第9幕:犯罪界のグラウス
示談・・・・・・・・
この言葉に私の語りを退屈そうに聞いていた女性---令嬢と、後ろでビクビクしていたフランクは驚いた。
「ハインリッヒ!示談なんて何の冗談だ!!」
フランクが私の提案した内容に激昂し怒鳴ってきたが、令嬢を護る3人は「やはり」という顔をしていたのが印象深い。
「私が示談を提案するのを予想していたのですか?」
フランクを落ち着かせながら私は3人に問い掛けた。
ところが3人は無言を貫いた。
ただ長年の人生経験から・・・・これが最良という答えを導いたのか身体ごと令嬢に向けた。
『イヴォンヌ嬢。示談を受けて下さい』
「何で私が示談なんて妥協を受け入れなくてはならないのよ?」
3人の言葉に令嬢は明らかに解らない表情を見せながら問い掛けた。
「示談すれば双方の名誉は守られるからです」
殺し屋の男が静かな口調で令嬢の問いに答えたが、それで令嬢は納得しなかった。
「双方の名誉?冗談じゃないわ!私は、あのヘボ詩人が書いた詩文を公表されたら世間から袋叩きに遭うわ!!」
『地方から出て来た田舎者の小娘が青年を誘惑し、そして激しく愛したのに飽きたから捨てた』
「こんな噂が流れたら世間から袋叩きに遭う上で私の夢が粉々に砕かれるわ!!」
「だからこそハインリッヒ旗騎士が提案した示談を受けるべきです。それで多少の金額を取られたとしても貴女が大事にする名誉は保たれます」
何せハインリッヒ旗騎士はこの件を守護騎士団のヴァエリエ分署には報告していないと殺し屋の男は言った。
「つまりハインリッヒ旗騎士が口を閉じていれば示談をしたという内容すら誰も知らないのです」
「このヘボ詩人が言い触らす危険性はあるじゃない!!」
令嬢は殺し屋の男の言葉に飢えた雌猫みたいに噛み付いた。
「その点は確かにありますが・・・・貴女と情事を重ねたという確たる証拠はありません」
つまり・・・・如何にフランクが声を大きく叫んだ所で信じる者は殆ど居ない筈だと殺し屋の男は言った。
「仮に居たとしても”その程度”なら私達で対処は可能です。しかし、事が公の場に出れば如何に我々でも対処できかねます」
それを阻止するのが・・・・・・・・
「ハインリッヒ旗騎士が提案した示談です。何より貴女にも軽はずみな言動があったから今回の件は起こったのです」
この言葉に令嬢は憤怒の形相で殺し屋の男を睨んだが・・・・その自覚はあるのか、拳を白くなるまで握り締めている。
「・・・・マドモアゼル・イヴォンヌ。貴女が御怒りになるのも解ります。しかし、そちらの方が言う通り貴女の言動も今回起きた騒動の原因の一端を担っています」
ただ、それでも私は示談に応じると信じていると私は言い懐に手を入れた。
「ですから・・・・先ずはこちらが誠意を示しましょう」
私は懐から出した革の詩文をマドモアゼル・イヴォンヌに見せた。
それこそフランクが愛情と憎悪を織り交ぜて手掛けた詩文だ。
「ハインリッヒ!!」
フランクが背後から私に掴み掛かろうとしたが私は半身で躱して・・・・詩文に火を点けた。
詩文は忽ち燃え、やがて私の手にまで来たが私は完全に燃えるまで詩文を持ち続けた。
それをマドモアゼル・イヴォンヌと、フランクは唖然とした様子で見ていたが・・・・・・・・
詩文が燃え尽きると2人は正反対の態度を見せる。
マドモアゼル・イヴォンヌは喜び、フランクは絶望に満ちた。
しかし私は喜びを露わにするマドモアゼル・イヴォンヌに言った。
「こちらの誠意は見せました。次は貴女の方です」
今後フランクからは手を引くと証文を血印をして出して欲しいと私は言った。
ところがマドモアゼル・イヴォンヌは冷笑を浮かべた。
「嫌よ。大体・・・・その詩文だけが全部とは限らないわ」
複写した可能性もあるとマドモアゼル・イヴォンヌは冷笑を浮かべながら言った。
「何より・・・・そのヘボ詩人が死ねば簡単に片がつくわ」
「・・・・その言葉は殺人教唆罪に取れますよ」
私はマドモアゼル・イヴォンヌの台詞に眼を細めて釘を刺した。
それは今もドアの外で立っているだろう「馬車に乗って来た人物」の存在に気付いたからだが当の本人は気付いていない為・・・・とぼけた態度を取った。
「あら、そうなの?でも私は知らないし部下も・・・・何の真似?」
マドモアゼル・イヴォンヌが私とフランクの前に立った殺し屋の男に問いを投げた。
殺し屋の男は私とフランクを見てからマドモアゼル・イヴォンヌを見て言葉を発した。
「イヴォンヌ令嬢。ハインリッヒ旗騎士は誠意を見せました。その誠意に応える義務が貴女にはあります」
何より・・・・・・・・
「今回の件は貴女の行動が引き起こした問題です。それなら貴女も自分で片をつけるべきです」
「知らないわよ。私には私のやり方があるのよ」
「・・・・そうですか。ならば致し方ないですね」
殺し屋の男はマドモアゼル・イヴォンヌの態度に肩を落とすと閉じられたドアに声を掛けた。
「やはり貴方様のお力が必要なようです」
『やれやれ・・・・可愛い孫娘とはいえ・・・・こんな事になったんだ。甘やかしたツケを支払う他あるまいね?』
ドア越しに聞こえた声は初老の男性だったがマドモアゼル・イヴォンヌはギョッとした。
しかし、それから直ぐにドアは開きマドモアゼル・イヴォンヌは逃げる暇などなかった。
ドアから入って来たのは初老の紳士だった。
見た目は長身だが痩せ型で、机に座り書物と格闘したのか少し猫背だ。
服装は黒で統一した上着等の下から見える白いシャツが清潔さが厳格な性格を物語っている。
顔立ちも鋭くて大きいが窪んだ瞳、綺麗に剃った髭の無い顎、そして大きな額も知識的な性格である事を物語っていた。
だが心を落ち着かせる効力がある薬草を香水として使っている為か、初対面の人間も安心させるように工夫がされている。
「やぁ、久し振りだね?イヴォンヌ」
老紳士は頂上が平らでクラウンが高い独特の帽子を取るとマドモアゼル・イヴォンヌに頭を下げた。
それだけ取っても礼儀・礼節を弁えた老紳士と見えるが、マドモアゼル・イヴォンヌは直視すら出来ずに沈黙していた。
先程の態度が嘘みたいだが、それだけ現れた老紳士には頭が上がらないのだと私達に教えている。
「やれやれ・・・・久し振りに会う祖父に抱擁もしてくれないとは私の魅力も半減したかな?」
マドモアゼル・イヴォンヌの態度に自嘲した老紳士だが直ぐに私とフランクを見た。
フランクは鋭くて大きく窪んだ瞳にビクリとしたが、薬草の効果もあってか佇まいを正すと無様な姿を詫びながら頭を下げた。
「謝らなくて結構ですよ。元を正せば私の孫娘が原因なんですから」
老紳士はフランクの謝罪をやんわり断り、そして私に頭を下げた。
「この度は私の孫娘が貴方様に大変迷惑を掛けてしまいましたね?」
「いいえ。守護騎士団としてよりも幼馴染みの危機に私が勝手に介入しただけです。それはそうと名前を尋ねても?」
「おおっ!これは失礼しました。私の名はジェームスです。ジェームス・ファン・フィロゾーフと言います」
夢の守護騎士ハインリッヒ旗騎士と老紳士ことジェームス殿は私に挨拶したが、こう言葉を続けた。
「それとも”獅子の水飲み湖の姫”と、”獅子の眠る神樹の姫”に愛された騎士と言うべきですかな?」
「いいえ、そんな仰々しい名前は言わなくて良いですよ」
私は老紳士の台詞に微苦笑しながら答えた。
「ですが事実ではないですか?」
「確かに事実です。ただ、そういう脚色がされた呼び名を私は好みません。それより私の方こそ貴方のような方に会えて光栄ですよ・・・・・・・・」
「3坂の怪紳士」の愛弟子にして最後の正統派大盗賊と言われた「犯罪界のグラウス」の異名を持つ貴方と会えて・・・・・・・・