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使用人から見たニケ

 メルは、奉公先である伯爵家に仕えてもう二年になる。

 行儀見習いを兼ねた奉公としては、そろそろ辞め時かというところだろう。

 メルの生家は子爵家で、伝手でこの名門と言われるネグロペルラ伯爵家に侍女として行儀見習いに来ていた。


 奉公といっても行儀見習いを兼ねているために、身の回りの世話をする下女が専属ではないが付いているし、自ら汗水垂らして働くようなことはほとんどない。メルの仕事といえば奥様――つい最近大奥様となった方の身の回りの細々としたことをしている先輩侍女の補佐や、ちょっとした手配くらいだ。

 大した仕事もなく、行儀見習いでもあるために給金のようなものはほとんどないが、どこもこのようなものだろう。王宮に行儀見習いとして上がる時もこのようなものだと聞いたことがある。

 王宮や名門貴族に行儀見習いとはいえ侍女や女官として務めあげたとなれば、婚姻の際に箔がつく。

 メルが奉公しているネグロペルラ伯爵家は家格もさることながら大奥様である方が、若い頃に社交界の華と持て囃され今もなお美貌を誇る『黒姫』であり、その大奥様が礼儀に煩く使用人の躾にも目を光らせることが広く知られている。そのために王宮務めが望めるほどではない家の令嬢にはまずまずの奉公先だと囁かれていた。


 これで当代の伯爵家当主であるアルトゥーロ様が未婚であったなら、その価値は令嬢達の間で跳ね上がっていただろうとメルは思う。


 つい先日病を得た父から家督を相続したアルトゥーロ様はまだ若く容姿端麗、名誉ある近衛軍の隊長を務めあげている実力の持ち主だ。しかも国王陛下の覚えもめでたく、陛下の従兄でもあるフーランジェ公爵家のリュシオン様とも幼なじみの間柄だ。

 二年ほど前に早々に結婚されていなければ、今でも極上の嫁ぎ先と令嬢達に目されていただろう。

 それが近衛隊隊長となり、さほど間を置かずの突然の結婚。

 婚約期間も短いそれは、令嬢達の間に悲嘆をもたらした。実力を伴っての昇進と分かり、これから今まで以上にそういった話がアルトゥーロ様のところに舞い込むだろう、といった狙い目の時期にさっさと結婚されてしまっては、年頃の令嬢も泣き寝入りするしかない。

 今十六歳のメルにしてみれば十歳近く年が離れているのでアルトゥーロ様はそういう対象とするには微妙だが、五歳年上の従姉はアルトゥーロ様の結婚に悔しそうな顔をしていたものだ。


 ――そんな顔をしていた原因の一つは、アルトゥーロ様の結婚相手が従姉やメルよりも家格の低い、男爵家の出であったのも大きいと思う。


 公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

 貴族の家格としてはこの五つが主だ。異国には辺境伯といった地位もあるらしいが、この国ではだいたいこの五つが家格とされている。

 その中でも男爵家は貴族としては最下位の家格で、裕福な家もあるが、貧しい貴族とは名ばかりの家まで様々だ。没落した貴族など珍しくもないが、男爵家にはそういう家が目立つのもまた事実だった。


 奥方様――アルトゥーロ様の正妻であるニケ様はそんな男爵家の中でも没落したと称されてもおかしくないような家の出なのだ。


 二人を結ぶ縁はニケ様の父がアルトゥーロ様の昔の上官だったというそれだけで、他に学友だったとか幼なじみだったとかそういうことはない。

 ニケ様自身、社交界にはほとんど姿を見せない人で、その名を知っている人はメルの周りにもほとんどいなかった。結婚に憤慨していた従姉も『誰なのかしら』と零していたくらいだ。


 そんな二人が婚約――結婚するとなった時にはこの伯爵家自体も大層驚いたという。

 メルが先輩侍女から聞いた話になるが、結婚を言い出したのはアルトゥーロ様で、家令はおろか大奥様でさえもそういった――結婚に至る関係の令嬢がいるとは知らなかったらしい。

 確かにアルトゥーロ様は仕事熱心な方で、高位の貴族の間ではそうおかしなことでもない女遊びというものを全くと言っていいほどされてこなかった。

 そんなアルトゥーロ様が結婚、ということで屋敷はとりあえずめでたい話ではないかと思おうとしたらしい。


 ところが、ニケ様の父が大旦那様――大奥様が毛嫌いする夫のこれまた昔の部下であったことが事態をさらにややこしくしたらしい。

 この結婚が大旦那様の差し金ではないのかと勘ぐった大奥様の機嫌は地に落ちた。――もっとも使用人達からしてみれば大奥様と同じく実の父ながらも大旦那様を嫌っているアルトゥーロ様が、みすみすそのいいなりになることはないだろうと思っていたらしいのだが。

 ともかくそんな中で婚約と婚姻が滞りなく結ばれ、ニケ様は晴れてアルトゥーロ様の妻となった。


 そして今まで二年間、ニケ様は屋敷でひっそりと暮らされていた。

 ――そう、ひっそりと、だ。


 普通伯爵家の奥方に収まったのだからもっと権勢を振るうとか贅の限りを尽くすだとかそういう風に振舞ってもおかしくはないと思うのだが、ニケ様は本当にひっそりと日々を過ごされておいでだった。

 大奥様を立てるにしてもほどがあるだろうという遠慮っぷりに、行儀見習いに来ていたメルのような立場の侍女達はぽかんとしてしまったものだ。

 古参の侍女達は何か思うところがあるのかもしれないが、メル達はいずれ家に戻ってどこぞの貴族と婚姻を結ぶことが分かっている分、一種の気楽さがある。

 そんなメル達からしてもあまりにひっそりとしたニケ様の暮らしぶりには首を傾げるものがあった。


 侍女を使うこともなく、いつの間にか自分で全てやってしまい、友人を屋敷に招くといったこともほとんどない。時たま友人や実家を訪ねていくことはあるが、それも年々少なくなっていた。

 見事な刺繍を施した手巾などが、贈られることも使われることもなく部屋の引出の中に溜まっていっているのをメル達は知っている。

 栄華を誇る名門に望まれて嫁いだとは思えないその暮らしぶりに、なぜアルトゥーロ様はニケ様をめとったのかということが一時期メル達の間では話の種になった。


 アルトゥーロ様は仕事が忙しいのかなかなか屋敷には戻られない。

 家格の違うニケ様が嫁いでこられて頼れるのは夫であられるアルトゥーロ様だけなのに、とはニケ様に同情的な友人の言だが、メルもそう思う。

 貴族の女にとって、格上の相手に望みを伝えることがどれほど難しいことか。伯爵夫人になったとしても元が男爵家の出であるニケ様にとっては、侍女に命令するにしてもそれはし辛いはずだ。何せ侍女の中には子爵家の出であるメルのような、結婚前のニケ様にとっては格上の相手であった者がいるのだから。

 メルなど自分がニケ様だったらと想像して身ぶるいがしたものだ。






 そしてメル達から同情を寄せられているなど知りもしないであろうニケ様に転機が訪れたのは、つい最近のことだった。


 将軍であった大旦那様が倒れ、一線を退くことになった。

 そこで問題になったのが、大旦那様と大奥様を始めとした屋敷の使用人達との不和だ。

 成り上がり者だと大旦那様を嫌う大奥様や古参の使用人が多いこの屋敷では療養が必要な大旦那様の世話を買って出る者はいなかった。メル達も行儀見習いに来ている以上、そんな大役を仰せつかるわけにはいかない。

 ――そんな中、何故かニケ様がその役を務められることになった。

 家督の相続に伴って部屋の移動と改装が行われ、大旦那様は屋敷を避けてか同じ敷地にあるとはいえ、ほぼ独立したこじんまりとした離れに移られることになった。ニケ様も今まで大奥様が使っていた部屋を譲られたが、大旦那様の世話のために普段は離れの方で居住されているらしい。

 甲斐甲斐しく大旦那様の世話をするニケ様を見て、侍女でもあるまいに、と古参の侍女が漏らしていたらしいのは見習い仲間の証言だ。


 それだけでなく、アルトゥーロ様がある日突然連れ帰って来られた獣人の子供をもニケ様が面倒を見られることになった。

 獣人といっても愛玩用の可愛らしい獣人ではなく、まさしく『獣』といった風体の子供で、身綺麗にするよう言いつけられたメル達見習い侍女はその子供に暴れられて散々な目にあった。

 だというのにニケ様はあまつさえその子供を自身の養子にまでされたらしい。

 古参の侍女達はこれにもまた色々と言っていたらしいが、メル達の間ではよっぽど今まで寂しかったのだろうという話になった。

 頼みの夫は仕事ばかりで、子もなく、肩身の狭い日々。

 それは獣人であっても慰めにしたくなるというものだ。

 そんなニケ様の状況を知ってか知らずか、あの獣人の子供もニケ様と大旦那様には大層な懐き具合らしい。

 またあの子供には近付きたくないが、よくやってくれたというのがメル達の見解だった。


 ――そうして、離れは三人の住人を得た。







「……あの子供、白かったのね」


 遠目に庭で遊ぶニケ様の獣人の子どもを見て思わずそう口にすると、メルは踵を返した。

 メルはじきにこの屋敷を辞して家に戻る。

 きっとその日はそう遠くはなくて、そうなったらこの屋敷に来ることなどほぼないだろう。


 けれど、メルは思う。


 物語のように、皆が幸せになればいいと。

 幸せそうな顔をするニケ様の笑顔が、壊れなければいいと。

 静かで穏やかな離れの日常が続けばいいと。


 だからメルは今日も、箱庭のような離れを遠目に見て、また踵を返すのだ。



 End.


◆◆◆◆

思わず長い話になりました…

使用人から見たニケというより、使用人から見た一連の流れといった感じに……

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