夫とカマルの出会い
ぴちゃん、ぴちゃん、とどこからか水の滴り落ちる音がしているのを、子供はおぼろげな意識の中で聞いていた。
檻に入れられ、暗いところに置かれるようになってもうどれくらいの月日が流れたのか分からなかった。
もう何日、空を見ていないだろう。
もう何日、太陽の光を浴びていないだろう。
もう何日、まともな食事を与えられていないだろう。
衰弱していく子供に残っていたのは『人間』に対する警戒心だけだった。
たまに出される食事にも手を付けようとはしなかった子供を『人間』達は疎ましがり、乱暴に扱った。
それでも子供の目から、鋭い光が消えることはない。やせ細り手足に骨が浮き出るような脆弱な体でも、子供は『人間』達に牙をむき続けた。
捕まってすぐの頃は、『何か』を待っていた。
けれど今はもう、その『何か』が何であるのかも子供は忘れてしまった。
――目の前の『人間』達に、牙を向けるのが全てだった。
その日も、いつもと同じく子供は檻に入れられ、情けだとでもいうように与えられた粗末な布で寒さを凌いでいた。
暗いその場所はいつだって冷えていたが、たまに来る『人間』が火を入れるとあっという間に熱くなる。その日は火が入れられることはなく、子供も、他の子供も地面から這い上がってくるような寒さを必死にこらえていた。
檻に入れられているのは子供だけではなかったが、他の子供はいつも次々と入れ替わっていった。大抵は子供とそう年の変わらぬ子供で、『かかさま』や『ててさま』や『かあちゃん』や『とうちゃん』と呼びながら泣いてはそう泣きさけぶ体力もなくなり、いつの間にか『人間』達に運ばれてどこかに消えていった。子供はいつも残され、この場所に一番長くいる『獣人』だった。
その日は、妙に『人間』達の機嫌が良かった。
「これでやっとこのガキも売り飛ばせる」
「だな――『変異種』のくせになかなか買い手が見つからないからどうなるかと思ったぜ」
「猫や鳥ならともかく、観賞用とは言いにくい種族だ、仕方ねぇ」
「ま、ようやく手間のかかるガキが売れるんだ、酒でも――」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ『人間』達の様子――発する音がおかしくなったのは、突然だった。
物が壊れる音に、檻同士がぶつかる時のような音。わめきたてる声。重い足音。
その場にいた他の子供達が不安そうに身を寄せ合う中、一人隔離されていた子供はやせ細った足で立とうとした。だが体力の落ちた体ではそれすらもなかなか出来ず、何度目かの挑戦の末に子供がようやく立ち上がった時、その場所に大勢の『人間』が、踏み込んできた。
「もう大丈夫だ――あぁ、こんなに痩せて!」
「父さんと母さんのところに帰してやる、安心しなさい」
「本当?」
「会えるの?」
どうやら助けが来たらしい、と子供達の間に明るい空気が立ちこめる。この場所に連れて来られて間もない子供達には、人間に対する警戒心も小さかった。
しかし、その子供だけは違った。
「ヴゥ……」
力を振り絞り、周囲を威嚇する子供に気付いた『人間』達が近付いてくる。
周囲の子供達よりも明らかにやせ衰えたその様子に『人間』達の間に戸惑いが広がるが、子供はただただ自分に触れるな近付くなと威嚇を続けた。
「……どうした」
「ネグロペルラ近衛隊長……それが、どうもやけに痩せた獣人の子供がいまして」
「近隣から攫われてきたにしては状態が悪すぎます」
「確か罪人達が獣人の子供を売り買いする時のために台帳を作成していたはずだ。それと照らし合わせろ」
「はっ」
交わされる会話の意味など子供には分からなかった。
ただ、『人間』が敵だということは確かだった。
威嚇を続ける子供の目が、『隊長』と呼ばれた『人間』の目とかち合う。
(…………くろい)
そう考えた瞬間、子供の体は崩れ落ち――意識も、闇に沈んでいた。
「子供が――」
「早く手当てをしなければ」
「…………」
この数日後、目があった『人間』に連れていかれた先で出会った一人の『人間』を『かかさま』と慕うことになるとは、子供――カマルには、想像もつかないことだった。
End.
◆◆◆
『夫とカマルの出会い』でした。
カマルは闇商人の間をたらい回しにされていて、その商談が成立した直後に任務であった夫の隊に助けられました。
数日間調べても台帳がなく身元不明なカマルの引き取り手が見つからなかったので、臨時で夫が預かることになっていたところ、ニケに貰われたという感じです。