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田中『その(言葉の)パンチで世界を目指してみないか』

 ……数分後、暴力による一方的な交渉の終結がなされた。


 被害者が横たわる側で、いくらなんでもやり過ぎたか、と加害者は反省するのであった。


「済みません、やり過ぎでした田中さん……」


「……君は、何か武術でもやってるのか……?」


 そう問わざるを得ない、被害者のはじめ。


 はじめが強引に脇を通ろうとしたその時、少女はそれを激しく拒否した。通ろうとする度に放たれた技のキレ、速度、そして威力。それらはどれ一つを取っても、外見から導き出される少女の年齢的・性別的平均値を大きく上回っていた。


 空腹をしのいだとはいえ、気絶するほどの飢餓を体験した直後の身体では、そんな少女と渡り合うことは不可能だった。


「はい、実は」


 はじめの問いに、少女は胸に手を当て、心なし斜め下にうつむく。


「剣道を少々」


 女だてらに男を打ち倒した己の猛々しさを恥じらったのか、少女はわずかに頬を朱に染めていた。


「剣道かっ」


 倒された後、布団に寝かされていた身体の上半身を跳ね起こし、少女を睨むはじめ。


「……どうかしましたか?」


「いや……」


 はじめは何かを口ごもり、少し考える態度を取る。


「田中さん?」


 呼び掛けられ、思考の海から浮上すると、はじめは決意を秘めた瞳で少女を見つめる。


「なあ。君が剣道をやってるなら……」


 その時、まず家の中に呼び出しのチャイムが大きく、次いで、訪れた者が告げた自己紹介の声が響いた。


「吉川さん、喜多島でーす」


 はじめは言葉を途中で切り、その場に立ち上がる少女。


「あ、ダメです田中さん」


「ダメじゃないっ。俺はいいっ」


「ダメです」


 少女の顔は険しい。


「さっき、勝ったのは私です。負けたんですから、言うことを聞いてください」


「別に賭けてた訳じゃない!」


「とにかくダメです」


 不毛なやり取りが再び開始されようとしたその時、玄関からまた声が聞こえた。


「吉川さーん」


「はい、どうぞーっ。開いてますから、入ってきてくださーい」


 その場を離れれば逃げ出すと見抜いたのだろう、少女ははじめを見据えながら玄関に向けて叫ぶ。


「いけないぞ吉川さん、お客様はちゃんとお出迎えしないと」


 はじめは頭を左右にふりふり言った。


「それもそうですね。じゃあ一緒に行きましょう」


 その発言をさわやかに微笑んで返す、はじめ言うところの吉川さん。


「いや、俺はこの家の者じゃないしな。遠慮しよう」


「ごまかそうったってダメです」


「やあ愛美ちゃん、こんにちは」


 そんな、真剣だが滑稽で不毛なやり取りをしている二人のところに、ボサボサ髪の男が医師のそれと分かるカバンを持って部屋に入ってきた。


「あ、はい。いらっしゃい、先生」


「久しぶりだね。元気かい?」


「はい、先生に久しぶりと言われるくらいには」


 すると先生と呼ばれた男は、大口を開けてカラカラと笑い出す。


「違いない。私と久しぶりなのは良いことだ」


 愛美が先生と呼んだ男がそう言ったのと、部屋の中に激しい音がたったのが同時だった。


「でも、先生とお会いすること自体は、嬉しいですよ」


「その割には遊びにきてくれないね。まあ、お世辞くらいに受け取っておこうか」


「もう、先生ったら相変わらず。病院に、遊ぶこと目的には行けませんよ」


 二人の足元で何かが踏みにじられる音とともに、愛美は微笑んだ。


「いや、遊びにきてほしいな。君は特に」


「考えておきます。それより、病人を見てもらえますか?」


 ジタバタとしている青年を手で指し示して紹介する愛美。


「足蹴にされるのを喜ぶ病気の人かい?」


「そんなところです」


「それはちょっと、ぼくの専門外だなあ……」


「そんな訳ないだろっ」


「いや、嘘じゃない。僕は真っ当な医者でね、そういう方面は……」


「否定したのはそこじゃないっ! いやそれより!」


 逃げようとしたところをすっころばされて激しい音を立て、それでも這って逃げようとしたところを愛美に踏みにじられてジタバタしていたはじめが、声を荒げ、愛美の足から逃れて立ち上がる。


「何か!? 病気か怪我かも知れずに医者に見せようという人間を、すっころばして足で踏みにじるような教育を受けてきたのか、君は!?」


「逃げようとする田中さんが悪いんです」


「だからって転ばして踏むのか!?」


「仲睦まじい会話はまあ、そこまでとして」


「あんたの目には、今のが仲睦まじく見えたのか!?」


 先生が間延びした口調で告げる。はじめは発言は無視された。


「そっちの少年かい? 見てほしいのは」


「少年じゃない」


 ムッと顔をしかめて、はじめは先生を睨んだ。


「女の子の茶目っ気にいちいち怒っている間は、少年さ」


「すっころばして踏みにじるのを茶目っ気と言うのか?」


「道端で倒れていたそうだね? 診察を始めようと思うんだが」


「聞いちゃいねえ」


「さあ、そこに座って。上半身はだかになってくれるかな?」


「断る」


 はじめは壁際に後ずさりした。


「俺は診察をしなきゃいけないほど身体は悪くない」


「身体の悪くない人は倒れたりしないよ」


 先生の言い分はもっともだったが、はじめの感銘は得られなかった。


「見ろ、俺のこの健康な肉体を」


「おお、見事なヒンズースクワットだ」


 突如運動しだしたはじめを、先生は穏やかに拍手した。


「さ、気が済んだところで診察しようか」


「俺は空腹で倒れただけだっ。診察の必要はないっ」


 言うと、はじめは先生の脇を走り抜け、部屋から逃げ出そうとした。


「ダメです」


「アウチ」


 激しい音が、部屋の中に響き渡る。


「よし。布団の上に運んで」


 竹刀の跡を顔面にクッキリと刻み、アメリカナイズな叫びと共に倒れたはじめを、愛美と先生は肩と足を持って布団の上に運んだ。






 夕方。


 吉川家の人口は、吉川家縁の者と縁なき者とで、人口数二分の一ずつになっていた。


 その、総人口の半数を占める、吉川家に縁のない方は、強烈な竹刀の一撃からようやく目を覚ましていた。


 言葉でない声を低く唸り、布団から上半身をゆっくりと起こし、背を伸ばす。


「目が覚めましたか?」


 その青年に、総人口の残り半数、吉川家ゆかりの者が穏やかな微笑みを向けていた。


 窓から差し込む赤い夕暮れの日差し。その中で、たおやかに微笑むおさげ髪の少女。


 ある種幻想的なそんな風景を見て、しかしはじめはまるで感傷的になることなくその少女を睨みつけた。


「酷い人だな君は」


「……感謝して欲しいとは言いませんが、自分を介護した人間に対する開口一番がそれですか」


「嫌がることを強いる、すっ転ばす、踏みにじる、竹刀で殴る。差し引きでマイナスにぶっちぎり大爆走だとは思わないか?」


「いいえ全然」


「あっさり答えおるな、しかし」


 いやそうではなく、と、気を取り直すはじめ。


「もう少し、穏やかに物事を進められなかったのか?」


「田中さんが悪いんです」


 悪びれることなく断定してのける愛美に、はじめは目を丸くした。


「……俺のどこが悪いって?」


「みっともなかったところです」


 はじめの口が開いたまま塞がらなくなった。


「たかが診察くらいで、あの取り乱しよう。みっともなかったです。男らしくありませんでした」


 あくまでも穏やかに告げてくるところが、逆にそら恐ろしかった。


「……ずいぶんとはっきり言うんだな、君は」


 想い人に好意を告げられた瞬間であるかのように、愛美は首を傾げて微笑んだ。


「曖昧なことは大嫌いです」


「……君は俺を男らしくないと言うが」


 はじめは、このように言われたままではあまりに情けなかったので、せめて少しでも反撃しようと試みた。


「そういう君は、全然女らしくないんじゃないか」


 はじめは、自分が男尊女卑だとは思っていない。いないがしかし、相手が自分に『男らしさ』を追及してくるのであれば、相手にも『女らしさ』を求めていい筈だと思った。


「そうですね。全然女らしくないのでしょう」


 精神的打撃を与えるために放ったはじめの言葉のジャブは、しかしあっさりと受け流された。


「でも、女らしくなるための努力から逃げたことはありません。田中さんのように、猫に追われた窮鼠のごとく、女の子に手を上げてまで逃げだそうとするような卑劣で無様でみっともない真似は、一度だってしたことありません」


 放った言葉のジャブを、もはや物理的な衝撃すら備えたかと思えるようなメガトン級のストレートでカウンターされ、はじめは起こしていた上半身をパタリと布団の上に倒した。


「あら? どうしました田中さん」


「姉ちゃん、ええパンチもっとるやないけ」


 何故か怪しげな関西弁だった。


「そうか……俺は男らしくないか……」


「少なくとも、先は」


「そうか……」


 はじめは、寝返りを打つことでそっぽを向いた。


 一食の恩を考えれば、あまり派手に恩人に噛み付く訳にもいかない。はじめとしてはこれ以上傷口を深めないように振る舞うしかなかった。「ふて腐れるなんて男らしくない」と言われてはかなわないので、ばれないように内心でふて腐れたのである。


「ふて腐れるなんて男らしくないですよ」


 無駄な努力だった。


「いや、少し気分が優れなくなっただけさベイベー」


 何とかごまかそうと必死になってみた。


「軽い言葉でごまかすのはもっとも男らしくないと思います」


 傷口が広がっただけだった。


「どうすればいいんじゃー!」


 ぶち切れて見た。


 目をつむってため息をつかれた。


 いっそなじられた方がよっぽどマシだった。


「男らしくなるため、今後は一層の努力と研磨を惜しみません」


 卑屈になって頭を下げてみた。


「立派です、田中さん」


 愛美は胸の前で両手を会わせ、瞳を夢見る乙女のように輝き潤ませた。


 大切な何かを失ってしまったような気がした。


 はじめは、これ以上自分が崩れないためにも頭の中の予定表に“一刻も早くここから立ち去る”と刻んだ。


「私、そろそろ夕飯の準備をしてきます。何のおもてなしもできませんけど、せめてお食事だけでも食べて行ってくださいね」


「お世話になります」


 行動予定表に、ご飯を食べた後で、と付け加えられた。




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