下須崎来栖は決断する
やっとのことで、脳内を駆け巡る激痛から解放された俺は、気付くと野外に放り出されていた。
周囲には丈の低い草が生い茂っており、見渡す限りの草原が広がっている。俺の位置から50メートルほどの距離に森が見え、反対側には小さく集落のようなものも見える。集落までは300メートルほどだろうか? たぶん、3分も歩けば辿り着ける距離だ。
ふと空を見ると、大小二つの太陽が煌々と輝いている。どうやら本当に、異世界へと転生させられてしまったようだ。
思い返せば虚しい人生であった。
職場では、素直に働くことをいい事に、良いようにこき使われた。
ろくに働かない後輩は有給休暇を全て消化していたというのに、俺の有休は9割が闇へと消えた。上司がいうには、俺は居ないと困るから駄目だが、その後輩は居ても居なくとも変わらないから別にいい、とのことらしい。その癖、給料はたいして変わらないのだ。
俺もよくあんな職場で10年も働いていたものだと、今更ながらに思う。俺が居なくなって、あの後輩も苦労してるんだろうか? そう思うと少しだけ気の毒に思えてくる。
恋愛面でもそうだった。相手を大切にしようと考え、真面目に少しずつ仲を進展させようとしたら、ろくに進展する前に他の男にかっさらわれたのだ。彼女から別れ際に「あなたは真面目でいい人なんだけど、つまらないのよね」と言われたのが、地味にキツかった。
ちなみに、その時かっさらっていったのが職場の例の後輩である。結局その2人も、3ヶ月で別れたらしく、子供が出来ちゃっただなんだと大変だったらしい。しばらくして彼女から、よりを戻そうと持ち掛けられたが当然断った。後輩と〇兄弟になるなんて、真っ平御免だ。
なんかあの後輩が全ての元凶のような気さえしてくるな。そういや、俺がN〇Kの受信料を払ってるって言った時も、俺の事バカにしてやがったな。たしか、俺の事をカス崎だ、ゲス崎だ言い出したのもたしかあいつだし、他にも……小さい事を数え上げればキリがない、俺の同情を返してほしいものだ。
そうそう、言い忘れたが俺の名前は、下須崎 来栖、カスでもゲスでも無く、しもすざきだ。決して読み間違えないでほしい。まあ、異世界に漢字なんて無いだろうし、そう呼ばれることはもう無いだろうがね。
こうして思い出すと、真面目に生きてきて良い事なんて、何一つ無かったような気がする。
そんな俺にこの仕打ちか……。思い出すだけで腹がったってくる、あのクソオヤジめ!
正直者がバカを見るのが現実なのか? いや違うか……俺は正直者ってわけでは無いしな。表向き真面目に生きてきたのだって、結局のところ、型にはまった行動の方が精神的に楽だったからでしかない。
元々がずぼらでいい加減な人間が、無理して真面目ぶっていたのだ。いわゆる真面目系クズって奴だ。そんな俺が、満足な人生など遅れようはずがない。
本来であれば、死んだ後に気付いても手遅れだけど、俺は転生したんだ。あのクソオヤジおかげってのも癪だが、ここは心機一転やり直すのもいいかもしれない。
よし、決めた。俺は真面目系クズを卒業するぞ! そして、一人前のクズとなるのだ!
まともな人間にならないのかって? 無理無理、ぶっちゃけ俺の本性はクズだしな。そんなクズな自分も、嫌いじゃないと思えてしまう程度にはクズ野郎だ。自分の事ながら、自覚がある分、余計にたちが悪いと思うよ。
これまでさんざん建前を言ってきたが、今の俺の本音は「もう仕事行かなくて済むぜ、ラッキー」だ。
残してきた家族もいるが、働いている兄が2人も居るんだ、何とかなるんじゃね? と軽く考えていたりもする。
職場の上司には申し訳ないが、俺が悪いわけでは無い。全てはあの神を名乗るクソオヤジの所為なのだ、と開きなっている、まである。
なんだ、考え方を変えると、今の状況って最高じゃないかよ!
我ながらクズだなぁと思うけど、気分はいくぶん軽くなった。
せっかく、異世界に来たのだ。俺のしたい事をし、生きたいように生きよう。
まずは、そうだ……ハーレムだ、ハーレムを作ろう。あのクソオヤジが望む通りの純愛ネタなどやるものか。
いかんいかん、この体裁を取り繕う癖をどうにかしないとな。クソオヤジなぞは関係無く、俺がハーレムでウハウハしたいからこそ作るのだ。
よし、そうと決まれば行動だ。まずは、現状確認からだな。
とりあえず俺は、装備と所持品の確認を行う。
気になるのは、腰に帯びた刃渡り60cmほどのショートソードだ。俺だって昔は男の子、一度くらい剣を振ってみたいと思って事はある。
試しに剣を抜いて、軽く振ってみると思った以上に重く、身体が流れてしまって素振りすらマトモに出来なかった。
あのクソオヤジの言う事はマジっぽい。少なくとも身体能力に関しては生前と同じで、チートのチの字も感じられない。
身に着けているのは厚手の服と、革の鎧というより、革のプロテクターといった方が良いような、身体の要所のみを守るような物だった。下着も身に着けていたが、荒い生地の所為か、肌に触れた場所がチクチクと気になる。
ちなみに、服と下着の替えは、肩掛けザックの中に1式入っていたし、一緒に水と食料も3食分ほど入っていた。
最後に腰に括り付けられている皮袋を確認すると、銅貨と銀貨が入っていた。
銅貨は10枚、銀貨は大きめのが10枚、に小さめのが10枚だ。クソオヤジに植え付けられた常識によると、小さめな銀貨は小銀貨と呼ぶようだ。
それぞれの価値は、銀貨1枚=小銀貨10枚=銅貨100枚となっている。日本よりも貧富の差が激しい為、一概には言えないものの、庶民感覚では銅貨1枚がだいたい100円ほどの価値らしい。
今の俺の所持金は、11万1000円くらいってことだな。
まあ自分でなんとかするよう言ってたあのオヤジの事だ、最悪は裸で放り出される可能性もあった。それを考えれば、今の状況は決して悪くないと思えた。
次はお約束のステータス表示だ。一応、一般常識的には自分で見ることはできないようだが、この程度のテンプレ能力はあってもおかしくないはずだ。
俺が『ステータス表示』と心の中で念じると……、
うん、何も起きない……これじゃなかったか。
ならばと『ステータスオープン』『メニュー表示』などなど、思いつく限りを試してみる。
ダメか……だが諦めるのはまだ早い。諦めたらそこで試合終了だって、偉い人も言ってるしな。
「『ステータス表示』! 『ステータスオープン』! 『メニュー表示』! …………」
心の中で念じたのと同じことを、一心不乱に声に出して叫び続けた。
結果、ステータスはやっぱり出なかったが、出てきたのが他にある。
『◇◇◇◇◇◇◇◇、◇◇◇◇◇!』
こちらに向けて槍を構えた、若者たちだ。
『△△△△△△△△△△△△!』
うむ、さっぱりわからん。つうかあのクソオヤジ、言葉はなんとかするって言って無かったか?
『□□□□□□□□□□□□、何者だ?』
最後だけ短かったから、どうにか聞き取れた。
なるほど、これはあれだな。英語をいくら日本で勉強しても、ネイティブの発音に慣れないと、海外では通用しないってのと一緒か。
いくら知識が有っても、慣れないと使いこなせないって事か……ファンタジーならもちっと融通を利かせられないのかよ。
どうやら、マジでチート無し転生らしい、これは「仕事無くなってラッキー」なんて思ってる場合じゃないな。
『▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽!?』
ああうん、頼むからもっとゆっくり喋ってくれ……。