第一章 「女なんて嫌いだ」
僕が何をすると思って近寄るなと言ってきたかはわからない。小刻みに震えてる様子を見ると、僕に暴力を振られるとでも勘違いしたんだろう。
いや……今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
「悪いんだけど、匿ってもらえないかな。そうしてくれれば僕は君に何もしないから。頼む! この通り!」
僕は床と平行になるまで頭を下げてお願いした。
下手したら犯罪者かなんかに思われかねない言い回しだったけど、そこは相手の感性に委ねるしかない。うん、きっと大丈夫だ。
「あ、あの」
上から遠慮がちな声が降ってくる。
「その……頭上げて下さい」
僕はその言葉に従い頭を上げた。
しかし、目を合わせようとしたら女子生徒はサッと顔を振り俯いてしまった。
早く隠れないといけないのに、これじゃ自分で探すしかない。
いくら不人気スポットといえ、中に入られたら他の教室と同じくまともに隠れる場所があまりないから見つかってしまう。
くっ……掃除用具箱にでも隠れるか。
そう思った時、
「こっち、です」
そう言って先程の女子生徒はおどおどしながらも僕を誘導してきた。
そのまま着いていくとカウンターで仕切られた向こう側の壁にドアがあることに気が付いた。
そのドアを女子生徒は指さした。
「今は図書の先生がいないから……そこに隠れてください」
どうやら司書の部屋のようだ。なるほど、やはりこの人は図書委員なんだな。助かった。
「ありがとう!」
今は隠れるのが先決。ちゃんとしたお礼はあとだ。
僕がその奥へ入りドアを閉めたすぐあと、図書室の方が少し騒がしくなった。どうやら追っ手の何人かがここを探しに来たのだろう。
「あなた図書委員だよね。ここに誰か人来た?」
誰かがあの図書委員に質問しているのが聞こえる。ある意味都合がいい。
「えっと、誰も……」
「ホントに? 東海林君とか来てたりしない?」
「は、はい」
やっぱり僕が目的か……
「でもさ、もしかしたらあなたが東海林君を独り占めしてる可能性もあるじゃん」
別の一人がしつこく問い詰める。
「いや、そんなことは……」
対する図書委員の方は押しに弱いのか反応する声も辛うじて聞こえるほどか弱い。
好ましくない方向に事が進むことも考えて、ここを出た方が良さそうだな。
帰りのHRが終わってすぐに追いかけられたせいで教室に鞄を置き忘れてしまったままなのは大きな失念だったけど、幸いここは一階。
「……ごめんね、優しい図書委員さん」
僕は静かに言って廊下へ退出した。
急いで外履きに履き替えて家に帰ろう。鞄は……明日でいいや。
=====
事の発端は一つの噂話。
『新しくできた駅前のケーキ屋で同じものを食べると結ばれる』
そんな他愛のない在り来たりな噂話を信じてしまうのが年頃の女というものなのだろうか。僕は男だからよくわからないけど。
その噂話で大変な思いを受けてるんだからたまったもんじゃない。
どっから根も葉もない噂が出て来るのか。それにたかがその程度じゃ男が学校で追われるほどには普通ならないはずなのに。
原因は……僕の方か。
昔の――小学生の頃の僕は年齢不相応な肥満児だった。
元々太りやすい体型だったのに加え、あまり外で遊ばなかったせいでどんどん丸くなっていった。
集団心理が強い小学生の間では、人と違う物事は見た目だけでもいじめの対象になってしまう。明らかに太っていた僕も例外ではなかった。ただ僕の場合は、いじめてくる人たちがだいたい女子だったけど。
ものが無くなるとか嫌な物事を押し付けられるとか、そういった嫌がらせというよりは単純に太っていることを罵られることが多かった。
だいたいクラスでモテていたのは運動が出来る爽やかでかっこいい男の子。
女子にとっての人気者であるそのかっこいい男の子たち「と違って東海林は……」と続く中傷発言は当たり前。
酷い時は僕本人を目の前にして、
「こいつのこと好きなやつなんか絶対いない」
「こんなデブの恋人になるくらいなら死んだ方がまし」
等々女子同士で会話してきた。
もちろん、悔しかった。ただ太ってるだけでそこまで言われるのは辛抱ならない。
だから、僕は決意した。
頑張って痩せて、今までボロクソ言った女子たちを見返してやると。少しはアリなんじゃないかと思わせてやると。
実際に僕はBMI適正体重にまでに痩せることに成功した。成長期に運動によって痩せたため身長も伸びてきたこともあり長期間かからなかったことは大きい。
しかし、ただ見返してやりたかっただけなのに、結果は期待以上の……ある意味では期待を裏切る形となった。
どうやら、痩せた僕は女子の目からかつての「爽やかでかっこいい男の子」の一人に見えたらしい。
散々見た目で罵ってきた女子たちが痩せた途端手のひらを返すように僕を恋愛対象として話しかけてくるようになった。
死んだ方がましと豪語していた女子でさえ気が付けば顔を朱色に染めながら僕に告白する始末。
女子に男として見てもらえない人間なんだな、ってわかってはいても僕だって普通の少年。
女の子に好意を持たれたいっていう気持ちはちゃんとあった。
だから、せめて中身だけでも受け入れられようと真面目に生きてきた。これでも人より親切に行動してきたつもりだし、運動ができない分勉強で頑張ってきた。
でも、そんな努力も気持ちも全てどうでもよくなった。
結局……見た目なんだな、と。
高校生になった今では一週間に最低一回は告白を受けるし、体育祭とか何かのイベントの際には翌日の下駄箱がラブレターで埋まることも当たり前になってきた。今時ラブレターなんて書く人がいること自体驚きなのに。
もう一度太ってかつての『女子に男として見てもらえない』人間になろうとも思った。そうすればきっと昔みたいに女子から嫌われる日々が戻ってくるはず。
しかし、痩せるために行ってきた運動という習慣はなかなか変えることができない。身体が身に着いたせいでやらないと違和感を感じる。
それに今日みたいに追いかけられることもそれなりにあったし、元々よく食べるわけではなかったから尚更太ることができなかった。
ただの自慢話にできるなら是非ともそうしたいものだ。普通の人なら羨ましいポジションだって自分自身でもわかっている。
……かつては僕だってその普通の人だったから。
「……女なんて嫌いだ」
=====
次の日。いつものように朝のHRが始まる一時間前に学校に登校する。もちろん素直に教室に行ったら意味がない。
さて、今日はどこで時間潰そうかな。
昨日は体育館裏の人目の付かない壁に寄りかかって座りながら本読んでたし、今日は誰も使ってなさそうな教室見つけて――
本、か。
昨日の放課後の出来事が頭に浮かんだ。
そういえばあの図書委員にお礼をしないと。
名前を教えてないし聞いてもいないけど、もしかしたらと思い図書室に向かった。
流石は不人気スポット。放課後でさえ利用する人が少ないだけあって、朝は人の気配すらしない。
でも、目的の人物はちゃんといた。
「おはよう、図書委員さん」
「あっ……」
相手は僕を見るなり困惑した顔で視線を右往左往してた。
たまに視線が合うと慌てて俯き、またそーっと俺の方へ視線を向けようとしている。
なんだこの生き物は。
まあいいさ、手早く用件を済ませよう。女から救ってくれた女にお礼を言うのはなにか不思議な気分だが助けてもらったことは事実。
「昨日はありがとう。おかげで助かったよ」
「いえ、大したことはなにも、してないです」
「いやいや、本当に助かった」
「そう、ですか」
少しだけ嬉しそうにしてくれたものの、僕と目が合った途端また視線を外されてしまった。
この様子は、僕が気になるというよりは僕から避けたいような、そんな消極的な感情が見て取れる。
カウンター越しでも反応は昨日と変わらない、か。
「そうだ、名前言わなかったね。僕は二年五組の東海林祐一」
まぁ、女子ならきっと僕のこと知ってるよね。
「知ってます」
ほら。
「去年同じクラス、でしたから」
「え?」
素で聞き返してしまった。
「えっと、ごめん。君と初対面だと思ってたよ」
とんでもなく失礼なこと言ってるのは充分理解してる。去年一年間一緒のクラスだったはずの人物の顔が思い出せないのが情けなった。
それが例え嫌いな異性の人間であったとしても。
「気にしないでください……私、影薄いですから」
そういう図書委員の顔はショックで歪んでいた。
「あ、あはは」
苦笑いしかできない……
「私は……二年七組、長田七瀬です。一応、図書委員やってます」
「長田さんか。うん、覚えたよ」
そういえばそんな女子が一年の時にいたような、いなかったような、やっぱり覚えてないや。
「そうだ、長田さん。何かお礼させてよ。迷惑もかけちゃったしさ」
「お礼……ですか」
「そう。僕に出来ることならなんでもいいよ」
なんでも。実際なんでもするつもりは毛頭ない。
流石にこれで例のケーキ屋さんに一緒に行ってくださいとか言わないと思うけど、万が一言われたら困る。
「じゃ、じゃあ」
長田さんが遠慮がちに口を開く。
「もう、係わらないで、ください」
=====
「よう、昨日は大変だったらしいな」
朝のHR終了後、僕の後ろの席に座っている人物が俺の肩に手を置きながら話しかけてきた。
「まあね。いつものことだよ」
「ケッ、流石は高校のミスター王子。羨ましい限りだぜ」
彼は僕の古くからの親友、行川千左夫。
僕が昔太っていたことを知ってる数少ない友人。地元から少し離れた高校に入学したため僕が最初から今の見た目だと思ってる人が多い中、昔の自分を知ってるというのはすごく嬉しいし、頼りになる。
厳つい風貌で体格もしっかりしてる千左夫は周りから恐れられてる節があり、そのおかげで千左夫と話してる時は女子も僕に話しかけてこない。
だから、僕は千左夫と一緒にいる時が学校で一番落ち着く。
「たまには、僕の代わりに華のJKに追いかけられてみるかい? 君もきっと辟易するよ」
「俺なら逃げずに全部受け止めてやるさ」
「千左夫ならいけそうだね」
「ああ、いろんな意味でな」
「こらこら」
変な方向に話を広げようとする親友を咎めた。
それにしても、さっきの長田さんの発言が気になる。
係わらないで、か。
今の僕にそんな突き放すような言葉を向ける人がいなかった分、僕の中で長田さんのことが気になっていた。
もちろん、好きとか嫌いとかそういうことじゃない。
もし彼女が昔の僕を見たらどういう事を言うのか。今の僕の何を見て避けようとするのか。
それが知りたいあまり僕はもう一度長田さんと話す機会を望んでいた。
「おい、祐一。どうしたんだよ」
「あ、いや。何でもないよ」
僕は笑ってごまかした。
ケーキ屋の噂はまだ消えてないようで、その証拠に帰りのHRで僕の方を見てくる女子がたくさんいた。みんなすごく目が輝いていた。
しかし昨日と同じことにはならない。
何故なら僕は今日掃除当番だからだ。しかも担当は男子トイレ。
流石に男子トイレにまで誘いに来る女子はいないはず。
放課後になって千左夫と一緒に担当の男子トイレへと向かう。
理科室とか音楽室とかがある放課後は大して人気がない第二校舎にあるとはいえ、トイレは場所に適った汚れ方をしていた。
「トイレの掃除とか汚くてやってられぇな」
単にめんどくさいだけの千左夫が悪態を漏らす。
そのあと変にニヤついて僕の方を見てきた。
「へっ、トイレだけに漏らすってか」
「自分で言っちゃダメでしょ」
「うるせぇ、どうせ突っ込んでくれないだろうから自分で言うしかないんだよ」
「あ、うん。ごめん」
最初から言わなければいいのに。
「でも、僕はトイレ掃除好きだよ」
女子が入って来れないし、女子に追いかけられるよりかは格段にまし。
「物好きな奴だな。女は嫌いなのに」
「ホントだね」
僕が女嫌いであることを変に気にして言動を制限しない千左夫にはホント感謝しきれない。
「千左夫はこれから部活だよね」
「もちろんだ」
「じゃあもうすぐ終わるからもう千左夫は行っていいよ」
「まじか。悪いな祐一」
「いいって。僕はこの後何もすることないし」
「そういうことなら、先行くぞ」
「うん。部活頑張ってね」
千左夫の逞しいうしろ姿を見送ったあと、残る便器の掃除に取り掛かった。
今は六月半ば。夏の大会を控える運動部にとってみればもっとも大事な時期とも言える。千左夫が所属する野球部は甲子園に向けて一際練習に熱が入ってるらしい。
僕も部活はいればよかったかな。一応体育のレベルならいろんなスポーツできるし。
でも、部活に入ってまでやりたいスポーツもないし、かといって文科系の部活はだいたい女子がいるから入りたくなかった。
結局、帰宅部が一番気楽で無難かな。
最後の便器を掃除し終えて、掃除用具をトイレ内の指定の場所に戻していた時、
「ちょっといいかしら」
あろうことか、男子トイレに女子が入ってきた。




