事に些か驚いた。
「君と、あの詩人を見送らせてくれ。あの孫娘では出来ないからね」
実の孫娘が居るのに手厳しい言葉をジェームス殿は言うが私は・・・・その気遣いに感謝した。
しかし背中越しに薔薇のように刺々しい気を感じ私は振り返った。
すると薔薇の令嬢が私を睨んできたが私はこう言った。
「私に怒っているのは理解できますが・・・・それだけですか?」
「何を・・・・・・・・」
令嬢は私の言葉に戸惑った様子を見せたが私は構わず言葉を投げ続けた。
赤の他人にここまで貶されて・・・・悔しくないのか?
「私を虜にする為に”本当の貴婦人”になりたいとは思わないのですか?少なくとも・・・・その若さと美貌、そして負けん気の強さを持ち合わせているなら・・・・いえ、止めておきましょう」
下手な世話焼きは相手を侮辱すると私は言い途中で言葉を自分で遮った。
そして令嬢に背中を向けて今度こそドアを潜った。
しかし背後から荒々しい足音が聞こえてきて、振り返ると令嬢がドアの前まで来て私を睨んでいた。
「さっき言い掛けた言葉は・・・・何?」
飢えた獣みたいな荒々しい息を吐きながら令嬢は問いかけてきたが私は既に冷えたコーンパイプを口から離して・・・・こう言った。
「それを知りたいなら私に言わせてみたらどうですか?”マダム”」
初めて私がマドモアゼルからマダムと言い直したことに令嬢は驚いたが直ぐに皮肉と知った為か、今にも殴り掛かりそうな気を発してきた。
だがジェームス殿の一睨みで大人しくなる辺りは・・・・・・・・
「やはり貴女をマダムとは呼べませんね」
ここで私は最後とばかりに皮肉を述べたが、その後は振り返りもせずジェームス殿と共に玄関へと向かい続けた。
その反面で婦人は魔女みたいな醜く恐ろしい形相を浮かべていたらしいが・・・・・・・・