父になって、父を知る
「ちゃんと面倒を見るんだぞ」
我が家に迎えた子犬を抱きしめる娘に、私は言った。
「うん!」
「ワウワウッ!」
娘は元気いっぱいに大きくうなずく。
子犬は娘の顔をぺろぺろと舐める。
娘はくすぐったそうに笑いながら、その小さな体をぎゅっと抱きしめた。
私まで笑みがこぼれた。
昔、父もこんな気持ちだったのだろうか。
「……犬に三十万だなんて」
「まあ、いいじゃないか」
妻の愚痴をなだめる。
どうせ、散歩も餌やりも、そのうち私の仕事になる。
それでも、娘の笑顔を見ていると、そんなことはどうでもよかった。
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「お前が飼いたいと言ったんだ。
俺は、知らんからな」
小学生の頃、私は帰り道で捨て犬を拾ってきた。
仕事から帰ってきた父は、その犬を見るなり怒鳴った。
今すぐ、捨ててこい。
命を軽々しく思うな。
だけど、母を味方につけ、三日間粘った末に、父は折れた。
ただし、条件があった。
犬の世話は、すべて私が最後まで面倒を見ること。
「もちろん、分かってるよ!」
私は元気よく返事をした。
名前は、コジロー。
茶色い雑種で、耳だけが少し垂れていた。
その頃、私は剣道を始め、宮本武蔵に夢中だった。
だから、ライバルである佐々木小次郎から名前をもらった。
学校から帰ると、ランドセルを放り投げて庭へ走る。
「コジロー!」
尻尾がちぎれそうなくらい振って飛びついてくる。
毎日の散歩も、ご飯も、水の交換も私の仕事だった。
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中学生になると、部活が始まった。
「ごめん、今日は疲れたから」
そんな日が増えた。
「コジローの散歩、お願い」
父はむすっとした顔で、リードを受け取る。
「ったく……」
小さく呟きながら、玄関を出ていった。
コジローは少しだけ私を見たあと、父について歩いた。
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高校では、全国大会出場を目標に、剣道にのめり込んだ。
毎日が練習で埋まり、家に帰れば疲れて眠るだけ。
コジローと過ごす時間は、少しずつ減っていった。
剣道の推薦で進学した大学では、一人暮らしを始めた。
実家に三日以上いるのは、盆と正月くらいになった。
久しぶりに会うコジローは、飛びつかなくなっていた。
それでも、私の声を聞くと尻尾だけは昔みたいに振った。
「散歩、行くか」
玄関を出ても、昔みたいに走らない。
ゆっくり。
ゆっくり。
昔の散歩コースを歩く。
途中で何度も立ち止まり、休憩するようになった。
「年だな、お前」
そう言って頭を撫でると、コジローは気持ちよさそうに目を細めた。
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就職すると、帰省はさらに減った。
そんなある日、母から電話があった。
「コジローね、最近あまり食べなくなったの」
「今、忙しいんだ」
自分でも、冷たい返事だと思った。
「そう……。」
母はそれ以上、何も言わなかった。
その週の終わり。
また母から電話が鳴った。
「コジロー……。」
少し間があった。
「今朝、亡くなったわ」
私は何も言えなかった。
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急遽、有給をもぎ取って帰省した。
庭には、ペンキが剥げた犬小屋だけが残っていた。
リードは玄関のフックに掛かったまま。
何気なく手に取る。
革はすっかり柔らかくなっていた。
「……遅いぞ」
父が、じっと私を見ていた。
何も責めるような目ではなかった。
それが、余計につらかった。
「ごめん……。ごめんな」
引っ張られて転んだこと。
公園で走り回ったこと。
雨の日に一緒にびしょ濡れになったこと。
忘れていたはずの時間が、次々と蘇ってきた。
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「わわっ! マロン、早いよー!」
「ワウワウッ!」
娘が犬を散歩させているというより、犬に娘が散歩させられている。
そんな光景に、思わず苦笑した。
「転ぶなよー」
私は、コジローにたくさんのことを教えてもらった。
きっと娘も、マロンと過ごす日々の中で、たくさんのことを学んでいくのだろう。
たぶん、父も同じ気持ちだったのだと思う。




