ニケ父が夫にニケとの結婚を持ちかけた時の話
ロベルト・テロス・セラピアは酒が入るとどうも気が大きくなる性質の男だった。
暴力を振るうとか怒鳴り散らすということはないために特に周囲を困らせることもない、ちょっとした特徴のようなものだった。
単にいつもよりおおらかであけすけになるだけ。
妻がたまに苦笑するだけだったその性質を改めようとしなかったことを後悔する日が来るとは――本人さえも思わなかった。
――久しく目立った争いもない中、降って湧いたような都の街道近くに出没するという賊の討伐任務を近衛と軍合同で行った後の、気晴らしも兼ねた祝勝会というにはささやかな宴会の席で、ロベルトはいつも以上に酒をあおっていた。
近衛と軍は、仲が悪い。
全部が全部そうというわけではないが、少なくとも今日一緒に任務をこなすことになった近衛は頭から軍を蔑視していた。
貴族とはいっても下級、しかも没落した家に生まれたために、軍でも叩き上げで今の地位にいるロベルトからすれば、実力もなく家柄だけで高位にいる近衛を好くことはあまり出来なかった。
部下の兵士にしてもそれは同じで、散々馬鹿にされながら任務をこなした後、酒でも飲まなければやっていられないという運びになり、今に至るわけである。
ロベルトは酒をあおると横の元部下の青年を見やった。
「お前も飲めアルトゥーロ」
「……では」
ロベルトに勧められるがままに杯を重ねた青年――アルトゥーロに、ロベルトはけらけらと笑った。
アルトゥーロは本当に駆け出しの新兵だった頃、ロベルトの部下だった男だ。
しかしあっという間にロベルトを抜かして出世し、今は近衛第一隊の隊長にまで上り詰めている。そこには名門伯爵家の出であるという出自もあるが、それ以上に実力を評価されての出世だった。元部下であるだけに彼の実力はよく分かっており、アルトゥーロが若くして自分の上に立っていることには不満はない。
それにアルトゥーロは出世した後も何かと昔の上司でしかないロベルトを立ててくれていた。
――今日こうして軍の宴会に軍からの叩き上げとは言い難い、近衛のアルトゥーロが混じっているのはそのためでもある。
手酌で酒を飲みながら、ロベルトは普段よりも酩酊した思考でふと考えた。
アルトゥーロは確か今、二十二、三になる。
貴族にしてみればそろそろ、といった年の頃合いだ。
現にアルトゥーロよりも年長であるロベルトの長男は既に結婚して子供まで設けている。一概に自分の家と伯爵家であるアルトゥーロの家を比べることは出来ないだろうが、そろそろそういう話が出ていてもおかしくはないだろう。
若手貴族の武官の中では出世頭、家格も申し分ない。両親は――父を本人は嫌っているとはいえ『常勝将軍』と異名を取った国の英雄と、若い頃から今まで社交界の華と言われてきた『黒姫』と称された夫人。母によく似た自身の容貌も整っているし、若い貴族の令嬢には家柄抜きにモテるだろう顔立ちをしている。
何拍子も揃ったこの元部下が今まで結婚話どころか浮いた話の一つや二つもないのはおかしなことのように思えた。
「なぁアルトゥーロ」
「はい」
「お前もよ、だいぶ出世したもんだが――そろそろ、そういう話の一つでもねぇのか」
「…………」
普段ならばロベルトも余計な世話かと笑ってそのまま話を流したのだろうが、酒の魔力というのは恐ろしかった。
酒の力を借りたロベルトは止める者――周囲はものの見事に酔っ払っている――がいないのをこれ幸いと、そのまま話を進めていく。
「うちの馬鹿長男も何年か前に結婚してな、もうガキこさえてる。俺も『じーちゃん』なんて呼ばれてるくらいだ。俺はボケボケしたうちの野郎共よりお前の方が早く結婚するだろうと思ってたんだがなぁ……全くそういう話が来てない、ってのはねぇだろう」
「…………」
「だんまりかい。……なんだ、未だに決まった女がいないってのは誰か好きな女がいんのか?」
「…………」
元々無口な方ではあるとはいえ、酒のせいか話題のせいか知らないが、今日のアルトゥーロはやけに口が重かった。
未だに結婚していないのは典型的な政略結婚だった両親の不仲を見てるせいかもしれないな、と思いながらロベルトは元上司――アルトゥーロの父の姿を思い浮かべる。
一兵卒から将軍にまで上り詰めた稀代の英雄。
戦においては負けなし、『常勝将軍』と称された元上司、サイード・アフマルナール・ファーザ・ネグロペルラ。
彼の人は武官としては優秀で、軍からは人気も高い人だったが――その半面仕事人間というか、家庭的な気配を一切させない人でもあった。
軍で用意されている宿舎に泊まり込んで過ごし、婿入り先である伯爵家の屋敷に帰ることは滅多にない。
気位の高い夫人との不仲が原因だとか、そうでないとか囁かれてはいるが、アルトゥーロにしてみればよき父とは言えない人物だっただろう。
その分サイード自身も夫人やアルトゥーロに関しては一切口出しをしないらしく、ロベルトが部下としてアルトゥーロを預かると挨拶しに行った時も、意外そうな顔をしてそうか、と一言漏らしただけだった。
そんな親子関係だからこそ政略結婚に抵抗があるのかもしれない。
そう自分なりに推測しながらロベルトは言葉を重ねる。
ここは一発冗談でもかまして気を楽にさせ、言葉を引きだしてやろう。
「好いた女もいないのか?……いないってなら、うちの一人娘でもどうだ。家事はうちのおっかあに仕込まれてるからバッチリだぞ、それなりに別嬪さんだしな。ちょっと情が強いとことかあるが……お前もあったことがあったか?まぁ冗談だけ――――」
「――いえ、いただきます」
スパン、と切り返されて一瞬ロベルトはアルトゥーロが酒のおかわりをしようとしているのかと思った。
しかしそれにしてはしっかりと自分の方を見て微動だにしないものだから、余計に混乱した。
気を楽にしてやろうと冗談で自分の娘でも、と話を振ったのに――いやまさか、本気に取られるわけがない。そう高をくくっていた。
しかし、アルトゥーロは首を横に振った。
「セラピア隊長の娘さんを、妻にいただきます」
しっかりと言葉を補ったアルトゥーロに周囲のやいのやいのという喧騒の中、ロベルトが思ったのは――いつか娘を嫁にやる時には『うちの娘は嫁にやらん!』『お義父さん、娘さんを俺に下さい!』というやり取りをしてやろうと、特に娘をかわいがっていた三男と話し合ったのにそれは叶いそうにないな――ということだった。
この後家に帰って娘の結婚が決まったと家族に告げたロベルトが妻と三男、話を聞いて飛んできた長男を始めとする息子達にしばらく酒を禁止されたのが部下達の間で語り草になったのは、言うまでもないことである。
End.
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『ニケ父が夫にニケとの結婚を持ちかけた時の話』でした。
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